年頭提言 新聞の底力を次世代メディアにどう生かすか
新興ネットメディアの弱点と伝統メディアの圧倒的取材力
校條 諭 メディア研究者
新聞やテレビといった従来のマスメディアのほかにニュース報道を担うネットメディアが次々に登場したのは、スマートフォン(スマホ)の普及が急速に進んだ2010年代でした。新興のネットメディアが、伝統メディアの新聞やテレビに代わって、ニュース報道の主役になる――そんな“夢”が語られました。しかし、巨大プラットフォームは別として、おもな新興のネットメディアは期待ほど成長せず、足踏みしているとさえ言えます。
ところで、私は、昨年11月と12月に開かれたニュースパーク(日本新聞博物館)での「新聞協会賞受賞記者講演会」を聞いたのですが、組織的取材力を発揮する新聞の底力を改めて感じました。もちろん、デジタルの時代において、新聞はもっと脱皮する必要がありますし、強力な取材体制を維持していくための経済的な課題もクリアしていかなければならないでしょう。それでも、新聞ないし放送というマスメディアの独自の強みは、依然として圧倒的な取材体制ないし取材力にありと言えるのではないでしょうか。

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ニュースメディアの世界は、伝統メディアか新興メディアかという区分を越えて新しいステージに入ったという印象を持ちます。先頃発足した「デジタル・ジャーナリスト育成機構」の取り組みは、伝統と新興、あるいは組織と個人(フリー)といったワクを越えて、ジャーナリストの力を強め、協同の機会を増やしていくことを目指していて、メディアの新段階の象徴として私の目に映りました(後述)。
ところで、すでにお気づきのように、本稿は「です・ます体」で書いています。これまでも、書く場所によっては「です・ます体」で書くことがあったのですが、今回、そうしようと思ったきっかけは、「中央公論」2023年1月号の武田徹さんの巻頭論文に刺激されたためです。武田さんは文中で、「『です・ます体』は常に読み手の存在を意識している表現で、『二人称のあなたのいる世界』を作り上げます」と記しています(武田さんの論文名は「文字リテラシーを守るために何ができるか」。とても触発された論ですが、それについては別の機会に譲ります)。
以下、改めて詳しく述べます。
デジタルと個人化がもたらしたニュースメディアの新たな構図
ニュースメディア、特に新聞に大きな影響をもたらしているおもな変化要因は次の二つだと私は認識しています。ひとつは、インターネットというデジタルネットワークの登場により、記事のバラ売り・バラ配信(アンバンドル)が可能になったこと。もうひとつは、スマホの登場によってメディア利用の個人化が進んだということです。
ひとつ目は、新聞は、「限られたページ数の紙の束の各『面』に、大小の記事を割り付けるという『編集』によって形成された『ひとまとまりの作品』」であったのが、記事のひとつひとつがバラされて、“ひとり歩き”するようになったという現象です。
ふたつ目は、象徴的に言えば、「うちの新聞」から「私のニュースアプリ」に移行しつつあるということです。個人化は、スマホ以前にパソコンによっても進みましたが、常時持ち歩き可能で、体の一部になったと言ってもいいくらいのスマホによる個人化促進はその比ではありません。
各戸に配達で届けられる紙の新聞は、いわば世帯内の共同利用メディアでした。世界に冠たる巨大な発行部数を実現した日本の新聞界ですが、実は、世帯内の個人を見ると、だれもが新聞を熟読していたわけではなく、当然ながらヘビー読者とライト読者がいました。
昨今、従来の新聞のライト読者に相当する多数派の多くはプラットフォーム系の無料メディアでニュースに接するようになったと言えるでしょう。その代表は、Yahoo!ニュース(1996)やスマートニュース(2012)、LINEニュース(2013)です(カッコ内は開始年。以下同様)。どのニュースサイトも、新聞をはじめ、テレビ局や出版社(雑誌社)、ネットメディアなど数百ものメディアから配信される記事をよりどりみどりで選んで並べています(キュレーションないしアグリゲーション)。