どこででも、誰にでもできるスポーツという“誤解”
2023年01月16日
2022年も終わろうとしているとき、とあるローカルニュースに接した。京都を代表する商店街の一つ、新京極商店街で「スケボー2人組」が、深夜にクリスマスツリーの台座の一部を破損したというニュースである。
京都新聞だけでなく、関西テレビ、ABCテレビなどの各種メディアで大きく報じられ、「クリスマスムードを破壊する行為」という印象がもたらされた。防犯カメラによる「動く映像」が残っていたため、テレビにもうってつけのニュースとなった。商店街側は、ツリーや敷石などの修理費は合わせて100万円にのぼると主張している。
筆者がこの報道に触れたときに、メディアの意図とは異なり、まずは膝を打つ思いであった。「そうか、商店街で滑るのか!」真夜中の商店街で走るということは、住宅地からも隔離されており、また道路と違って車両との接触もなく、これはできるだけ周囲に迷惑をかけないようにする「工夫」なのではないか、と直感した。
ここしか滑る場所がないということは、商店街側も理解せざるをえないようで、「もう黙ってられない。しかるべき場所でしていただきたいので、そういう場所作った方が…もっと増やしてと思います」(新京極商店街振興組合・西澤摩耶理事)とコメントしている(2022年12月9日Yahoo!ニュース)。
これは筆者が取り組んでいる「子どもの遊び場」の問題、すなわち子どもは一体どこで遊べばいいのかというテーマと大きく重なる。(参照:【遊びを奪われ、地域社会の中で“異物”扱いされる子どもたち】【サッカーをしたくてもできない子どもたち~「ボール遊びがうるさい」が奪う「権利」】)
新京極商店街振興組合によれば、2022年の春ごろからスケートボードをするグループが現れるようになり、今では10人規模のグループが複数存在するようだという。ツリー破損事件の前から様々な問題が認識されており、一見無人の夜中の商店街でも、商店の二階に居住者がいる場合があり、騒音による安眠の妨げなどが報告されている(インタビューは2023年1月11日に実施)。
京都市内にはスケートボードをできる場所がほとんどない。伏見区には本格的な「火打形公園スケートボードパーク」があるが、市の南部の工業地帯に位置し、中心部からは遠い。東京五輪でメダルを獲得した選手たちが、家族の壮絶な献身で民間のスケートボードパーク(以下パーク)へと通っていたり、あるいは私設のパークを有しているように、スケボーは日本では誰にでも手が届く「ストリート」のスポーツではまったくない。
本稿ではその解決可能性を探っていく。
筆者は、京都市内でスケボーをしている少年へインタビューする機会を得た。ここではAくん(15歳)としておく(ちなみにAくんはツリー破損に関与していない)。
結論を先取りするならば、スケボーをスポーツとして行うには、環境整備があまりにも不十分であること、そしてそのことが、後述する警察との攻防を含め、子どもたちにある種の危険をもたらしているのである。しかしながら、路上でのスケボーはフラットな人間関係が魅力であり、参加する子どもたちにとって重要な居場所になっている。
Aくんによれば、スケボーに挑戦するのは2度目で、最初は家の前で練習していたが、上達できる環境ではなかったという。では、どうやって今の場所(商店街)を見つけたのかというと「インスタ」(Instagram)だという。「友達の友達」が商店街で滑っているのを見て、自分も参加することにした。そこから人間関係が深まり、他府県のパークに連れて行ってもらうこともあったという。
一方、地元京都には北部の宝が池にも練習場が新設されたが、路面の質が悪く「滑れたもんじゃない」とAくんは語る。この問題、すなわちスケーターと市のすれ違いについては、本稿後半で述べる。
では商店街の敷石の質はどうなのか。それが意外にも滑らかで、特に新京極商店街には高低差もあるため、格好の練習場となっている。参加者がさらにその友人を誘うかたちで、参加者は前述の「ツリー破損事件」までは増加傾向だったという。自発的に集まるこの子どもたちは、通行人や商店とのトラブルを避けるために、深夜の12時から集合し、日の出とともに解散する。曜日も金土日と限定し、学校に登校することも念頭においている。
ところが、絶えないのが警察との攻防である。新京極商店街がスケボーを禁止していることもあり、滑る子どもたちを「チャリポ」(チャリポリス=自転車に乗った警察)が追いかけてきて、お互いに転倒するなど危険なこともある。さらには、商店街の商店も、閉店時にスケボー対策として大量の水を撒くため、滑りが良くなりすぎて、スケーターからすれば危険だという。また、Aくんは、スケボー本体のベアリングが水で錆びてしまうことにも言及していた。
それでもなぜ、Aくんらはリスクを背負ってまで参加を続けるのか。Aくんにとっては、ストリート発祥のスポーツならではの「フレンドリー」さが参加の大きな魅力になっているという。まず、スケーター同士は会ったら「お疲れ」と声をかけ、互いの手のひらをタッチしたのち拳を軽くぶつける。このジェスチャーは、お互いの手の質感や体温をじかに感じる、ちょっとしたスキンシップである。筆者も実際にやってもらったが、「仲間」に入れてもらったような暖かさを感じた。コロナ禍以降、誰かと握手するということがなくなったので、より新鮮な気持ちであった。スケーター同士に上下関係はなく、商店街で滑っているのは二十歳未満の子どもたちだという。
しかしながら、テレビ報道以降、参加者は大きく減った。何よりもの理由は、当然のことだが「捕まりたくないから」である。Aくんは繁華街でスケボーを持って歩いているだけで、警察に声をかけられ、持ち物検査をさせられるという。「ポケットも全部チェックされるし、下着も触られる」。これはスケボーが他のモノ(大麻など)と結び付けて考えられているからだろう。
最後に筆者は「このままじゃ仲間がいなくなっちゃうよね。そのことについてはどう?」と問いを投げかけてみた。するとAくんは数秒間沈黙し、「それは、なんともいえん。なんともいえん感じ……」と言葉を絞り出した。大切な居場所を手放したくないという思いと、どうすることもできないという思いの葛藤であろう。もし市の中心部にパークを誘致する運動が始まれば、Aくんには参加する気持ちはあるという。
冒頭で紹介したテレビ報道では、当事者のスケーターへの取材を入れなかったことで、結果として破損の「やり逃げ」が強調された。一方本稿では、当事者との対話を通じて、異なる観点をもたらすことを試みたつもりである。
まず、スケボーは周知のとおりストリート発祥でありながら、高度な競技へと発展したことの両面性が、スケボーを巡る状況をより困難にしている。前提としては、
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