赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター
1975年生まれ。著書に『若者を見殺しにする国』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』、共著書に『下流中年』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
以前から同種の記事はちらほら見かけていたが、昨年末も日経新聞が、若者の間で風呂なし物件の人気が上がっているという記事を出していた(「風呂なし物件、若者捉える シンプルライフ築く礎に」2022年12月17日)。
家の機能、設備を減らしてシンプルライフを送りたい若者が増えていることから、住宅情報サイトに問い合わせが増えているという。
記事には「シンプルライフ」や「ミニマリスト」「地域とのふれあい」などという言葉が並び、若者自身が多様化する新しいライフスタイルの1つとして、あえて風呂なし物件を選んでいるという内容になっている。
記事の内容はあまりに現実離れしていると僕には感じられる。
当たり前のことだが、風呂なし物件に住んでいる人の大半は、お金がないから仕方なく家賃の安い部屋に住んでいるのである。
確かにシンプルライフを志向する人、銭湯が好きな人、ほとんど家に帰らないので物件を借りて住民票だけ必要とするような人もいるが、それはあくまでも例外だろう。
「若者はシンプルライフを望んでいるのだ」というのは、若者の一面だけを見てレッテルを貼ることでしかない。
記事にはそうしたライフスタイルを選んだ若者が紹介されているので説得力があるように見える。だが、実際は自分のライフスタイルを自信を持って表に出せる人だけが取材に応じているわけで、「お金を節約するために仕方なく風呂なし物件に住んでいる人」は、自分の生活をあまり見せたくはないだろうから、なかなか取材に応じない。
結果、記者が望むポジティブなモデルケースのような人しかメディアの記事には挙がってこないのである。
「銭湯、シャワー付きスポーツジムなどの施設があり、不自由しない」などという文言もミスリードだ。
実は僕自身も20代の頃に、風呂なしのアパートで生活しており、銭湯通いをしていた。もちろんシンプルライフ志向などではなく、単純に家賃の節約のためである。
僕のアパートに近かった銭湯は最寄り駅とは反対方向の徒歩8分程度の所にあった。ネットで調べてみると今でも当時と同じ姿で営業を続けているようだ。
下町情緒と言えば聞こえはいいが、冬の寒い時期に繁華街とは逆方向の住宅街に歩いて銭湯に行くというのは、決して楽ではく、湯冷めにも気を付けなければならず不便だった。
銭湯は昨今のサウナブームで見直されつつあり、自宅に風呂があっても銭湯に行く人もいるが、それでも銭湯は年々数を減らし続けている。
東京都浴場組合が運営するWEBサイト「東京銭湯」によると、東京都内の銭湯は、僕が風呂なし物件で生活していた平成12(2000)年には1273件だったが、令和3(2021)年には481件にまで減少している。つまり銭湯に通うのはますます不便になっているのだ。
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