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30年でクラブ数は500%増 Jリーグ次の10年への挑戦

ゴン、カズ…“シンボル”はそれぞれの道に 名門クラブも新たな試み

増島みどり スポーツライター

 1月17日に行われた「アスルクラロ沼津」の記者会見には、J3としては異例の注目度といえる約60人もの記者が詰めかけた。

「ゴン」中山 はJ3沼津の監督に

 元日本代表FWで、歴代4位のJリーグ通算157ゴールを記録し、得点王2回、べストイレブン選出4回、さらに1998年には4試合連続ハットトリック達成で当時のギネス記録(後に更新)に認定されるなど、日本サッカー界の顔として活躍を続ける中山雅史(55)新監督就任会見が行われ、地域企業の期待感を示すように、静岡県沼津市の商工会議所が会見場となった。

 監督は冒頭に、マイクも不要なほど、よく通るはっきりした声で「全身全霊を込めて勝利に向かっていきたい。過信にならず慢心することなく、指揮していく」と、「ゴン魂」と呼ばれてきた熱い気持ちを表現。質疑応答では、「ベンチでチームジャージを着るか、スーツを着用するか」と問われ、「いや、ユニホームです!」と即答し、記者たちを笑わせた。

 ムードメーカーとしていつも空気を察し、時にジョークで一体感を生み出す。「らしさ」は監督としても健在だった。

今シーズンから加入する選手たちと健闘を誓う中山雅史監督(前列中央)=<Sankou>2023年1月20日</Sankou><Sankou>、静岡県</Sankou>沼津市魚町<Sankou>、南島信也撮影</Sankou>拡大就任会見から間もない1月20日にはさっそく、今シーズンから加入する選手たちを紹介し、健闘を誓った中山新監督(前列中央)=沼津市

J1からJFLまで全カテゴリーを経験

 中山監督が歩んだ30年は、Jリーグの30年といってもいい。1990年に人事部社員としてヤマハ発動機に入社。4年後、ヤマハはジュビロとなり、Jリーグ開幕翌年の94年からJリーグに参戦した。磐田から、当時J2の札幌へも移籍し、一度は引退。2015年から当時JFL(J3の下部に位置する地域リーグ)に所属していた沼津に加入し、20年までの6年を、後にJ3に昇格した沼津の選手、またU-18のコーチとして過ごした。

 J1の黄金時代からJFLと、すべてのカテゴリーで積んだ、極めて稀なキャリアは、ゴールやプレーの華やかさだけではなく、監督を支える強い土台だ。

W杯フランス大会1次リーグのジャマイカ戦で、日本のW杯初ゴールを決めた中山雅史(右端)=1998年6月26日、仏リヨン拡大W杯フランス大会1次リーグのジャマイカ戦で、日本のW杯初ゴールを決めた中山雅史(右端)=1998年6月26日、仏リヨン

 監督会見では、実感を込めてこう話した。

 「(30周年に監督に就任したのは)サッカー界が豊かになった表れなんだと思う。サッカーが職業として成り立ち、J1からJ2、J3までどのカテゴリーでも、そこでの目標を目指す人たちがいるようになった。下のカテゴリーから、レベルの高いところを目指して努力したい。それが、さらなるリーグの発展につながる」

 沼津は昨年15位。今季は「結束」をスローガンにJ2昇格を目指す。

黄金期のライバルとして競った社長と監督

 中山監督を招へいした沼津の高島雄大代表取締役(55)も異色の社長だ。

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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