政府の国連勧告拒否を機にインクルーシブな社会についてもういちど考える
2023年01月27日
脳塞栓(そくせん)症の後遺症で障害を抱えつつ、人類学研究にとりくむ三谷雅純さんの連載「〈障害者〉と創る未来の景色」の7回目は、障害児と非障害児が一緒に学ぶ「インクルーシブ教育」の取り組みがなぜ、この国では進まないのかを考えた前回の続編。前回記事に届いたコメントを手がかりにインクルーシブな社会のあり方について考えを掘り下げます。連載の感想や自分の体験を伝えたい、私も当事者として論じたいという方がいらっしゃいましたら、メールでinfo-ronza@asahi.comまで感想や体験、論考をお送りいただければ幸いです。一部だけになりますが、論座でご紹介したいと思います。(論座編集部)
2023年1月11日付けの記事「文部科学相はなぜ国連勧告を受け入れなかったのか」で、国際連合(以下、国連)から日本政府に、現状の障害児への特別支援教育は「障害児の分離政策」につながるからやめるようにと勧告が出たことを伝えました。日本政府は障害者権利条約を批准していたのですが、それでも勧告は受け入れないと回答しました。私のこの論には、さまざまな立場から多くのコメントをいただきました。コメントをいただいたこと自体は大変ありがたかったのですが、中には首をひねらざるを得ないようなコメントもありました。今回はまず、わたしに可能な範囲ですが、わたしも知らなかった国連の障害者権利委員会の仕組みも含めて、コメントの誤解を解いてみようと思います。
まず国連が一国の政策をうんぬんすることは越権行為であって、日本には日本の事情があるのだから、勧告は受け入れないのは当然だというご意見です(直接の引用はしませんでした。わたしの責任で、同様の意味になるように語句を変えてあります)。出てきて当然のご意見だと思います。しかし、このコメントには、ふたつ、大きな誤解があります。
ひとつ目は「批准」という言葉の意味です。日本政府は障害者権利条約を「批准」したのです。ちなみに「批准」とは『世界大百科事典 第2版』(平凡社)によれば「署名した条約に対し、国家として拘束されることの最終的な確認行為をいう」とあります。「批准」は「条約を受け入れるかどうかの議論に参加する」ことを意味する「署名」とは違います。条約によっては「署名」もしていない国があります。国連が障害者権利条約を採択したのは2006年、発効したのは2008年でした。日本が署名したのは2007年と早かったのですが、批准したのは7年後の2014年でした。この7年の間、日本は障害者権利条約を批准するべきかどうか、批准するのなら国内法をどう変えるべきかを、国連の議論に参加しつつ国内でも意見の調整を図っていたことになります。
「批准」は条約に参加する国にとってはきわめて重いものです。勧告がでたら誠実に対応しなければなりません。日本はこの勧告に対する文書の中で「現状の障害児への特別支援教育は変えない」と回答したのです。「批准」のためには障害者権利条約に関連する日本国内の法律を、障害者権利条約に合うように変えておかねばなりません。それが済んだと判断したから「批准」できたのですが、それでも国連の障害者権利委員会が考える障害児教育とはかなり異なるという指摘でした。
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