学生たちの声援、心にしみた
人の情けとは、かくもありがたいものか。
がんになって以来、何度もそう思った。これまで紹介してきた医療関係者や家族のほかにも、多くの人の情愛に触れ、何度涙したか分からない。
私にとっては、人々の支えが「心のリハビリ」とでも呼びたい活力源だった。

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病に倒れてまず心にしみたのは、学生たちの声援だった。
私は、青山学院大学国際政治経済学部のジャーナリズム指導室(以下、指導室)で学生たちにジャーナリズムや作文を教えている。そもそもは2012年、当時の国際政治経済学部長に、こう声をかけられたのがきっかけだった。
「私の学部では、ジャーナリスト志望の学生が増えています。しかし、教える場がありません。お願いできないでしょうか?」
私は当時、朝日新聞のメディア・文化担当の編集委員をしていた。ジャーナリスト志望の学生は減っていると思い込んでいたから、増えているとは驚いた。ならば、その志を受け止めないわけにいかないだろう。快諾し、週に1回の指導室を開講した。
それから10年余、東京を離れていた時期は後輩記者に頼み、中断なしに続けてきた。時事問題をテーマに激しい討論を交わしたり、作文の相互批判をしたり。教室の熱さは、ずっと変わらない。
2021年8月31日、腰の激痛を訴えて入院したとき、その年度の後期が間近に迫っていた。何とか乗り切らなくてはならない。不幸中の幸いと言うべきか、コロナ禍でオンライン授業なのが助かった。病室からでも開講できるからだ。
2021年夏に「余命3カ月から半年」と宣告されたジャーナリスト、隈元信一さんの闘病記です。これまでの連載はこちらからご覧になれます。