北京五輪フィギュア団体戦のメダルは宙に浮いたまま
2023年02月02日
1月25日、IOC(国際オリンピック委員会)が2024年夏季パリオリンピックと2026年冬季ミラノ=コルチナダンペッツォオリンピックに向けて、条件付きでロシアとベラルーシの選手の個人としての出場を許可することを前向きに検討していくことを明らかにした。
「オリンピック憲章では、いかなるアスリートも差別なく扱われる権利を有する。パスポートを理由に競技に参加することが妨げられてはならない」という声明を出したのである。
一見耳に心地よい美文だが、なんとも無責任で納得のいかない決断としか言いようがない。
元々ロシアの選手の出場を禁じたのは、IOCである。2022年2月、北京オリンピック閉会式が終了した直後、ロシアがウクライナに武力侵攻したためだ。IOCは「オリンピック休戦に違反した」とこの時は厳しくロシアを批判し、ロシアとベラルーシの選手、オフィシャルを国際大会から締め出すことを各スポーツ連盟に要請した。
およそ1年がたった現在、言うまでもなくこのロシアによる侵略戦争はまだ終結していない。それどころか、ロシアによるウクライナ全土の空爆は激化している。ウクライナの国民、アスリートたちは家と財産、家族や友人や生活手段を失い、生命を脅かされ続け、戦死者の中には元オリンピック選手もいた。このタイミングでロシアの選手の権利を擁護する声明を出したIOCは、いったいどういうバランス感覚を備えているのか。
IOCの体質が批判されてきたのは、何も昨今始まったことではない。昨年の北京オリンピックは、開催が決定した直後から中国政府による新疆ウイグル自治区、チベット自治区などにおける深刻な人権侵害が問題視されてきた。世界各国の人権団体の訴えにもかかわらず、IOCのトマス・バッハ会長は「平和の祭典」を遂行し、中国政府の人権侵害など存在しないような姿勢を貫いた。
この北京オリンピックでは、ロシアのフィギュアスケーター、カミーラ・ワリエワのドーピング陽性事件のスキャンダルがトップニュースになったが、それを許したのもIOCの曖昧な対応である。
2016年5月、内部関係者の告発により2014年ソチオリンピックでロシアの国家主導によるドーピング違反が行われていたことが判明した。調査したWADA(世界反ドーピング機関)は、2016年リオデジャネイロオリンピックでロシアの締め出しを勧告したが、IOCは過去のドーピング違反がないことを条件に、各国際スポーツ連盟にその最終判断を任せた。結局およそ予定されていた選手の70%が通常通り出場。2018年平昌オリンピックは、ロシアの国旗と国歌を禁じたものの、選手は個人の資格で出場を許された。
アメリカに亡命したロシアのRUSADA(元反ドーピング機関)所長グリゴリー・ロドチェンコフの意図は、必ずしも正義感のみではなかったかもしれない。だが家族も捨て、暗殺の危険をおして行った必死の告発は、IOCの日和見主義によって握りつぶされたも同然だった。
こうしたIOCの曖昧な対応が、カミーラ・ワリエワのドーピング陽性事件を許す元になった。あの事件によって、ロシア女子の抜きん出た強さを称賛していた世界中のファン、筆者も含めた関係者も、横っ面を殴られて目が覚めた思いがしたのである。
2010年バンクーバーオリンピック終了後、フィギュアスケートで突然ロシアの女子が異常なまでに強くなったのはなぜなのか。
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