青森県佐井村に月1回通う医師の実践
2023年03月03日
がんになってから、ずっと気になっていたことがあった。
「過疎地、とりわけ無医村の人たちは、がんになったらどうしているんだろう?」
医療機関が近くになければ、東京に住む私のように医師・看護師・理学療法士らが定期的に自宅まで来てくれる在宅ケアは望みがたい。遠くの病院への通院や入院も、さぞかし大変なことだろう。
佐井村にはかつて、内科医が常勤する診療所があった。2008年4月、県の医療統合方針で隣の大間町にある「国民健康保険大間病院」に吸収され、無医村になった。それがなぜ「赤十字の旗ひるがえる里」か。
これを説明するには、佐井村出身の医師、三上剛太郎(1869~1964年)の逸話を語らなくてはならない。佐井村のホームページから引用しよう。
1905年(明治38年)1月、日露戦争の時、三上剛太郎は満州(今の中国北東部)へ軍医として従軍しました。ロシア軍に包囲され、今まさに攻撃を受けようとしていた仮包帯所に「手縫いの赤十字旗」を掲げて(ロシア軍は包囲を解いて立ち去り)、(ロシア兵を含む)多くの負傷者の命を救いました。
この赤十字旗は三角巾2枚で四角にし、赤毛布を切り裂き、十字をつくり縫い合わせたものです。
1963年(昭和38年)、スイスのジュネーブで開催された赤十字100周年記念博覧会で「手縫いの赤十字旗」が展示され世界の人々に深い感動を与えました。
戦場で作られた赤十字旗は、人類のヒューマニズムを基にしてつくられた「ジュネーブ条約」の生きた証として残されています。
<中略>
佐井村では、三上剛太郎の仁愛の精神を受け継ぎ、心の中にある赤十字の旗をひるがえし、人にやさしくともに生きる社会を目指し、「赤十字の旗ひるがえる里づくり」を推進してまいります。
村の人はいま、がんになったらどうしているのだろう。
前村長の樋口秀視さんに電話をしてみた。1951年生まれで、70年に村役場の職員となり、総務課長や教育長を経て、2014年から2022年まで村長を2期務めた。大腸がん(見つかったのは2006年9月)、前立腺がん(同2013年2月)、胃がん(同2021年12月)と、別々に3つのがんにかかった体験を持つ。
治療はどうしたのか。
最初の大腸がんは、医師の長男が勤めていた「青森県立中央病院」(青森市東造道)で手術を受け、その後は3カ月に1回くらい通院していた。しかし、車で片道3時間半くらいかかるので、車で1時間半くらいのむつ市にある「むつ総合病院」に切り替えた。2回目の前立腺がんは、長女が事務職で勤めていた札幌医大(札幌市)で手術。3回目の胃がんは、むつ総合病院で手術も術後の治療も受けた。長男がそこに転勤していたからだ。今も3カ月に1回は通院しているという。
3度とも検診で早期発見、お子さんが勤めていた病院で手術という樋口さんの場合は、極めて稀なケースだろう。他の村民はどうしているのか。「大間病院やむつ病院のほか、函館の病院に通院したり入院したりしている人が多いですね」と樋口さん。
佐井村の役場のあるあたりから隣の大間町のフェリーターミナルまでバスで30分くらい。そこから函館港まで津軽海峡フェリーで90分。函館港から病院まではバスに乗り換える。2時間以上かかるが、フェリーは往復券を買って病院の領収書を見せれば、帰路はスタンダード運賃から6割引になる。青森市に車で行くよりは時間もかからないから、愛用者が多いのだろう。
樋口さんは村長時代、無医村解消に取り組んだ。
「せめて月に1回でも、村に来てくれるお医者さんはいませんか? 特に高齢者が多いから、整形外科の方を」
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