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精神障害者への虐待が繰り返されるのはなぜか

「精神障害もある普通の市民」を許さない社会の構造を考える

三谷雅純 大学教員、霊長類学・人類学の研究者、障害当事者

あなたも論の座に

 脳塞栓(そくせん)症の後遺症で障害を抱えつつ、人類学研究にとりくむ三谷雅純さんの連載「〈障害者〉と創る未来の景色」の8回目です。今回は精神科病院で患者に暴行したとして看護師が逮捕された東京の「滝山病院事件」を入り口に、精神障害者に対する事件が後を絶たない理由と、それを乗り越えるためのヒントとなる実例を紹介します。

 東京・八王子市にある精神科病院「滝山病院」で、看護師が入院患者への暴行の疑いで逮捕されました。患者を支援している弁護士が記者会見を開き「院内で記録された映像や音声などを分析したところ、少なくとも10人以上の職員が暴行や暴言などの虐待行為をおこなった可能性がある」と指摘しました。「病院全体で日常的に虐待行為がおこなわれていた可能性がある」ということです。ただ、これは数ある精神科病院の実態があらわになっただけで、日本にはまだまだ同じような病院がたくさんあるに違いありません。

 このニュースは精神科病院の入院患者の人権を憂慮している市民には、今さら何を言っているのかと感じられたかもしれません。日本では精神科病院というと民間病院が多いのですが、実際のところ民間ではお金を儲けるためにさまざまな工夫をします。その工夫が非人道的な行為であったということです。そのなかで人権に敏感な市民は、さまざまな機会に入院患者の長期入院や身体拘束をやめて欲しいと訴えてきました。ここでは、どのように長期入院や身体拘束がおこなわれてきたのかを、今さらですが、あえて簡単に振り返っておきます。

事件が起きた滝山病院=2023年2月25日、東京都八王子市犬目町、比嘉展玖撮影事件が起きた滝山病院=2023年2月25日、東京都八王子市犬目町

「座敷牢」から「薄利多売」の民間経営へ

 まず日本の精神科病院には独特の歴史があります。明治時代までの裕福な家庭は、ある人を「精神病」だと認めたら「座敷牢」に閉じ込めておいたそうです。「座敷牢」とはおどろおどろしい響きです。実態は、薄暗いじめじめした牢獄から家族の生活する座敷のなかを囲いで仕切った空間まで、さまざまだったようです。一般の庶民はどうかというと、「座敷牢」などという特別なものはなく、精神障害もある普通の村人として自由に働き、疲れたら(精神障害者はともかく疲れやすいのです)休んでいたのだと思います――わたしが長く過ごしたアフリカの村人の生活がそうでした。

 ところが「座敷牢」はいけない。「座敷牢」は禁止しようということで、国は公的な精神科病院を作ろうとします。国の考え方は「精神病患者が一般人と混ざるのを避けたい」というものでした。精神病患者の隔離政策のはじまりです。ところがこれは戦争中のことなのです。国は財政難です。そこで精神科病院を民間に委ねることにしました。

 精神科病院を民間に委ねるのはよいが、民間で潤沢なお金を用意できるところは限られています。それをどうするかということで作られたのが医療法の「精神科特例」です。「入院患者数に対して、医師数は一般病床の3分の1、看護師・准看護師は3分の2でよい」というものです。当事の精神科病院では、現在、一般病院で使う高価な機械はあまり必要ではありませんでした。一番必要なのは人件費です。その人件費が「医師数は一般病床の3分の1、看護師・准看護師は3分の2」で抑えられるのですから、精神科医療に参入する病院は自ずと増えます。こうして精神科病院はほとんどが民間という状態が作り出されました。

 ただし経費が少なくて済む分、診療報酬も少なく抑えられました。このような精神科病院の経営を「薄利多売」と表現した文章がありました。病院の

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