単なる談合と捉えると事件の本質を見誤る。その性格は支配型私的独占に近い
2023年03月10日
五輪をめぐる談合事件について筆者はこれまでにいくつかのメディアでコメントを出してきたが、容疑の対象となった個人、企業が告発、起訴されたことを受けて、これまでに報道されてきたことを踏まえつつ、筆者なりに気付いた点、論点となり得る点について整理しておく。
まず始めに、今回の談合事件の背景となったスポーツ等の大規模イベントを取り巻く産業事情について触れておきたい。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下、「組織委」)をめぐっては、テスト大会における計画立案業務発注に係る入札談合事件の前に、スポンサー契約をめぐる汚職事件が世間を騒がせたことで記憶に新しい。汚職事件、談合事件、両方に共通して登場した企業名が、広告代理店最大手の電通であった。汚職事件の収賄側である組織委元理事はかつて電通の最高幹部の一人であったし、今回の談合事件において同社は主導的立場にあったとされている。
しばしば指摘されているように、電通及びその関連会社の、国際的、国家的イベントへの影響力が群を抜いている。企業が競争優位を確立するのはそのリソースの豊富さ、ネットワークの広さ、競争業者との差別化、そのスキルの高さといった要因に支えられるものであり、電通の競争優位は他社には出せないパフォーマンスが出せることの証左でもある。自由市場の帰結であり、それ自体を批判することはできないし、するべきではない。
しかし、一企業の支配構造が強固になればなるほど、言い換えれば発注者側からの依存構造が過度なものになれば、その競争優位が弊害を生み出す。どのような内容の事業をやるかという仕様それ自体を、業者が自社にとって有利になるように決めてしまう「スペック・イン」といわれる状況は、こういった依存構造が背景にあることが多い。
これはしばしば情報システムの発注でみられるものだが、イベント関係でも同じ問題が指摘できる。大規模なイベントであれば、企画の初期段階から相談相手になり、二人三脚でプロジェクトを進めることになる。「パートナーシップ」といえば聞こえがよいが、業務を発注する側が受注する側に差配されるようになり、いつの間にかに立場が入れ替わってしまう。
五輪事業では代理店が組織委のような立場であったと指摘されてきた。極端な言い方をすれば、相手方のお金の使い方を決めることができる構造になってしまうのである。
発注者側にも問題がある。イベントが国際的、国家的プロジェクトの場合、絶対に失敗できないというプレッシャーがかかる。時間的制約もあり、プロジェクトの大きさを考えれば、できるだけ経験豊富な大手に頼もうとするだろう。そこでいつも名前が上がるのが、電通なのである。
電通はもはや単なる広告代理店ではなく、日本最大の、全方位型問題解決企業である。筆者はこれまで、さまざまな機会で、「電通に頼めば何とかなる」という発注者側の本音を耳にしてきた。しかし、これは言い方を変えれば「電通に頼んで上手くいかなければ私のせいでない」という責任逃れの言い訳のようにも聞こえる。法律の世界でいえば、とりあえず定評ある弁護士事務所に頼んでおけば、交渉や訴訟の失敗の責任は私にはない、という法務部員の本音に近いものがある。
今回の談合事件の背景も、組織委の元次長が五輪事業の遂行を電通に依存したことが出発点にあるという。確実にイベントを進めるために電通と元次長は競争ではなく計画を模索し、その調整(差配)を電通に託した。しかし、その調整は談合による競争制限と評価され、独占禁止法違反の容疑へと発展した。
それでは、以下、独占禁止法違反に関連する論点を取り上げてみたい。
最初に指摘しておきたいことは、このケースは公共調達ではなく、あくまでも民間調達として扱われているということである。組織委は、東京都から拠出金を受けているなど確かに公的色彩はあるものの、官製談合防止法の射程ではない。同法で定義される「特定法人」には該当しないからだ。
また、関連法令では、組織委員会の役員及び職員は、刑法等による罰則の適用については、法令により公務に従事する職員とみなすと定められているが、組織委の実施する競争入札は、刑法典にいう公契約関係競売入札妨害罪が定める「公の…入札」としては、どうも捉えられていないようだ。これらの法令の対象となるのであれば、手続違背(競争入札を骨抜きにする行為)を違反として構成することには支障はないが、本件は独占禁止法のみでの立件となっている。
独占禁止法違反としての構成は、実施された競争入札において受注調整がなされたことが不当な取引制限に当たるというもので、それだけ見ると確かに単純な構造のように映るが、いくつか悩ましい問題がある。
報道によれば組織委の元次長と電通は、当初は公共契約でいう特命随意契約(組織委の会計処理規程だと「単数見積」と表現されている)を前提に動いていた、とのことである。随意契約で行うか競争入札に付すのかは、民間契約である以上原則自由であり、会計処理規程に応じて必要があれば随意契約を選択すればよいだけの話であるし、そもそもそれは法的要請ではない。
随意契約を前提にするのだから、自然な話、組織委を司令塔にして受注調整をすることに支障はなく、むしろ競争による不確実性を除去し、計画的に五輪事業を遂行することが可能になることを随意契約のメリットとして考えるのであれば、そうすべきである。
しかし、結果として競争入札が選択された。組織委元次長と組織委の上層部との間にどのようなやりとりがなされたのか、断片的にしか報じられていないが、「透明性を確保するため」に上層部がそのように指示したとのことである。公的色彩があるので、そういった体裁に拘ったのかもしれないが、結果として不透明な調整行為が談合事件に発展してしまったことになる。
組織委が組織としてそうした調整の実態を分かった上で形式だけの競争入札を実施したのであれば、そもそも競争制限の対象となる競争それ自体が存在しなかったという法的構成も可能になりそうだが、筆者にはその実態は不明である。
家宅捜索がなされた昨年11月、一部のメディアが、「巻き込まれた」との業者側のコメントを載せたことを覚えているが、確かに、随意契約を前提に受注調整が進められてきたのにも拘らず直前になって競争入札の採用が決まったことで、受注調整が違法な競争制限として「押し出された」格好になったようにも見える。
例えていうならば、サッカーのゲームにおいて、ゴール直前でパートナーだったはずの組織委が急に引いてしまい、「オフサイド・トラップ」のような形になったようなものではなかったか。本当に形だけ、というのであれば、その「体裁だけ整えればいい」という人々を欺くマインドに辟易するし、上層部の見識を疑うが、本当の事情はどうだったのだろうか。
「もらい事故」といいたくなるような業者もいるこの事件、独占禁止法上の更なる論点として、以下の4つを挙げておこう。
第一に、本件は(透明な)競争か(五輪の)成功かといった対立軸で報じられることもあるが、その二択ならば競争を選ばず成功をとるはずだ。そもそも競争を選択するということは五輪を成功させかつそれが費用面で、品質面で合理的になされるという期待があってのもののはずだ。成功を捨てて競争を選択することはナンセンスである。
そもそも国家的大プロジェクトである五輪は、一定の限られた期間において各種業務が大量に発注されるものだ。イベント事業においては電通の他、これを担える業者には限りがあり、また各業者のキャパシティーにも限りがある。需給のバランスを考えると競争よりも計画を重視するのは不自然ではないし、競争的な手続きが採用されたとしても十分に慎重な対応が必要である。だからこそ技術やアイデア重視の総合評価方式が採用されたのだろう。
技術、アイデアといった品質での勝負となると、共同企業体の組み方、再委託先の選択等、業者間での連携が重要な要素となってくる。実質的な競争の制限に至る全体的な「棲み分け」のようなものでない限り、業者間のコンタクトは競争という観点から決して批判されるべきものではない。問題は、発注者である組織委の利益を侵害するような競争の制限があったかどうかである。
第二は、電通の主導的立場が本件では非常に強調されるが、そうであるならば、本件は電通と他の業者との間でなされる不当な取引制限ではなく、電通による支配型私的独占事件として構成した方が事案の実態に則しているように見える点である。発注者側の依存構造の中で、発注者側幹部である組織委元次長とタッグを組んでいる。その立場は主導を超えて、取引相手、競争業者両面への支配でもある、といえるのではないか。
ただ、私的独占規制は公正取引委員会の告発方針ではその対象として書かれているものの、実務上、刑事事件として扱われてこなかった歴史があるので、刑事を前提にした立件に際して、当局の選択肢にはそもそも入っていなかったのだろう。不当な取引制限罪として起訴されてしまった以上、このシナリオを当局が採用することはほとんど期待できない。
第三に、むしろ一番論点となりそうなのは、そもそも競争入札が実施されることが決まってから後、本当に競争制限の合意が成り立ち、その約束、拘束が認定できるのか、ということだ。
独占禁止法違反が成り立つためには、競争制限に向けた意思の連絡と理解される「他の事業者と共同(する)」、互いに相手方の行動を義務付けあう業者間の約束と理解される「相互にその事業活動を拘束(する)」という要件の充足が必要である。
報道を見る限りでは、随意契約の調整においても、競争入札が前提になった後のやり取りにおいても、業者間でどのような情報が共有され、組織委(+電通)と各業者との間でどのようなやりとりがあったのか明らかでない部分が多く、全ての業者に競争制限に向けた意思の連絡が認められるのか不明である。
また、競争入札が本当に機能するものとして採用されたというのであれば、業者によっては競争入札の採用をきっかけに競争的に振る舞うようになったところもあるだろうし、その場合、誰がどのように振る舞うかの予想が付かない状況にある中、自らの行動の制約を置かず、実際に相手方の行動も制約できないというのであれば、競争制限的な約束、拘束は成り立たない、ということになる。誰がどこの案件への応札を考えているかの一覧表の存在が指摘されているが、その存在を知っているだけでは競争制限へのコミットメントとしてはまだ弱いのではないか。
この問題は、個別業者の個別事情によって評価が変わってくるだろう。
第四に、そもそも独占禁止法違反が問題とする市場はどこか、である。不当な取引制限規制は「一定の取引分野における競争を実質的に制限する」行為を違反としているが、競争を制限する合意がテスト大会の計画立案業務に係る競争入札に向けられているものなのか、その後のテスト大会、本番大会の運営業務に係る随意契約も含むものなのかで、ここでいう「一定の取引分野」の射程が変わってくる。
もし前者ならば市場規模は5億円程度と、刑事事件とするにはインパクトが欠ける。この問題は、今後公正取引委員会によって納付が命令されることになる課徴金額の大きさに直結する。課徴金額は違反行為によって影響を受ける範囲の売上に一定率を乗じて算出されるからだ。
テスト大会、本番大会の運営業務まで含めた全体を捉えれば契約金額は総計400億円以上になるとのことである。確かに、当初の入札の落札者が同じ競技についてテスト大会、本番大会の運営業務をそのまま随意契約で受注している。しかし、競争を制限する合意の対象が当初の競争入札に限定され、その後の随意契約は結果として連動しているだけならば、全体を課徴金の算定根拠となる売上にカウントするのは困難である。摘発された全ての業者を巻き込んだ「第2ラウンド」が予想される。
最後に、独占禁止法の問題ではないが、気になる点を指摘しておく。いわゆる指名停止の問題である(今では指名競争入札は少なくなったので競争入札参加資格の停止といった方がよいとは思う)。今、大規模なイベントを担う業者が、多くの公的発注機関から軒並み停止措置を受けた状態になっている。それでもイベントを民間委託の形で円滑に実行する妙手はあるのか。
随意契約は例外とする、関連会社は例外とするといった対応が想起されるが、必ずそれでは指名停止の意味がないと批判されることになる。業界の構造を一変させるチャンスではあるが、石橋を叩きたい国や地方自治体にとっては大手に任せられないのは不安だろう。
電通への依存体質を改めよと識者はいうけれども、「その場を凌ぐ」ことに精一杯な個々の発注者にそれを求めるのは困難であり、まさにここが公正取引委員会の出番ではないだろうか。そうであるならば、支配行為(そして支配構造)に対する排除措置命令が期待できる支配型私的独占規制違反の方が競争政策としては効果的だったのかもしれない。
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