「だまされた点では拉致被害者と同じ」。5月に東京高裁判決
2023年03月14日
3月3日に東京高裁で、原告弁護団が「北朝鮮政府による人権侵害について、北朝鮮政府に責任を果たすよう求める日本初の訴訟」と位置づけた訴訟の口頭弁論が開かれた。控訴審の弁論は1回で結審し、渡部勇次裁判長は判決言い渡しの期日を5月31日と指定した。原告5人のうち1人が亡くなったほか、体調不良の原告も相次ぎ、この日出廷したのは2人。原告からは「私たちの命が足りない。早く勝訴判決を」との悲痛な訴えもあった。
2018年8月に裁判を起こしたのは、東京都在住の川崎栄子さん(80)ら在日コリアンや日本人の男女5人。いずれも1960~70年代に、在日朝鮮人ら約9万3千人が参加した「帰国事業」によって北朝鮮に渡り、2001~03年に北朝鮮を脱出(脱北)して日本に戻った脱北者だ。被告は「朝鮮民主主義人民共和国」で、代表者は「国務委員会委員長 金正恩(キム・ジョンウン)」。総額5億円の損害賠償を求めている。
この裁判には、そもそも北朝鮮政府を被告とする訴訟を日本の裁判所で審理できるのかという「管轄権」の問題が、まず立ちはだかった。「主権国家は他国の民事裁判権に服しない」とする国際慣習法上の原則「主権免除」が適用されると裁判所が判断すれば、中身の審理に入らないまま訴えを却下、つまり門前払いとなる可能性もあった。
しかし東京地裁は訴状を受理して原告側と非公開での協議を重ねた。国交がない北朝鮮の場合、政府を正式に代表する機関が日本国内にないことから、裁判所は掲示板に書類を一定期間貼り出すことで被告・北朝鮮政府に届いたとみなす「公示送達」を実施。被告席が空席のまま、2021年10月に口頭弁論を1回開いて結審した。東京高裁も同様の方法で今年3月3日に口頭弁論を1回開いて結審した。
一審判決は2022年3月23日に言い渡され、東京地裁の五十嵐章裕裁判長は、原告の請求をいずれも退けた。原告代理人の福田健治弁護士は判決の結果には「非常に不当だし納得いかない」として控訴した。ただ「北朝鮮による人権侵害を日本の裁判所が裁くことができるということを示した」とも述べた。
東京地裁判決は、原告が「北朝鮮による一体の継続的不法行為」と主張した一連の行為を二つに分けて当否を検討した。まず北朝鮮が在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を通じて、北朝鮮を「すべての権利が保障された地上の楽園」であるとの「虚偽の宣伝」により北朝鮮への渡航を勧誘したという行為を「勧誘行為」と分類。また、北朝鮮に渡った原告らを北朝鮮内に留め置き、国外への移動を禁じた行為を「留置行為」と分類した。これら二つの行為は「時期、場所、態様及び目的を異にしており、一連一体の不法行為とみることはできない」との判断を示し、「別個の行為」として分離した。
そのうえで、「留置行為」については「被告(北朝鮮)が自国民一般に対して行った出国制限の一環」と認定し、加害行為地、結果発生地がいずれも北朝鮮であるとして日本の裁判所の管轄権を否定。訴え自体を「不適法」として却下した。
一方で「勧誘行為」については日本国内で行われたと認定し、「日本の裁判所が管轄権を有する」と判断した。日本の国内法「対外国民事裁判権法」にいう「国」は、「未承認国を含まない」との解釈を示したうえで、日本政府がいまだに北朝鮮を国家承認していないことから「未承認国に対して当然に民事裁判権から免除するとの国家実行が成立しているとは認められない」として、北朝鮮政府については「わが国の民事裁判権から免除されない」と判断した。
ただし、原告5人が帰国事業で北朝鮮に渡ってからすでに46~58年たっていることから、不法行為から20年たつと損害賠償請求権が消滅すると定める「除斥期間」が過ぎているとも一審判決は指摘。「勧誘行為」については原告の訴えを適法としつつ、損害賠償請求権が消滅しているとして、「時間の壁」を理由に原告の請求を棄却した。
東京高裁の口頭弁論で、原告側の福田弁護士は、まず「一審判決の評価できる点」について意見を述べた。
第一に、判決が「北朝鮮帰国事業をめぐる訴訟としては初めて、原告らが帰国事業に参加し、北朝鮮での厳しい生活と、脱北して日本に戻るまでの経緯について詳細な事実認定を行った」と指摘。帰国事業への「勧誘行為」について、「北朝鮮が朝鮮総連とともに、または朝鮮総連を通じて、事実と異なる宣伝による勧誘を行った」ことにより、原告らを「北朝鮮の状況について誤信し、渡航するとの決断」をさせたと判決が認定した点を意義づけた。
第二に、少なくとも「勧誘行為」について、北朝鮮政府に対する「主権免除」を判決が否定し、日本の裁判所の管轄を認めたことも評価すべき点としてあげた。
福田弁護士は一方で、一審判決が被告の行為を「勧誘行為」と「留置行為」に分解した点について「一部だけを恣意的に切り取り出したもの」と批判。「勧誘の場面と北朝鮮渡航後の出国制限の間には、北朝鮮と朝鮮総連が絶え間なく関与していた」と述べ、改めて二つの行為の連続性に言及した。
その具体例として、
①朝鮮総連が帰国事業に際して帰国希望者の申請書をとりまとめ、帰国者集団を組織し、帰国順位を決定し、赤十字に申請書を提出する全過程をコントロールしていた
②各地から新潟への帰還列車でも、朝鮮総連が引率者の地位にあった
③新潟の待機施設で帰国者は外出が許されず、帰国の意思を翻そうとする者を説得したりだましたりして新潟港から帰国船に乗せた
④帰国者はバスで新潟港の埠頭へ行き、そのまま帰国船に乗るまで朝鮮総連が仕切っていた
⑤帰国船が到着した北朝鮮の清津(チョンジン)港では帰国者が下船しない選択肢はなく、下船拒否者は北朝鮮当局に拘束された
――という一連の経緯について説明した。
一審判決について「行為が①②③④⑤と絶え間なく続いているとき、①と⑤だけを見て別の行為であるというのはたやすいこと」と述べ、判決が「事実の恣意的な切り取りによる過ちを犯している」と批判した。
「帰国事業への参加を決断した者に対しては、実際に北朝鮮の地を踏むまで、絶え間なく北朝鮮政府と朝鮮総連の関与があった」と主張。「国家誘拐行為は、時間的・場所的に連続しており、帰国事業という北朝鮮政府の一つの計画、プログラムの下に行われたものであり、一体性が認められるべきだ」と改めて訴えた。
さらに福田弁護士は、裁判所の管轄権をめぐる「緊急管轄」の法理に触れた。「緊急管轄」とは、国際裁判の管轄が認められず、他国法廷においても民事訴訟を提起できない場合、例外的に自国の裁判管轄を認めるという考え方だ。今回の訴訟に即していうと「北朝鮮の裁判所に提起できないことが自明」であり、「ほかに他国にふさわしい裁判所が存在しない」ことから、本件のような国家的な人権侵害は、日本の裁判所に「緊急管轄」が認められるべき典型的な場合にあたると強調した。
東京高裁の法廷で意見を述べた原告の訴えは悲痛なものだった。川崎栄子さんは「東京地裁では5人の原告全員が弁論をしました。ところが今日、この場に原告は2人しかいません」と語った。原告のうち高政美(コ・ジョンミ)さんが2月3日に亡くなったことや、榊原洋子さん(73)と石川学さん(64)が体調不良のため出廷できない現状を、泣きながら訴えた。
川崎さんは「東京地裁で、私は『私たちの命が足りない』と話しました。それが現実となって今、私たちの前に突きつけられています」と述べ、裁判を早く進めないと「ほんとうに私たちの命が終わりを迎えてしまいます」と力を込めた。北朝鮮に残した子どもや孫たちとの連絡が途絶えていることを踏まえ「北朝鮮が崩壊して家族に再会するまでは、絶対に死にたくありません」との言葉で意見陳述を終えた。
法廷で意見を述べる予定だった石川さんは2月15日に倒れて入院し、急性骨髄性白血病と診断された。しかし「どうしても裁判官に声を届けたい」との本人の強い意向から、病室で撮影された動画が、法廷で上映された。
動画のなかで石川さんは「私が北朝鮮に渡ったのは1972年、まだ14歳の少年でした。朝鮮学校で思想教育を受け、祖国への愛国心、忠誠心が頭の中を支配していた。哀れなのは姉です。朝鮮総連の宣伝を100%信じていた。姉にとって北朝鮮は夢の国、希望の国であり、北朝鮮に行くことで幸せになるはずだった。ところが北朝鮮の現実を見て、理想と180度違うことに失望して、姉は正気を失った」と語った。そして「姉のように命を落とした多くの人のため、法律の力を借りて、北朝鮮の独裁政権が崩壊するまで闘う所存です」と結んだ。
法廷で意見を述べたもう一人の原告である斎藤博子さん(81)と代理人の崔宏基(チェ・クウェンギ)弁護士は、斎藤さんが在日朝鮮人の夫と結婚した日本人妻であり、日本人妻に対しては「3年たったら里帰りできる」と説明されていたことを、他の日本人妻の複数の証言を交えながら説明した。そのうえで、「その後、まさか40年もの間、脱北するまで祖国(日本)の地を踏めないとは、想像できませんでした」と強調した。
崔弁護士は、日本政府が認定した北朝鮮による拉致被害者のなかに、強制的に連れていかれた人だけでなく、「貿易の仕事ができるよ」などとだまされて勧誘され、北朝鮮に渡ったまま留め置かれている人もいることを指摘。「だまされて行った人についても、強制連行された拉致被害者と区別されるものだとは、誰も言いません。だまされて渡った拉致被害者と斎藤さんと、何の違いがあるのですか。斎藤さんも被告(北朝鮮)による不法行為であり、拉致から留置まで一連一体なのだと、ここに訴えたい」と語気を強めた。
また崔弁護士自身、祖母の一人が日本人であることや、母が自分を連れて北朝鮮に帰国しようとしたことがあることを明らかにした。帰国事業を「誘拐行為」と改めて断じたうえで、「日本人であれ在日コリアンであれ、日本に住むすべての人々が被害にあったかもしれない壮大なものでした」と述べた。そして「原告らは地獄から奇跡的に脱出したサバイバー(生き残った人)」であり、「今も地獄に閉じ込められている数万人の被害者のか細い声を、私たちに届けている」のだと、訴訟の意義を説いた。
そして意見陳述を、以下の言葉でしめくくった。「裁判官と傍聴席のみなさん。もし自分がその立場だったらどうしただろう。もし自分の娘が、姉妹がその立場だったらどうなったのだろうと考えながら、原告団の声に耳を傾けてあげてください」
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