メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

自然と文化ふれあう“和のリゾート” 野沢温泉村物語(下)温泉&文化編

【21】温泉とスキーを観光産業の両輪にして村づくりを推進

沓掛博光 旅行ジャーナリスト

 大正12年に村民有志により野沢温泉スキー倶楽部(後、スキークラブに改称)が結成され、スキー場の開設、スキー大会の開催など、スキーを軸にした野沢温泉村の地域振興を(上)編で述べた。(下)編ではその基底にある温泉と文化について紹介する。

 野沢温泉は江戸時代から広く湯治客に親しまれている名湯である。泉質のよさと共に、村民の温泉に寄せる気持ちが訪れる人への優しさとなって伝わっている。湯を守り、道祖神祭りなど地域の信仰を受け継いだ文化との触れ合いの中で観光の人気は高まり、今や内外から多くの人が訪れる和のリゾートになった。

源泉の麻釜は“村の台所” 卵や季節の野菜も温泉で茹でる

 スキー場から今度は日影ゴンドラで麓へ下る。日影駅より動く歩道“遊ロード”で温泉旅館が立ち並ぶ集落に向かうと左手に湯澤神社の杜が見え、ここから径を右手にとると前方にもうもうと上がる湯けむりが目に入ってくる。野沢温泉の代表的な源泉の麻釜(おがま)である。後述する野沢会が所有、管理する地域の共有財産で、90度近い温泉が大釜、丸釜など5カ所から毎分500リットルほど湧く。

 源泉そばへは村人以外は近寄れないが、湯けむりの中に人影がおぼろげに見える。聞けば卵を茹でているという。ここは村の台所とも言われ、野菜を茹でたり、夏ならトウモロコシを茹でたりなど温泉熱を利用したエコロジーな調理場でもある。「ここで茹でた野菜でもトウモロコシでもひと味違うよ」と。温泉の効果が素材のうまみを引き出しているようだ。

もうもうと湯けむり上げる、野沢温泉の主な源泉のひとつ麻釜(筆者撮影)

地域の“湯仲間”が守る「外湯」 旅人にも無料で開放

 村内には麻釜をはじめおよそ30 余の源泉が湧き、旅館や民宿などの各宿泊施設のほか、外湯(そとゆ)と呼ぶ村内の各地域に点在する共同浴場13カ所でも利用されている。

 外湯では近隣地域の人々が朝に夕に自分の風呂として入り、さらにうれしいことには旅人にも無料で開放している。しかもこうした外湯の清掃や電気、水道料などの維持経費はその周辺の住民が湯仲間と呼ぶ組織を作りこれにあたっている。自分達の共有財産である温泉を自らの手で守り、遠来の客にもすすめている。そこには自分達が住む地域のよいものを自慢し、人にすすめる観光本来の姿が見えてくる。

 旅館街のほぼ中心に立つ江戸時代の建物を偲ばせる湯屋造りの大湯に入ると、やや熱めの湯に外国人が入っていた。目が合ってたずねるとオーストラリアのタスマニア島からやってきたという。「この熱い温泉がいい」と額に汗を浮かべて答えてくれた。1週間の滞在予定で、あちこちの外湯を楽しみたいという。村内にはこの他、有料だが、水着を着けて混浴で入れる露天風呂なども設けている「野沢温泉スパリーナ」やシャワーなどの設備が整った現代的な「ふるさとの湯」もある。

 また、野沢温泉村らしい温泉の使い方として毎年11月に収穫した特産の野沢菜を外湯の湯を使って洗う「お菜洗い」がある。近隣の村人同士が専用の時間帯を設けて、収穫した野沢菜を持ち込み、四方山話に花を咲かせながら洗い、家に持ち帰って漬け込むのである。「温泉で洗うと菜っ葉がしなやかになって、旨味がでるね」という。

 ちなみにこの野沢菜は村内に立つ健命寺の住職が今からおよそ270年前、京都に遊学した折に持ち帰った天王寺蕪の種を植えたところ、蕪は小さく茎が大きく延びる野沢菜に育ったという言い伝えがある。健命寺では今も栽培し、“寺種”として維持、保存に努めている。今日ではおいしい漬物の代名詞としてその名は全国に知られるようになった。

風情ある湯屋造りの大湯の外観(左)と女性用の浴室

前編の「自然と文化ふれあう“和のリゾート” 野沢温泉村物語(上)スキー編」はこちら

・・・ログインして読む
(残り:約4727文字/本文:約6347文字)