イタリアの改革に映る医療の論理と障害者の論理の溝
2023年04月03日
脳塞栓(そくせん)症の後遺症で障害を抱えつつ、人類学研究にとりくむ三谷雅純さんの連載「〈障害者〉と創る未来の景色」の9回目は、前回に引き続き、精神障害者と社会のかかわりがテーマです。イタリアの精神医療改革についての精神科医の論理を紹介し、それが障害者の論理とかみ合うようにするにはどうすべきかを考えます。
今、厚生労働省は精神科病院に入院していた患者を退院させ、地域に戻すよう病院関係者や地方自治体に働きかけています。しかし「言うは易く行うは難し」でなかなかうまくいきません。なぜかといえば、前回の2023年03月07日付論座「精神障害者への虐待が繰り返されるのはなぜか」で指摘したように、実態として施設数の8割以上をしめる私立精神科病院では、経営を円滑に進めるためには、おいそれと「患者」を退院させるわけにはいかないという病院側の事情があるからです。
精神科病院の病床数はわずかに減ったもののほとんど変わっておらず、現在でも30万床以上あります。入院期間も世界に類を見ないほどの長期入院で、1年以上入院していた人が20万人以上もいるのです。そのうえ、受け入れる住民の側にも精神障害者が近くに来るのは嫌だという思いがあります。病院は患者を出さず、地域は精神障害者を拒否するでは、障害者としては立つ瀬がありません。このような日本の現実と対比して語られるのがイタリアの精神医療システムです。
ヨーロッパでも、最初は「精神病者」を特別視して、社会から排除しようとした歴史があります。ナチス・ドイツが行った「T4作戦」と呼ばれる障害者の強制的な「安楽死」は有名です。ナチス・ドイツはダーウィンの進化論をねじ曲げ、「社会を弱体化させる劣性遺伝子を取り除くため」と称して、精神障害者をはじめ知的障害者や身体障害者など多くの人を「安楽死」させました。現実には「安楽死」などではなく「ガス室でのホロコースト」です。社会では優秀な遺伝子が求められているからという理屈です。その考え方の根はヨーロッパのあちこちにあったのですが、やがて人びとの粘り強い主張から「T4作戦」のような露骨な障害者の虐待は、表面的にはなくなりました。ただ人びとの潜在意識に障害者は非障害者とは別ものだとする感覚が残り続け、精神障害者は精神科病院に隔離するものだと見なされたのです――日本の現状と同じです。その発想を転換して、イタリアの精神医療に革命をもたらしたのがフランコ・バサーリアというひとりの精神神経科医でした。
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