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【がんと向き合う⑬】生き抜く覚悟、感謝を込めて

友人の九鬼伸夫医師との対話【下】

隈元信一 ジャーナリスト

 ジャーナリスト、隈元信一さんの連載「死を見つめる がんと向き合う」最終回です。友人で医師の九鬼伸夫さんとの対話が続きます。(対談の〈上〉はこちらです)

「生命力の泉」の源は

リモートで医師の九鬼伸夫さん(左)と対談する筆者

九鬼 がんを治すことはできないまでも、打ちのめされて死んだように生きることにならないために、どうしたらいいのか。僕の言葉で言うと、自分の「生命力の泉」みたいなものを持っていないと難しいのじゃないか。あなたの場合は、それが何だったっていうことはありますか。

隈元 何かなあ。初期の段階では「とにかく生きるぞ!」っていうか、「死なないぞ!」っていうことかなあ。

九鬼 それは、負けじ魂みたいな、あなたが元々持っているものだね。

隈元 自分が気弱になったために死んじゃうようなことだけは避けたいと思ったんだな。やっぱり気力が充実していないと負ける可能性が大きい。

九鬼 そのために何をしたとか、心がけたっていうことはある?

隈元 ラッキーだったのは、その時目の前にいる医師が信頼できたってことだと思う。大森赤十字病院の先生に対して、僕は「この人は信頼できる」って思った。出発点のところで患者と医師の二人三脚ができたのが大きかった。

九鬼 それは素晴らしい。運を呼び込んだとも言えるかもしれないね。

隈元 それこそ必死に痛み緩和の放射線照射をしてくれる専門病院を探してくれて「いくつか候補があるけど、どうしますか」っていうことで、結果的に東邦大学医療センター大森病院のお世話になることになった。

 さっきの話と重なるけど、とにかく生きようと、そのためには信頼できる医者と二人三脚で走ろうってことかなあ。一人だけではどうしようもないことは明らかだから。あと、「生命力の泉」で言うと、学期途中では死にたくないって思ったことが大きかったかな、大学のことだけど。

九鬼 連載の中で、学生さんたちとのことを書いた回は、とりわけ感動的でした。

隈元 学期途中では死にたくない。僕はそう強く思っていたし、学生たちの励ましがまた、すごく力になった。

九鬼 書く仕事や授業は、もちろん大変だし、ストレスだと思うけど、「生命力の泉」の大きな湧水源でもあったんじゃないかな。

 僕はあなたのことに関わって1年半、自分には今のところがんは見つかっていないけど、年もとってきたし、遠からず必ず死ぬ。そう考えた時に、俺は何を大切にして生きるかってことが頭を離れなかった。あなたから随分そういう刺激をもらった。健康診断なんかも、自分が仕事を通じて社会にコミットし、役に立てているってことが自分の支えになるし、それがないと泉の一つを欠いた状態になるって思うようになった。

 がんになったからって、仕事を辞めて治療に専念ということではなく、可能なら仕事を続けた方がいいのかもしれない。仕事だけでなく、いつもしていることの意味や価値を再点検せずにはいられなかった。

隈元 うん、コロナ禍やウクライナ戦争などでたくさんの人が不慮の死を遂げているのを見ると、どうせ死ぬにしても生きる余地がある人間は、その余地を充実させるようにがんばった方がいいんじゃないかなということは感じるよね。

家族への感謝を忘れずに

九鬼伸夫さん
九鬼 終末期の医療については、キューブラー・ロス(*)の説が有名でしょ。末期がんを告知された人は、否認と孤立の時期があって、取引の時期があって、抑うつの時期があって、ようやく受容に至るっていうふうな。あなたからはポジティブな話しか出てこないけど、自分の置かれた状況を否定したり、怒りみたいなものがこみ上げて身近な人に当たったり、何もする気がなくなったり、そういう時期はなかったの?

隈元 簡単に言えば、いきなり受容だった気がする。抑うつも怒りもあることはあったけど、なるべくそれを家族に向けないように努力はしてました。工夫して食事を作ってくれたり、毎度病院や大学まで送り迎えしたりしてくれているのに、そんなことをしたら申し訳ないでしょ。実際には覚えていないだけで、怒りをぶつけたこともあったかもしれないけど、「こんなに世話をしてくれてありがとう」という感謝の気持ちが強いです。きれいごとすぎるかもしれないけど。

九鬼 偉いねえ。病人がいると、家族全体が大変だし、ピリピリしてしまうことが多い。怒りがわいても家族に向けない。向けちゃったら謝る。これ、大事かも。

隈元 重病人を抱えていても明るい家庭って、まず患者本人が明るいという印象があるんだな。例えば僕が取材で知り合って、家族同様の付き合いをもらった落語家の春風亭栄橋さん(故人)の一家なんかそうだった。重いパーキンソン病で高座に上がれなくなっても、冗談を言い合って家に笑いがあった。おカミさんやお子さんが明るい人なのも幸いした気がする。

九鬼 俺はネクラだから、その真似はできそうにないな。今日はありがとう。

 *エリザベス・キューブラー・ロス 1926年、スイス・チューリッヒ生まれの精神科医。チューリッヒ大学に学び、その後、渡米。65年にシカゴ大学ビリングズ病院で「死とその過程」に関するセミナーを始め、69年に200人への面接で死に至る人間の心の動きを研究した『死ぬ瞬間―死とその過程について』を出版。国際的ロングセラーになっている。

これまでの連載はこちらでお読みいただけます。

体験からのアドバイスとあきらめない覚悟

 この対談も踏まえて、最後に、あなたや周囲の人ががんを告知された時に役立ちそうな、体験者からのアドバイスを補足したい。

 まず、がんを告知されて介護が必要になったら、病院以外に相談できる所として、介護保険法によって自治体に設置されている「地域包括支援センター」を活用されたらいいと思う。保健師や看護師らが、その地域に住んでいる高齢者や家族から、介護・福祉に関して総合的な相談に応じている。我が家の場合、介護認定手続きはどうしたらいいか、などの相談に応じてもらった。

 それから、よく聞かれたのが「お金かかるんでしょ?」という質問だ。これはもう十人十色と言うしかない。がんと一口に言っても、一人一人が病気も違えば、治療法も違う。高額医療制度で、ある金額以上は払ったお金の一部が返ってくるが、これまた収入などによって違うから、一概には言えない。

 一つだけアドバイスするなら、介護用品は購入するより、レンタルの方がお薦めだ。我が家の場合、介護用ベッド、歩行器、杖など、全てレンタルにしている。最近、歩行器が壊れたが、すぐに新品に交換してもらった。購入していたら、新品の購入代金が新たに必要になるところだった。

 歩行器も杖もレンタルにしておけば、その時の病状などによって、そのつど取り替えることができる。今は車椅子が不要になった私にとって、レンタルだから引き取ってもらえたのはありがたかった。全部買っていたら、大変だったと思う。

 もう一つ、医学・医療は日進月歩ということだ。私が医療取材をしていた35年前はもう大昔に思えるくらい、日々進歩している。だから、諦めることはない。この連載でも最近開発された新薬がいくつも出てきたように、がんばっていれば、思わぬ新薬や治療法が登場しないとも限らない。

 だから連載最後の言葉はやはり、これしかないだろう。

 がんを張り倒す勢いで、がんばろう!

 長い間のご愛読、ありがとうございました。医療関係者、家族、友人、学生、『探訪 ローカル番組の作り手たち』の刊行にご支援いただいた方々などに加えて、この連載の読者からの励ましがどんなに力になったことか。

 本当にありがとうございました。