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「株式会社シンクタンク」は “無駄で不可欠な”財産であれ

「日本の民主主義に必要な組織」という社会的合意を得よ

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

 2023年2月、システム大手の電通国際情報サービス(ISID)は、2024年1月1日付で社名を「(株)電通総研」に変更すると発表し、3月の株主総会で承認された。100%子会社のシステムコンサル2社の吸収合併とともに、親会社・電通グループ傘下で日本事業を統括する子会社「dentsu Japan」内の調査・提言組織「電通総研」を同社に移管することも含めて、「コーポレートブランドの一新を通して案件および人材の獲得力を高め、長期に渡る持続的な成長」とする予定だという。

電通本社ビル=2023年2月28日午後5時43分、東京都港区電通本社ビル=東京都港区

 筆者略歴のとおり、就職活動でシンクタンク業界を選び「株式会社電通総研」に新卒入社した者として、心穏やかではない。個人的思いは「1990年代、電通総研が示した可能性と限界──政策シンクタンク不在の日本の25年にも光明の兆しはあった」(「論座」2018年2月16日)に譲って割愛し、本稿ではこのニュースを契機としたシンクタンクのあり方論を述べる。

政策意志決定の十分な選択肢を用意するのは、誰か

 その拙稿のサブタイトルに記した「政策シンクタンク不在の日本」のとおり、結局政権交代がなされない日本において、政策意志決定の十分な選択肢を用意するという点でのシンクタンク機能は、政権与党に対しては長らく巨大組織・霞が関が担ってきた。一方、野党のシンクタンク機能はごく最小限の組織(党の事務局、国会両院事務局、支持団体事務局など)が担うのみで、それが定常的な政権交代が実現しない一因でもあった。

 欧米に数多い独立系シンクタンクや政党系シンクタンクのように、税金に支えられていない組織が実現可能性の責任を携えて分厚い政策議論を行うことで、経済を含めた政策に十分な選択肢を提示し、それが長期的視野で国民に幸せをもたらす、ということが結局日本国内で実現していない。

 日本の戦後史だけを見ても、個々の企業、その創業株主、篤志家などが設立した政策提言組織、及び立案を担う人材育成の場は数多くあり、現存するものしないもの、様々である。その中で1960年代以降、金融や重電系製造業や総合商社が、社内の市場調査部署に「総合研究所」と名付けて別法人化し、人材の専門性と情報発信の客観性を打ち出し、同時に親会社のブランディング(評判と収益の長期的安定)に資する存在と位置付けた、というのが日本独特の「株式会社シンクタンク」であった。

 その会社はいずれも、高度な知的能力を持つ人材が在籍するゆえに、親会社からの包括委託だけでは高い人件費との採算が成り立たない。そのため、調査・提言スキルの副産物として企業グループ内外の市場調査や顧客社内調査(リサーチ)の受託、それら調査結果を活かした経営計画・事業開発・業務改善等の顧客内検討業務(コンサルティング)の受託、その検討結果を活かした社内実行支援(社員研修や取引先候補の引き合わせや販売促進など)も受託し、とりわけ実行用定型ツールとしてコンピューターシステム構築運用を受託する、という業容拡大の歴史をたどってきた。

 結果として、大手の「株式会社シンクタンク」はいずれも、調査・提言部署+コンサルティング受託部署+ITシステム受託部署、という社内(子会社化含む)構造となり、収益構造及び人員構成上はITシステム受託部署が大半(企業によっては9割以上)という業態になった。各社のITシステム受託部署の従業員は「総研」の社名に特段の違和感なく、自身の職業をシステム・インテグレーターと認識してITシステム開発業務を行っていると思われる。

 その複合業態株式会社は、1990年代の日本総合研究所を最後に出揃ったものと筆者も思っていたが、30年以上ぶりの典型的大手「株式会社シンクタンク」業態を作るというのが、冒頭に紹介したISIDのニュースであった。驚かされたのは、その複合業態を2024年から作ることのメリットが、今の電通グループ及びISIDにあるのだろうかという疑問ゆえだ。

 「ISID」や「電通国際」の通称は、例えば「日鉄ソリューションズ」同様にすでにITシステム業界で十分な高評価を得ており、それゆえに両社とも上場企業足りえている(株式の過半数は親会社保有)。その上で、今後の営業活動をブランドアップ(単価上昇+安定継続)させる名称として「総研」が機能するとはきわめて考えにくい。上場企業である野村総合研究所や三菱総合研究所は50年以上の歴史を経て構築したビジネスの基盤があり、「総研」の名があったからITシステム事業の評価や実績が確立したとは到底思えない。

社外への提言を、社内に胸張れぬ萎縮感

 調査・提言を担う部署に視点を戻すと、そのような大規模株式会社の極小部署であるがゆえに、親会社やシステム開発部署から採算性の低さを非難・糾弾される歴史は各社ともに基本的になかった、と認識している。しかし一方で「総研」ブランド保持の効果について評価や感謝をされるわけでもない。経営指標的にはのれん代と恒常的人件費赤字のバーターで現存している状態、社内の評判としては取り潰されはしないが企業グループに関係の薄い活動はしづらい状態、という現場感覚にならざるを得ない。

 とりわけ日本や世界全体を対象とする政策や社会動向についての大上段の提言、そのための独自調査や人脈形成について高品質な情報発信をしてもなお、「理事長」「研究所長」等のトップからサポートする「研究員」まで肩身が狭い、企業グループ外には胸を張ってもの言っても、グループ内そして社内に胸を張って仕事を語れない、という萎縮感はどの会社においても疑いのないところだ。

 筆者は現在、有志団体「日本シンクタンク協議会」での議論に参加する機会を得ているが、その萎縮感は、大手シンクタンク各社(調査・提言部署の管理職層)の声としてもひしひしと伝わってきてしまう。彼らにはもちろん描きたいシンクタンクの理想像はあり、多くの会社は自社web上にシンクタンク志向の声明文や概念図も掲載している。

 しかし現実には、非営利活動である提言情報の発信活動と、営利事業である受託調査・コンサルティング活動との両立を、一個人あるいは数人~数十人の部署レベルで両立させなければならない苦しみを抱える。

 その両者はスキルがほぼ同一であり、しかも①提言情報の発信が営利事業の宣伝となりうること、

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