2023年04月24日
人知れず発達障害で苦しむ人は少なくありません。また、発達障害当事者であることを当人たちが気づかないまま過ごしているケースもあります。
私が取材したAさん(27歳女性)もその一人。小さい頃から周囲と不和を起こしがちでしたが、当人は「発達障害であるとは知らなかった」と言います。
社会人になって勤めていた会社内でいじめられた結果、心を病んで病院に行ったところ、そこではじめて自身が発達障害であることを知ったそうです。意外にもAさんは、発達障害当事者と自覚することで、「生きやすくなった」のだと言います。
そこで障害者雇用に切り替えて働き始めたものの、やはりまた「事件」が起き、「春からは発達障害であることを隠して生きていく」と決意されました。なぜなのでしょうか。
Aさんのこれまでを振り返ることで、発達障害当事者への社会の無理解が見えてきます。
はじめに明かしておきますが、実は筆者の私も発達障害の当事者です。それだけに、Aさんの話には共感するところが少なくありませんでした。
発達障害であることに気づかなかったとはいえ、Aさんは「小さい頃から周囲と馴染めないでいました」と言います。後から振り返ると、発達障害当事者としての症状は、小学生の頃から出ていたのだそうです。
当時流行っていたシールを「仲良し」のお友達が持っているのを見て、「あげる」とも言われていないのに勝手に奪ってしまうなど、さまざまな場面でちょっかいを出して、泣かせてしまっていたのだと言います。
「でも私には、まったく悪気はありませんでした」。また、そのお友達が他のクラスメイトと仲良さそうにしているところを見ると、「何か気に食わなくて、嫌がらせをしていた」そうです。このあたりからすでに「周囲の気持ちが汲み取れない」というASD(自閉スペクトラム症)の特徴を見て取れます。
中学生になって落ち着いた症状は、高校生、大学生と成長にするにつれて、また大きくなっていったそうです。
大学生のときには、授業中に「お腹が空いた」と感じたら、その場で1人買ってきた牛丼や弁当を食べ出すこともしばしばあったと言います。また、アルバイト先でコンビニのレジ打ちを年上の同僚がしてくれなかったときには、レジ打ち台を強く叩きつけて怒りを表現したり、いきなりアルバイト先を辞めてしまったりなどもしたそうです。
社会人になってからも、Aさんの苦しみは続きます。
最初に就職したホテルでは、周囲の意見に合わせられず孤立してしまうこともしばしばあったとか。スタッフ全員が持ち回りのメールチェックの業務を他の人にすベて任せきりにしてしまうことなどもあり、職場の同僚から反感を抱かれるようになっていったと言います。
その後もうまく周囲と馴染めなかったAさんは、二度の転職を繰り返し、3社目の会社で「事件」が起きました。
この会社では、いじめのような扱いを受けるようになってしまったAさん。頑張って作成した業務レポートを見ずに捨てられてしまったり、「Aさんの髪型、変だね」と言われあざ笑われたりなど、散々な仕打ちを受けた結果、ついに心を病んでしまい、病院の精神科に受診しにいくことを決意します。
しかし、それがAさんの転機になりました。
そこで医師から、適応障害であることと、発達障害であるADHD(注意欠如・多動症)・ASD(自閉スペクトラム症)を併発していることを伝えられました。Aさんはその事実を聞いて意外にも驚くことはなく、むしろ「あぁ、そうだったのか」と納得したそうです。
気分の上下が激しいことや、物忘れがひどいこと、タスク管理ができないことなど、今まで悩んできたことの数々が「発達障害だったから」と説明がついたことで、「気持ちが楽になった」と言います。
発達障害であることを知ったAさんは会社と交渉し、「障害者雇用」に切り替えて働くようになりました。会社も「働きやすい環境を提供しやすくなる」と、Aさんの決意をすんなりと受け入れてくれたそうです。
清掃部門に異動したAさん。自分のペースで働くことができる大浴場の清掃を担当し、しばらくの間は問題なく働けていました。「与えられた仕事は、ペースを乱されなければ集中して完遂できる」というAさんにとって、大浴場の清掃の仕事はちょうどよい仕事だったのかもしれません。
しかし、しばらくして、また「事件」が起こってしまいました。
大浴場の清掃にはタイムリミットがあり、それまでに終わらせなければなりませんでしたが、当時Aさんに任せられていた清掃業務の量は、毎回、タイムリミットのギリギリにようやく終わるほど多かったと言います。Aさんは普段から「業務量が多い」とマネージャーに伝えていたものの、人材の配置転換などについて、会社は考えてくれなかったようです。
大浴場の営業が終わるのが22時だったため、清掃は22時開始と決められていましたが、その日、Aさんは「早く清掃を終わらせるために」10分早くから掃除を始めてしまいました。そのAさんの姿を見て、浴槽を清掃する他部署の男性スタッフが大浴場に入ってきたところ、まだ女性客が着替えていたため、Aさんは「まだお客様がいます」と浴槽の清掃スタッフたちに伝えます。すると1人の女性スタッフが「何で先に言わないのよ!」と声を荒げました。それに「カーッとなった」Aさんは、思わず大声でまくしたててしまいました。
その「事件」の後、人事部と面談をしたAさんは、「感情を抑えられない状態では、お客様にも迷惑をかけてしまう。だから今は病院に行って、治療に専念した方がいい」と言われてしまいます。さらに、「もっとAさんの発達障害を理解してくれる会社がある」と、「辞めてくれ」とは言わないものの、やんわりと転職を勧められてしまいました。
休職・退職ともにしたくなかったAさんでしたが、会社側はAさんが職場復帰することを認めなかったので、しぶしぶAさんは休職期間に入ります。会社からは「戻る場所はない」「Aさんの居場所はない」と言われ続けたため、転職活動を始めたものの、結果はなかなか出ませんでした。
ハローワークに相談に行くと、「それは退職勧奨されているようなものだから、労働基準監督署に相談した方がいいですよ」とアドバイスされたAさん。労働基準監督署の職員にも、「監督署としては、退職させないでください、としか言えません」と言われました。
最後の「頼みの綱」である労働組合に相談に行ったところ、ようやくAさんは復職できたと言います。しかし労働組合に所属している社員は、「私のことを思って復職のために動いてくれたわけではなかったと思います」と話すAさん。というのも、労働基準監督署と労働組合の間で何らかのやり取りがあったことを知ったから。
つまり、労働基準監督署と労働組合、両方に相談したからこそ、Aさんは復職できたのです。
Aさんは今春から他の企業に転職することが決まりました。そこでは障害者雇用としてではなく、正社員雇用で働くのだと言います。なぜでしょうか。
「障害者として転職活動をしても、希望の会社・職種で受かるのは難しいことを知ったためです。何社も受けましたが、すべて書類選考で落ちてしまったんです。そうとなればもう、発達障害者であることを隠して転職活動するしかありませんでした。もうこれ以上、あの会社にはいたくありませんでしたから」
発達障害者に対して「もっと理解してほしい」というAさん。「発達障害者であることを隠さずに言える世の中になってほしいです」。
Aさんは日頃から、発達障害者である自分を克服しようと、ライフハックを見つけようと努力されているそうです。「コミュニケーションの練習をするために、訓練をしてくれる発達障害者向けのNPOに通うことも考えています。私がしてほしいことを周囲にお願いするだけではダメかな、と思うので」と話してくれました。
最初にも述べましたが、私も発達障害です。Aさんの発言には共感するとともに、社会全体がより発達障害当事者への理解を進めてくれるよう、願うばかりです。
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