月森ちゃみ(つきもり・ちゃみ) ライター
日本・世界各地の「観光地」「グルメ」の魅力を多くの人にお届けする旅ライター。発達障害理解を世に伝えるため、当事者としてもNPO団体や発達障害支援センターにて活動中
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
人知れず発達障害で苦しむ人は少なくありません。また、発達障害当事者であることを当人たちが気づかないまま過ごしているケースもあります。
私が取材したAさん(27歳女性)もその一人。小さい頃から周囲と不和を起こしがちでしたが、当人は「発達障害であるとは知らなかった」と言います。
社会人になって勤めていた会社内でいじめられた結果、心を病んで病院に行ったところ、そこではじめて自身が発達障害であることを知ったそうです。意外にもAさんは、発達障害当事者と自覚することで、「生きやすくなった」のだと言います。
そこで障害者雇用に切り替えて働き始めたものの、やはりまた「事件」が起き、「春からは発達障害であることを隠して生きていく」と決意されました。なぜなのでしょうか。
Aさんのこれまでを振り返ることで、発達障害当事者への社会の無理解が見えてきます。
はじめに明かしておきますが、実は筆者の私も発達障害の当事者です。それだけに、Aさんの話には共感するところが少なくありませんでした。
発達障害であることに気づかなかったとはいえ、Aさんは「小さい頃から周囲と馴染めないでいました」と言います。後から振り返ると、発達障害当事者としての症状は、小学生の頃から出ていたのだそうです。
当時流行っていたシールを「仲良し」のお友達が持っているのを見て、「あげる」とも言われていないのに勝手に奪ってしまうなど、さまざまな場面でちょっかいを出して、泣かせてしまっていたのだと言います。
「でも私には、まったく悪気はありませんでした」。また、そのお友達が他のクラスメイトと仲良さそうにしているところを見ると、「何か気に食わなくて、嫌がらせをしていた」そうです。このあたりからすでに「周囲の気持ちが汲み取れない」というASD(自閉スペクトラム症)の特徴を見て取れます。
中学生になって落ち着いた症状は、高校生、大学生と成長にするにつれて、また大きくなっていったそうです。
大学生のときには、授業中に「お腹が空いた」と感じたら、その場で1人買ってきた牛丼や弁当を食べ出すこともしばしばあったと言います。また、アルバイト先でコンビニのレジ打ちを年上の同僚がしてくれなかったときには、レジ打ち台を強く叩きつけて怒りを表現したり、いきなりアルバイト先を辞めてしまったりなどもしたそうです。
社会人になってからも、Aさんの苦しみは続きます。
最初に就職したホテルでは、周囲の意見に合わせられず孤立してしまうこともしばしばあったとか。スタッフ全員が持ち回りのメールチェックの業務を他の人にすベて任せきりにしてしまうことなどもあり、職場の同僚から反感を抱かれるようになっていったと言います。
その後もうまく周囲と馴染めなかったAさんは、二度の転職を繰り返し、3社目の会社で「事件」が起きました。
この会社では、いじめのような扱いを受けるようになってしまったAさん。頑張って作成した業務レポートを見ずに捨てられてしまったり、「Aさんの髪型、変だね」と言われあざ笑われたりなど、散々な仕打ちを受けた結果、ついに心を病んでしまい、病院の精神科に受診しにいくことを決意します。
しかし、それがAさんの転機になりました。
そこで医師から、適応障害であることと、発達障害であるADHD(注意欠如・多動症)・ASD(自閉スペクトラム症)を併発していることを伝えられました。Aさんはその事実を聞いて意外にも驚くことはなく、むしろ「あぁ、そうだったのか」と納得したそうです。
気分の上下が激しいことや、物忘れがひどいこと、タスク管理ができないことなど、今まで悩んできたことの数々が「発達障害だったから」と説明がついたことで、「気持ちが楽になった」と言います。