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母の“いのちの選別”をつきつけられた私の罪責

「ただ生きていること」が肯定される世界を目指して

白崎朝子 介護福祉士・ライター

実母の延命治療を望むか? 突然の問いに……

 カーテンを開ける気力もなく、まるで光のない深海の底にまで落ちたような精神状態だった。

 一人息子にも、友人にもメールも電話もできなかった。ともに暮らして13年の猫のRが、ベッドに臥したままの私の肩に手を置き、私の頬に顔を寄せ、ずっと添い寝をしてくれていた。

拡大筆者のネコ、R

 2021年5月15日、知らない携帯番号から着信があった。

 「誰だろう?」と思いながら話すと、「世田谷保健所の保健師の●●です。お母様の入所されている施設で、新型コロナウィルスの感染者(以下、コロナと略す)が出て、お母様も検査の結果、陽性になりました。症状はありませんが、感染が拡大しないよう、勧告入院していただきます」という趣旨の内容だった。私はパニックとなり、保健師の名前を聞き返し、メモすることもできなかった。

 入院の事務手続きや搬送などは保健所が全部するという説明のあと、「ちなみにお母様の延命に関して、積極的な治療を望みますか?」といきなり問われた。

 コロナ禍になって1年以上、介護現場の取材をしていて、延命措置を希望すると救急搬送してもらえないという高齢者施設の話を聴いていた。私は思わず、「入院できただけでもありがたいです。母はもう88歳ですし、以前から延命は希望しないと言っていましたから……」と言ってしまった。保健師は「言いにくいことを伺い、申し訳ありません」と言った。

 そして、私は電話を切ったあと、1週間近く、日頃の言動と矛盾した自分の言葉に苛まされた。母の死刑執行ボタンに手を掛けたような、そんな罪責感にとらわれた。冒頭に記した、深海の底に落ちたような鬱状態となった。日頃、ともに活動している障害者運動の仲間に顔向けができないとも思った。

内なる優生思想との対峙

 このとき、私を深海の底から救い上げてくれたのはHさんだった。

 Hさんは世田谷保健所の対応に怒り、「すぐさまお母さんの病院に電話して、『延命措置は望まないと言ったことを撤回する』と伝えた方がいい」と助言してくれた。

 私はその助言を聴き、我に返った。そして、すぐに母の入院している病院に電話をし、病棟の看護師に「保健所から延命措置を希望するかどうか聞かれ、『延命しなくていい』と言ってしまいましたが、やはり、延命を希望します」と伝えた。

 すると看護師から、「お母様がそういう状況になったときには、改めて医師からご家族に連絡がいきますから、大丈夫ですよ」と言われた。私は少しホッとして、その日(5月23日)の午後にあったシンポジウムの席に座ることができた。

 私は高齢者に及んでいる“いのちの選別”について、シンポジストとして話す予定だった。保健所からの電話はシンポジウムの8日前だった。私はシンポジウムで、自らの発言を全国の障害者運動の仲間に懺悔し、家族として“いのちの選別”を、突きつけられた葛藤を話した。

 そのときから2年近くたつ。しかし、いまでも、なぜ、「延命を希望する」とすぐに言えなかったのか……と繰り返し、問うている。だがいまだに、その答えはでない。自らのうちに深く潜在する優生思想なのだろうか。

 そして、母の延命について話したシンポジウムに参加していた「論座」前編集長の松下秀雄さんから依頼された原稿も、何度も書きかけては中断した。

 私の体験を障害者運動の仲間に伝えたところ、コロナに限らず、「延命措置を希望するなら入院継続はできない」「延命措置を希望するなら、リハビリのために転院する病院は受け入れない」などと医療機関から突きつけられ、家族として苦しんだ人たちからメールを頂いた。奇しくも、そのご家族たちは医療関係者だったため、医療機関がそうせざるを得ない構造的な問題を理解しつつも、かなり抵抗していた。それでもやるせない気持ちを伝えてきてくれた。

 そして、昨年2月。母は老衰で穏やかな死を迎えた。2年前、もし母がコロナで亡くなっていたら……私はとてつもなく、辛かっただろう。

 遺体の母はいままで見たこともない穏やかで、無垢な表情だった。あまりにも壮絶な人生を生きた母の柔らかな死に顔は、私には赦しに思えた。彼女は最期に、私を救済し、いのちを終えた。

 この論考では、コロナ禍の3年間で、私のごく身近で起きた“いのちの選別”を中心に、取材し、考察してきたことを振り返ってみたい。


筆者

白崎朝子

白崎朝子(しらさき・あさこ) 介護福祉士・ライター

1962年生まれ。介護福祉士・ライター。 ケアワークやヘルパー初任者研修の講師に従事しながら、反原発運動・女性労働・ホームレス「支援」、旧優生保護法強制不妊手術裁判支援や執筆活動に取り組む。 著書に『介護労働を生きる』、編著書に『ベーシックインカムとジェンター』『passion―ケアという「しごと」』。 2009年、平和・ジャーナリスト基金の荒井なみ子賞受賞。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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