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写真・図版 : 大石芳野 ラオスとタイの国境で

大石芳野 ラオスとタイの国境で

  • 写真・図版 :  「毎年5月から9月にかけては雨期のため雨が多い。土砂降りのなかを走る子ども(プノンペン、1980年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : レー・ティー・ハイ(80)は解放軍兵士の夫と3人の息子、2人の孫を戦闘で失った(ベトナム・ベンチェ省、1982年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 農婦ノン(28)の父ルック(68)は南政府軍に徴兵され左脚を失った。夫バン・エバン(35)は枯葉剤の影響を受け、息子トゥイ(8)の背骨は歪む(ベトナム・タイニン省、1995年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 幼児ほどの背丈と知能しかないトゥー(14)の父は南政府軍に徴兵され、森の戦闘で枯葉剤を浴びた(ベトナム・ソンべー省、1987年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 国境北側にも撒かれた枯葉剤で樹や作物を失い、地下壕で長くて激しい戦いを生き抜いたジェム(60)(ベトナム・ヒエルーン村、1982年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : タバコ、アメ、水などを売る子どもたち(ベトナム・フエ郊外の国道沿い、1982年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 虐殺現場は仏寺境内や学校裏庭、ゴム林、田んぼ、雑木林、草原など全土にあった。目撃した人も少なくない。ひとつの穴から約200体、合わせて3000体近くの犠牲者が掘り起こされていた(カンボジア・カンダール州、1980年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 再教育センターの旧ポル・ポト政権幹部。1979年に1000人以上いた“生徒”も、1981年5月には300人に減った。タケオ州では住民の30%が旧ポル・ポト政権の幹部や要員という(カンボジア・タケオ州、1981年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 全土のどこでも、闇を見つめているような表情がそここにある(カンボジア・プルサット州、1980年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : ようやく解放されたものの、成人は年齢よりも老け、子どもは成長が遅くて身体つきが小さい(カンボジア・バッタンバン州、1980年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 集落前の田畑で不発弾処理。UXO Lao(ラオス不発物処理機関)が全土で作業を開始した1994年以降の死傷者は減少している(ラオス・シェンクワン県、2005年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : ウータイ族の集落で1年前にMk82型爆弾が見つかったが、爆発装置の安全弁が外せず放置されたまま(ラオス・サワンナケート県、2005年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : ヌット(15)は通学途中に焚き火で温まっていた時、不発弾が爆発した。「気がついたら倒れて、体中が痛く、左手と左膝に後遺症が残る。字を書くのが不自由だが、将来は看護婦になりたい」(ラオス・ホアパン県、2008年)©Yoshino Oishi
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