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写真・図版 : スタシャック・レオンは、殺害のためにアウシュヴィッツ強制収容所に移送された。人間の尊厳を否定し、動物以下の扱いを受けた犠牲者、自分の目撃したことは何ひとつ忘れない(ポーランド・ワルシャワ、1988年))©Yoshino Oishi

スタシャック・レオンは、殺害のためにアウシュヴィッツ強制収容所に移送された。人間の尊厳を否定し、動物以下の扱いを受けた犠牲者、自分の目撃したことは何ひとつ忘れない(ポーランド・ワルシャワ、1988年))©Yoshino Oishi

  • 写真・図版 : 米軍は「誤爆」と発表したが、付近一帯の住宅が破壊され、死傷者がでた。ここに遊ぶ子どもたちも「もの凄い爆音だった」(アフガニスタン・カンダハル州、2003年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : ラサー(28、前列右)はタリバンに村を襲撃され、逃げるときに夫が銃で殺された。姑や姪たちと破壊された我が家で途方に暮れる(アフガニスタン・カブール、2002年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : オミッド(10)の父親は戦死し、貧しさゆえに学校に通えない。パチンコで小鳥を捕って遊ぶ(アフガニスタン・カブール、2002年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 学校に通いだしたオミッド。学校が楽しくて1日も休まない(アフガニスン・カブール、2002年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : パグリ(9)は「人形の服、わたしが作ったの。学校に通えるようになってうれしい」と微笑む(アフガニスタン・カブール、2002年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : セルビア武装勢力に襲われたラビノト(13)はテントの片隅で、心の傷を癒やそうとするかのように絵を描く(マケドニアの難民キャンプ、1999年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : ヴァドゥリン(9)は父親を眼の前で銃殺され、家も破壊された。教室でも思い出すと涙が溢れ出る(コソボ、2000年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 壊された校舎の修理はまだまだだ。窓からのぞく少女(コソボ、1999年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 級友に囲まれるベサルタ(12、中央)の一家20人は自宅で猛攻撃を受けて、彼女だけが生き残った(コソボ、2000年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : タオジンスキ・スタニスワフは、アウシュヴィッツ強制収容所に送られた(ポーランド・クラコフ、1988年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : スタシャック・レオンは、殺害のためにアウシュヴィッツ強制収容所に移送された。人間の尊厳を否定し、動物以下の扱いを受けた犠牲者、自分の目撃したことは何ひとつ忘れない(ポーランド・ワルシャワ、1988年))©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 強制収容所の「死の門」と呼ばれたSS(ナチス親衛隊)の中央衛兵所が前方正面に見える(アウシュヴィッツ ビルケナウ、1987年)©Yoshino Oishi
  • 写真・図版 : 囚人の毛髪で織った布地(アウシュヴィッツ、1988年)©Yoshino Oishi
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