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写真・図版 : 国民民主党、農民協同党、新政クラブなどで結成した保守政党「改進党」の臨時全国大会が東京・日比谷公会堂で開かれ、重光葵を初代総裁に選んだ。写真は杖をついて公会堂を出る重光新総裁を迎える群衆=1952年6月13日

国民民主党、農民協同党、新政クラブなどで結成した保守政党「改進党」の臨時全国大会が東京・日比谷公会堂で開かれ、重光葵を初代総裁に選んだ。写真は杖をついて公会堂を出る重光新総裁を迎える群衆=1952年6月13日

  • 写真・図版 : 訪米する重光葵外相(右)と娘の華子さん=1955年8月23日
  • 写真・図版 : 外務次官のころの重光葵=1934年
  • 写真・図版 : 晩年の重光葵
  • 写真・図版 : 大東亜会議に集まった各国代表ら。右からワンワイタヤコン・タイ代表、汪兆銘中華民国行政院長、青木一男大東亜相、張景恵満州国国務総理大臣、重光葵外相、ラウレル・フィリピン大統領、バー・モウ・ビルマ首相、チャンドラ・ボース自由インド仮政府首班=1943年11月4日、帝国ホテル
  • 写真・図版 : 米戦艦ミズーリの艦上で、連合国軍最高司令官が提示した降伏文書に調印する日本の全権、重光葵外相。テーブルの手前、後ろ向き右がマッカーサー元帥。後方に並ぶのは各国代表。向こう側は日本代表団=1945年9月2日
  • 写真・図版 : 東京・市谷の極東国際軍事裁判所に出廷する重光葵被告=1948年11月
  • 写真・図版 : 極東国際軍事裁判の判決で、禁固7年の量刑言い渡しを聞く元外相の重光葵被告=1948年11月12日
  • 写真・図版 : 国民民主党、農民協同党、新政クラブなどで結成した保守政党「改進党」の臨時全国大会が東京・日比谷公会堂で開かれ、重光葵を初代総裁に選んだ。写真は杖をついて公会堂を出る重光新総裁を迎える群衆=1952年6月13日
  • 写真・図版 : 日本の国際連合への加盟が認められ、総会で加盟あいさつの演説をする重光葵外相=1956年12月18日、米ニューヨークの国連本部
  • 写真・図版 : 2月に結党したばかりの改進党は、吉田茂内閣の「抜き打ち解散」の総選挙で85人が当選。喜びに沸く党首脳。一人おいて左から重光葵総裁、三木武夫幹事長、芦田均顧問=1952年10月2日
  • 写真・図版 : 吉田茂首相(左から2人目)と重光葵・改進党総裁(その右)の会談が鎌倉市の重光邸で行われ、自衛力増強の長期計画策定と、保安隊の自衛隊への改組で一致。自由・改進両党の了解ができた=1953年9月
  • 写真・図版 : 訪ソから帰国し、出迎えの人たちに囲まれて羽田空港を出る重光葵首席全権(中央右の眼鏡姿)=1956年9月3日
  • 写真・図版 : 国連総会で、日本の加盟が全会一致で可決され、握手を交わす重光葵外相と国連総会議長のワン・ワイタヤコンタイ外相=1956年12月18日、米ニューヨークの国連本部
  • 写真・図版 : 外交交渉で各国訪問が続いた重光葵(中央)。帰国の記帳のため皇居に参内する様子。駐中国公使時代の1932年に爆弾テロで右脚を失ってから、常に義足や杖とともにすごした=1956年9月
  • 写真・図版 : ⽇ソ国交回復と領⼟問題の交渉を続けた重光葵⾸席全権(中央)とシェピーロフ外相(右)=1956年8⽉、モスクワ