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写真・図版 : 警視庁「大正大震火災誌」(1925年)より。爆弾を携帯したとして同行を求めた朝鮮人を調べてみたら、缶詰や食料品にすぎず、「ソノ他ノ鮮人モ亦疑フベキモノナシ」とある

警視庁「大正大震火災誌」(1925年)より。爆弾を携帯したとして同行を求めた朝鮮人を調べてみたら、缶詰や食料品にすぎず、「ソノ他ノ鮮人モ亦疑フベキモノナシ」とある

  • 写真・図版 : 習志野の収容所に護送される朝鮮人たち=1923年9月、東京・両国橋付近
  • 写真・図版 : 戦後、公安調査庁長官を務めた吉河光貞=1964年5月16日
  • 写真・図版 : 警視庁「大正大震火災誌」(1925年)より。爆弾を携帯したとして同行を求めた朝鮮人を調べてみたら、缶詰や食料品にすぎず、「ソノ他ノ鮮人モ亦疑フベキモノナシ」とある
  • 写真・図版 : 新愛知新聞1923年9月4日付号外。「朝鮮人暴動」の記事と同じ紙面には、「東京地方の大暴風雨」「横浜市全焼 死者十万」などの明らかな誤報があり、記事の信用度は低い
  • 写真・図版 : 明治末から新聞記者として活躍した山根真治郎の『誤報とその責任』(1938年)。「風説をそのまま掲載するのは初期時代の新聞で、風説は寧ろ大切なソースであった」とし、関東大震災での報道を「常軌を逸した誤報を重ねて悔を千歳に遺した」と記した
  • 写真・図版 : 新愛知新聞1923年9月4日付号外。「朝鮮人暴動」の記事と同じ紙面には、「東京地方の大暴風雨」「横浜市全焼 死者十万」などの明らかな誤報があり、記事の信用度は低い