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写真・図版 : アフガニスタンの米軍基地で演説するトランプ大統領。トランプ氏は撤退を目指して駐留米軍数の削減を進めた=2019年11月

アフガニスタンの米軍基地で演説するトランプ大統領。トランプ氏は撤退を目指して駐留米軍数の削減を進めた=2019年11月

  • 写真・図版 : カブールの国際空港で、米軍機に群がる人々。機体にしがみつく人も多く見られた=2021年8月16日、衛星放送局アルジャジーラがツイッターに投稿した動画から
  • 写真・図版 : アフガニスタンでの爆破テロ事件で亡くなった米兵のひつぎを出迎えたバイデン大統領ら=2021年8月29日、米デラウェア州のドーバー空軍基地
  • 写真・図版 : イスラム主義勢力タリバンは2021年9月初旬、自爆攻撃や暗殺を訓練する「殉教志願者」たちの行進だとする映像を傘下の国営テレビやSNSで公開した。反タリバンの動きを牽制する狙いとみられる=アフガニスタン国営テレビRTAが放映した映像から
  • 写真・図版 : アフガニスタンの首都カブールでの8月26日の自爆テロをめぐり、過激派組織「イスラム国」(IS)が出した犯行声明。米兵13人や200人近くのアフガニスタン人が死亡した
  • 写真・図版 : 米国内での反戦運動の急激な高まりを受け、ワシントンのリンカーン記念堂前に集まった学生らとの対話を試みるニクソン大統領(左から3人目)。結果は芳しいものではなかった=1970年5月9日
  • 写真・図版 : 1969年6月8日、南ベトナムのグエン・バン・チュー大統領とニクソン米大統領が会談し、共同記者会見で南ベトナムの米軍の段階的撤退を発表。8月までに第1陣約2万5000人を引き揚げさせた。写真は7月8日、サイゴン郊外のタンソンニュット空港でC141輸送機に乗り込み母国に向かう米兵たち
  • 写真・図版 : 「十四か条の平和原則」を連邦議会の演説で発表するウイルソン米大統領。第1次世界大戦の講和原則と大戦後の国際秩序の構想を全世界に提唱した=1918年1月8日(Shutterstock.com)
  • 写真・図版 : 飛行機の突入直後、激しく炎が噴き出した世界貿易センタービル=2001年9月11日、米ニューヨーク
  • 写真・図版 : アフガニスタン攻撃のため米空母から出撃する戦闘攻撃機=2001年11月、アラビア海
  • 写真・図版 : 米英軍のアフガニスタン空爆開始から1週間。北部のパンジシール渓谷には、カブールなどから着の身着のままの避難民が続々と逃げ込んでいた=2001年10月14日
  • 写真・図版 : カブールでアフガニスタンのカルザイ大統領と並んで歩くブッシュ米大統領。ブッシュ氏は01年の同時多発テロを受けてアフガニスタン攻撃を始め、当時のタリバン政権を崩壊させた=2006年3月1日
  • 写真・図版 : 同時多発テロ事件首謀者であるビンラディン容疑者の急襲作戦現場からの同時中継を見守るオバマ大統領(左から2人目)ら米政府首脳=2011年5月1日、ホワイトハウスの危機管理室
  • 写真・図版 : アフガニスタンの米軍基地で演説するトランプ大統領。トランプ氏は撤退を目指して駐留米軍数の削減を進めた=2019年11月
  • 写真・図版 : 北ベトナム・ハイフォン省は1972年4月16日の北爆再開から10月30日までに44の市街地、198の部落が爆撃され、2000人以上が死傷した。写真はハイフォン市郊外のケン・アン地区の民家。壁に「ニクソンよ、われわれの血を返せ」と書いてある=1972年11月
  • 写真・図版 : アフガニスタン復興支援国際会議で演説するアフガニスタン暫定政権のカルザイ議長。右隣は小泉純一郎首相、パウエル米国務長官=2002年1月21日、東京都港区
  • 写真・図版 : アフガニスタンでの戦争の終結について演説するバイデン米大統領=2021年8月31日、ホワイトハウス
  • 写真・図版 : 治安維持の名目で、カブール市内に展開するイスラム主義勢力タリバンの特殊部隊とされる画像。8月23日、タリバン構成員が朝日新聞に提供した
  • 写真・図版 : 国際テロ組織アルカイダが同時多発テロ事件から20年の時期に、指導者ザワヒリ容疑者の映像を公開した。イスラエルへの抵抗を呼びかけるほか、米国がアフガニスタンから撤退し打ちのめされた、などと述べている