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日本人が世界とつながらなくても、日本語普及は必要だ

川村陶子

川村陶子 川村陶子(成蹊大学文学部准教授)

 4月21日付のジャパンタイムズにこんな見出しの記事が載った。

 「英語を学んで世界とつながろう」

ベルリッツの広告ではない。英国の文化交流機関ブリティッシュ・カウンシルが、同紙の日英関係特集欄に掲載したコラムである。

 記事は、韓国人や中国人に比べて日本人の英語が下手であることが日本人の世界での活躍を妨げ、日本の損害となっていると主張する。最後には、「我々は日本が国際的に孤立しないよう、英語検定や小学校英語教育へのサポートを通じ、協力する用意がある」と呼びかけている。

 拙くても英語が使えることで、これまで曲がりなりにもキャリアを築いてきた筆者自身、「英語力は大切」という見解には賛成だ。だが、現在この国に居住する1億人以上のほとんどは日本語を母語としている。日本語さえできれば日々の生活に困らないし、教養も娯楽も楽しめる(少なくとも今のところ)。ガラパゴスといわれようが、この辺境の島国で独自の「クールな」文化を育てていけばよいとの見解も強い。初等教育で英語が必修になっても、多数の日本人が英語を自在に操る日は当分やってこないと思われる。

 日本で暮らす普通の日本人が、当面世界と積極的にはつながらず、日本語で生きていくことはほぼ間違いない。そのために、ブリティッシュ・カウンシルが提起するのとは異なる死活的な課題がある。日本語の国際的普及である。

 これからの日本では、日常生活で日本語を母語としない人と接する機会が増えていく。背景にあるのは少子高齢化と人口減少だ。時間労働の場で、福祉の現場で、また一般企業でも、外国の若者たちが働き手として入ってきている。教育研究機関でも、日本出身の学生が減る分、優秀な留学生を受け入れて活気ある環境をつくろうとするところが増えている。

 看護士・介護福祉士候補者受け入れの試みからは、日本語習得の不十分さが有為な人材の活用にとって大きな障害となることが判明した。命を扱う場でコミュニケーションがとれないことへの不安、日本に渡ってくる若者や彼らを受け入れる機関がことばの壁を越えるために払う犠牲の大きさが問題になっている。しかしだからといって、受け入れをやめてよいものか。少子化対策が成功したとしても、当面の労働力不足は目に見えている。日本はネイティブの日本語話者だけでは支えていけない。ノン・ネイティブの力が得られるかどうかが、文字通り生死にかかわる問題になりうるのである。

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