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参院選は恐ろしい

曽我豪

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

 言葉は正直だ。とくに人生、時代の節目に発した言葉は嘘を言わない。

 21年の時を隔て、政権党の幹事長に抜擢された2人の政治家の、最初のインタビューでの発言を並べるとその感を深くする。

 まず1989年8月、自民党幹事長に就いた小沢一郎氏、当時47歳。

 「選挙に勝つことが、幹事長の最大の仕事。それに尽きる」

 「オヤジ(故田中角栄・元首相)にはよく『政党人として最大、最高の役職は幹事長だ。おまえも将来、それぐらいになれるよう頑張れ』と言われました。喜んで、しっかりやれと言ってくれるんじゃないか」

 続いてつい先日、その小沢氏に代わって民主党幹事長となった枝野幸男氏、46歳。

 「(幹事長の使命は)我々の目指す一元化された政府・与党体制で、いかに内閣を支えるか。その柱は(選挙で勝って)議席をたくさん持つことと、国会の運営を円滑にすることだ」

 「1人の人(小沢氏)がいなくてダメになる組織はダメだ。誰がやってもこの国の中枢を担いうる組織でないと、政権を担ってはいけない」

 ここで何とも興味深いのは、まずその2人の共通点が参院選をめぐって危機に瀕した政権によりその救世主として抜擢された点にある一方、時代の子である2人の差異もまた際立つ点である。

 リクルート事件と消費税導入に対する2つの逆風を受けて自民党が89年参院選で惨敗、参院で過半数を割るとともに宇野宗佑内閣が倒れ、初の昭和生まれの首相である海部俊樹内閣が誕生した際に登場したのが小沢幹事長である。その人事は世代交代を印象づけるだけでなく、田中派の流れを汲む竹下派の寵児として組織選挙の手腕を買われた結果であり、小沢氏の言葉もまさにあっけらかんとその選挙至上主義の神髄と自意識を示している。さらに言えば、その期待に応えて翌90年衆院選で自民党の安定多数獲得を果たした実績が今日に至る「選挙の小沢」神話の礎を造ったのだった。

 他方、枝野氏の言葉は過去との連続より断続性に特徴がある。もとより参院選を1カ月後に控え、支持率の急落により鳩山由紀夫首相が政権を投げ出した結果、政権浮揚の特効薬として「脱小沢」を印象づけるべく登場した枝野氏である。その対抗意識は間違いなく彼にあり、選挙は至上の目標ではなく政治システム改変のためのツールであって、国会―政党間協議も同等の価値を持つとの意識が濃厚だ。

 もちろんこの20年余、陰に陽に政界を支配してきた小沢的なるものが枝野的な政治文化へと完全に切り替わるかどうかはまだわからない。ただ、ふと思う。もしその変化が確実なものとなるなら、これは昨秋の政権交代に匹敵する、あるいはそれを凌駕する政治の基盤の変化ではないのか、と。

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 いや、もっと大胆に仮説をたてれば、参院選はこの20年、そうした根本変化を政治に刻印する軌跡を見事に描いてきたのではなかったか。

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