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外相と大使の間にホットラインを

高成田享

高成田享 仙台大学体育学部教授(スポーツメディア論)

 外務省出身の大使の最大の欠点は、それが外務省という世界でのポストにすぎないということだと思う。赴任した国を愛し、その国との交流に力を入れるよりも、次はもっといいポストにという意識が強いと、親善よりも、日本に顔を向けた仕事をしがちになるのではないか。

 民間人を起用する場合、その国との結びつきが終始されるはずだから、小国の次は大国の大使にといった例は少ないはずだ。

 中国の駐日大使などは、まさに外務官僚のポストだから、日本だけが例外ではないが、米国の駐日大使を見ていると、学者、政治家、実業家、国務省官僚など多彩で、それぞれに味が出ていると思う。

 大統領との個人的な結びつきが深かったり、大統領も一目置かざるを得なかったり、という大使もあり、長期的な日米関係を考えて、実行した人も多かったと思う。マンスフィールド大使やモンデール大使を思い浮かべると、それに見合う日本の駐米大使はいるだろうかと考えてしまう。

 民間人の大使は、商社や金融関係の人が多く、出身母体の利益を優先するのではといった懸念もある。しかし、民間人大使にとっては、周りは「これだから民間人は困る」という実例をさがしている役人ばかりという面もあり、やりたくてもできない、のが実情だと思う。

 公電を書く能力は外務官僚のほうが得意かもしれないが、相手国の人たちが付き合って面白い人物は、大使に選ばれる民間人のほうが多いと思う。それに、マネジメントの能力としては、「課長になれなくても大使にはなれる」という外務官僚よりは、起用される大使のほうが上という例が多いのではないか。

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