櫻田淳
2010年08月09日
政策立案という作業を観察する折に陥りやすい誤りは、何らかの政策課題を対処する場合に、法案成立を通じた「制度の新設や変更」を成し遂げることによって、その対処が済んだと思い込むことである。確かに、政治家にとっては、処理された法案は、その業績として語られる。しかし、こうした有り様は、どこか歪(いび)つなものではないか。鳩山由紀夫前内閣発足の折に鳴り物入りで提起された「国家戦略局」構想が菅直人内閣に至って後退していることが、「政治主導」の後退の証として語られるのは、そうした誤りを示唆している。
たとえば、内閣総理大臣補佐官という官職がある。それは、1996年の改正内閣法に依拠し当初は3人、現在では5人まで置くことができると定められた官職であり、内閣総理大臣の「指導性」を支えることを趣旨としていた。「内閣の重要政策に関して内閣総理大臣に進言し、またその命を受けて内閣総理大臣に意見を具申する」というのが、補佐官の職務の中身である。
ただし、この制度は、実際の補佐官の活動の中身が「進言と意見の具申」という域に留まらない拡がりを持った故に、その意義や性格が曖昧(あいまい)なものになっている、事実、従来、補佐官には、特命担当の大臣や副大臣に任ずるに当たらない政策課題を請け負わせる趣旨で、政治家が任用されてきた。菅直人内閣でも、4人の政治家が任用されている。
筆者は、内閣総理大臣補佐官制度に関しては、次のように運用の原則を確立すべきだと考えている。
第一には、補佐官は、学者を含む民間の専門家からのみ起用する。補佐官は、内閣法上の「進言と意見の具申」という活動を専らとするならば、それに相応(ふさわ)しい「スペシャリスト」としての知見を持つ必要がある。補佐官は、たとえば財政・金融分野ならば、第一線の経済学者や民間エコノミストとの対話や研鑽(けんさん)を踏まえて、責任を伴った「進言と意見の具申」を行う。補佐官の「進言と意見の具申」は、そうした趣旨で徹底できれば、内閣総理大臣の政策判断が官僚組織の論理に埋没するのを避けるために、それを相対化する性格を持つものにもなろう。故に、補佐官は、本質的に「ジェネラリスト」であることを要請される政治家を任ずるには相応しくない官職なのである。
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