鈴木崇弘
2010年08月12日
新聞でも、テレビでも、国会議員が引っ越した新しくできた「議員会館」が話題だ。どちらかというと、「ゼイタクだ」「豪華すぎる」など批判的な論調が多いようだ。確かに、無駄の造りもある感じだ。
他方、「これまでの議員会館の事務所は狭すぎた」「IT環境も古く、時代に対応していなかった」という意見も多い。また新議員会館は「シックハウス」の可能性の問題もおきている。
私の個人的な経験からしても、古い議員会館はあまりに狭く、設備も老朽化しているという感じだった。政策活動を積極的におこなう議員や、当選回数を重ねた議員であれば、それだけ余計に資料に埋もれ、人に埋もれているという感じだった。来客があれば、スタッフは執務の場所がなくなることも多く、来客が多い場合は事務所の外で待ちの状態。とても日本の行く末を真剣に考え、新しい政策を生み出したりできるような場所でなく、まともな仕事ができる状態ではなかった。
私は、従来の議員会館やその中の議員事務所は、ちょっと極端ないい方をすれば、議員に政策活動や立法活動をさせず、政策づくりで官僚依存せざるを得ない仕組みの一つだと考えていた。つまり、政治主導や民意で選ばれた議員に仕事を「させない」ためのインフラであったのではないかと思う。より踏み込んでいえば、日本は民主主義の社会といわれながら、実は民主主義を支えるインフラや仕組みが不十分で、旧議員会館はその不十分な日本の民主主義の象徴であったと思う。
本来なら、議員会館も、日本の政治制度である民主主義を担保するインフラでなければならないはずだ。このような観点から、これまで考えてこられたことはあっただろうか。ほとんどなかったように思う。他方、議員会館の建て替えがあったが、その設備の実態をみると、今回もこのような観点を踏まえておこなわれたとは思えない。
ここで、よくよく考えてほしい。このように考えていくと、新議員会館に関してまず問われるべきことは、「ゼイタクだ」とか「狭い」とか「広い」「狭い」とかではないということだ。考えるべきことは、それが誰のためのものであり、何をするところかということではないか。
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