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 この夏の広島、長崎の平和記念式典は米英仏3カ国政府代表の初参加で注目されたが、それに触発されて言いたいことがある。

 1970年代初めに記者生活を広島でスタートさせた私は80年代半ばに特派員として北京に常駐。そこで広島で被爆した中国人がなお5人健在であることを知り、うち3人に会い、当時の状況や帰国後の健康状態などについてインタビューした思い出がある。

 2度目の北京駐在中の99年には、中国が60年代に原水爆の製造・実験をした西部の秘密基地跡を外国メディアとして初めて取材する機会を得た。

 その中国が米ソ英仏に次いで核実験に成功というニュースが飛び込んできたのは64年10月16日。あの東京オリンピックの開催中で、国交のない隣国が核保有国になったことは衝撃的なニュースであった。

 中国には「アヘン戦争シンドローム」とも呼ぶべき国家体質がある。国が弱かったから列強に蹂躙され、つらい思いをさせられた。弱ければ侮られる。だから強くなくてはならない。毛沢東も、このトラウマから逃れることはできず、人民の生活を犠牲にしてまで「虎の子」を手にしたのである。

 中国の核保有の論理は「完全に防御用で、核保有五大国で唯一先制しないと宣言している」と主張し、核廃絶については「まずは大量保有国の米露から動け」と強調。自らが率先して「核なき世界」へ行動する可能性は現時点では小さい。

 そこで中国について書いておきたいことがある。

広島被爆の翌日、45年8月7日付の中国紙「新華日報」は「広島への原爆投下に抗議する」という記事をいち早く掲載。「戦争の目標は、日本人民ではなく日本軍国主義をたたくことである……科学の成果は人類の進歩に役立つべきであって、人類を破滅させることではない」と訴えた。同紙は中国共産党が重慶で発行していた新聞だった。

 さらに同紙は9日、「日本軍閥にはいささかの憐憫(れんびん)の情も持っていない。しかし、本来は人類の生活に奉仕すべき科学が、残酷な破壊力と巨大な殺傷力を持つ兵器に使われたことは、人類の平和事業に献身する人々、とりわけ世界の科学者が深く遺憾とすることだと我々は確信する」と論評した。 ・・・ログインして読む
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筆者

加藤千洋

加藤千洋(かとう・ちひろ) 加藤千洋(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授)

同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。1972年、朝日新聞入社。大阪本社社会部を経て北京特派員、アジア総局長、中国総局長などを経て外報部長。編集委員。2004年から2008年まで「報道ステーション」(テレビ朝日系)コメンテーター。一連の中国報道で99年度ボーン上田記念国際記者賞。

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