メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

「後継者登場?」を目前にした「聖地巡礼」パフォーマンス

小北清人

小北清人 朝日新聞湘南支局長

 またも電撃的に行われた北朝鮮の金正日総書記の訪中(8月26~30日)が、目前に迫る、朝鮮労働党の「党代表者会」をにらんだものだったのは間違いない。開催時期を、北の当局は「9月上旬」としか発表していないが、「開催は6~7日」とか、「6~8日」とか、「建国記念日の9日には軍事パレードもある」などと様々な情報が飛び交っている。

 党代表者会開催が北の官営メディアによって伝えられたのは、この6月26日。もともと党代表者会というのは、党大会と党大会の間に党の路線変更や重要人事を行う際に開かれるもので、今回は「党の最高指導機関を選ぶために開く」と発表されている。それが党中央委員会のメンバー全員を選ぶことなのか、党の中枢である政治局、書記局の人事を行うことなのかははっきりしない。

 が、44年ぶりという異例の開催であるだけに、かねて金総書記の後継者と目されてきた三男ジョンウン氏(27)が党主要ポストのどれかに就任し、後継者として「公式化」されるのではないかとみられるのも当然だろう。同時に、金総書記が信頼する妹の夫で、ジョンウン氏の後見人と目される張成沢・国防委員会副委員長の党要職就任も予想されている。要は、まだ30歳にもならない未経験の「王子さま」を支える体制を党に作り上げようとの狙いだ。

 2年前に脳卒中で倒れ、健康不安を抱える金総書記としては、「三男への権力継承」を何としても中国に了解して欲しかったに違いない。だからこそ、この5月に北京で胡錦涛主席と会ったにもかかわらず、8月末に、年に2度目となる首脳会談を行った。それだけ金総書記には、「息子を後継者にしても中国は金王朝を支えてくれるか」、一抹の不安が拭えなかったのだろう。

 金総書記の帰国と同時に北のメディアは今回の訪朝について報じ始めたが、壊れたゼンマイ仕掛けの時計のように何度となく「代を継いでの朝中(北朝鮮と中国)親善の重要性」に言及した。「代を継いで」とは、「後継者の代になっても」の意味だ。

 ジョンウン氏後継に対し、胡錦涛主席が全面的に支持を表明したかはいまひとつ明らかではない。中国指導部はかねて「社会主義国における権力世襲」に批判的で、改革開放の要請に応じず核実験やミサイル発射を繰り返す北の内外政策への不信感も強いといわれる。とはいえ、北の現体制の崩壊は中国にとって「ある意味、領土を失うことに等しく」、支え続けざるを得ないのが現状だろう。

 だが中国の意向がどうであろうと、北朝鮮は「後継・ジョンウン」にはっきり舵を切ったように見える。後継問題はあくまで自分たちの内政事項であり、中国からいくら支援を受けても呑み込まれまいと北は抵抗してきた。そうでありながら、党代表者会開催の直前になって胡錦涛主席に会いに行き、息子を後継者にすることを「黙認」してもらい、豪雨と洪水で秋の収穫に甚大な被害が予想される食糧問題を当面しのぐ支援をおそらく求めたであろうことは、金正日体制がいかに窮地にあるかを物語る。

 だがそれは、もはや中国以外に頼る相手がなくなった、いわば「自業自得の失政の結果」というしかない。国民を食わせられない体制を作ったのは彼自身だからだ。

 国際社会の動向にうまく適応し、地道に経済を建設し、国民を豊かにする国造りには明らかに失敗した金総書記。だが、父親の金日成主席(1912~94)の後継者となってから今日まで40年近く、恐怖政治を土台に支配体制を構築し、絶対権力を維持してきた。それに駆使してきた彼の「宣伝・扇動の腕前」には独特のものがある。

 ナンバー2の張成沢・国防委副委員長ら権力中枢の面々を引き連れ、お召し列車で移動した今回の訪中でも、その「宣伝・扇動の鬼才」ぶりがうかがえた。

 金総書記が訪れたのは、日本が朝鮮半島を植民地にしていた1920年代に、父親の故金日成氏が共産主義を学んだという吉林市の中学校や、金日成氏が部下とともに抗日ゲリラ活動をしたというハルビンなど、中国東北部にある「金王朝の創始者・金日成ゆかりの地」ばかりだ。いわば幹部を引き連れた「革命の聖地巡礼」だった。

 北朝鮮当局の主張では、故金日成氏の抗日ゲリラ活動の起源は、1926年に同氏が吉林省の学校で「打倒帝国主義同盟」を結成したことにある、となっている。しかしこの時の金日成氏の年齢は14歳だ。

 この主張が行われだしたのは1980年代以降、金正日氏が権力中枢で「宣伝扇動プロパガンダ」に腕を振るうようになってからだ。いまでは事実とかけ離れていると判明している「金王朝革命伝説」の様々な話を北の当局が盛んに言及するようになったのは、「金正日登場」以降のことなのだ。

 「父親を神にした男」。専門家の間では、正日氏はこうも呼ばれている。父親の革命伝説を確立した男として彼は後継者の地位を掴んだ。

 今回の「ゆかりの地」訪問によって、彼は、故金日成氏以来の「革命の血の伝統」を訴えつつ、同時に「1920年代以来の北朝鮮と中国の親密な関係」をアピールした。狙いはもちろん、党代表者会を目前にして、「王朝3代目の権力継承の正当性」を国民に植え付けることにある。「ゆかりの地」訪問はこれから繰り返し、北のメディアによって「宣伝・扇動」されていくだろう。

 特に今年は日韓併合100年の年にあたる(日本は朝鮮半島全体を植民地にした)。「日本帝国主義と戦ったのは北の金日成であって、南の指導者ではない」と北がアピールする格好の年でもあった。日韓併合条約が発効したのは1910年8月29日。今回、金総書記がハルビン入りしたのと同じ日だ。ハルビンでは初代の韓国統監だった伊藤博文が朝鮮独立運動家の安重根に暗殺されている。その安重根は北朝鮮でも韓国でも「民族の英雄」なのだ。

 北朝鮮では、体制の必要に応じて歴史は平気で書き直される。8月25日が新たに「先軍節」に内々に指定されたと、ある西側メディアが消息筋の話として9月1日に報じた件もその類だ。

 「先軍」というのは、金正日政権の指導理念として打ち出された「軍が中心になって国を先導する」国家体制のこと。「先軍思想」「先軍政治」「先軍体制」などと、金正日体制と同義のものとなっている。

 この「先軍政治」はいつ始まったのか。 ・・・ログインして読む
(残り:約1242文字/本文:約3797文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

小北清人

小北清人(こきた・きよひと) 朝日新聞湘南支局長

朝日新聞入社後、大阪社会部、AERA編集部などを経て現在、朝日新聞湘南支局長。92~93年、韓国に語学留学。97年、韓国統一省傘下の研究機関で客員研究員。朝鮮半島での取材歴多数。

小北清人の記事

もっと見る