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危機叫ばれるなか、あえて「希望の国、日本へ!」

鈴木崇弘

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 小説家の村上龍さんは、自作『希望の国のエクソダス』の中で、中学生の主人公に、「この国(日本)には何でもある。本当に何でもあります。だが、希望だけがない」といわせている。

 この小説は2000年に出版されたものだが、日本の豊かではあるが閉塞感に満ちた現状をみると、まさに今の日本社会をいい当てているように聞こえる。

 だが、私はあえていいたい。「その考えは間違っている」と。というのは、希望は、他人から与えられるものではなく、自分で創っていくべきものだからだ。

 現在、日本は、人口は現在の約1億2740万人から、2050年に向けて1億人を切るといわれる。生産年齢人口は2005年比で2050年には40%マイナスになり、中位数の年齢は実に56歳になると予想される。また、2006年12月公表の人口推計によれば、現在高齢者1人を現役世代3人で支えているが、2025年には1.8人、さらに2055年には1.2人で支えることになると考えられる。このように、人口減少、高齢化が一層進むと予想されている(注)。そして、社会保障や福祉・医療の負担の増大が、社会や財政の負担、特に現役世代や若い世代の負担となり、社会の活力を失わせることへの危機が叫ばれている。

 本当だろうか。もちろん短期間における社会の大きな変化が問題を生み出さないとはいわない。しかし、それはあくまでも現在の枠組みを前提にして、将来を予測しているからではないだろうか。本稿では、予想されるさまざまな問題のうち、勤労者の数が今後減少するという観点に限定して論じていきたい。

 勤労者数の減少は、実は、人口減少でより豊かな住生活も可能になる社会の中で、これまで活躍できなかった女性、若者、高齢者が、仕事や可能性を得やすくなることを意味する。

 女性は、独身か否かにかかわらず仕事を続ける方も増えているが、現在も結婚や出産・育児で仕事を辞めたり、バイトや非常勤の仕事をするようになることも多い。また、従来、女性に十分な活躍の機会や役割を与えてきたとはいえない。つまり、日本社会は、女性という資産を十分に活用してきていないのだ。

 必ずしも十分に生かされてこなかったこの「隠れ資産」を生かせるようにし、女性にさらに生き生きとした人生を送ってもらい、社会にこれまで以上に貢献していただいてはどうだろうか。職住接近が可能で、容易に始められるプチ・ビジネスが手軽にできる支援の仕組み(たとえば、地域での社会的事業などを始められるマイクロファイナンスのような事業資金提供の仕組みなど)、子育て支援のインフラや体制、子どもの教育の支援があり、また、女性が男性と同一職種同一賃金になれば、今まで以上に仕事をできるようになり、女性は確実に大いに活躍するだろう 。

 いわゆるバブル崩壊後の「就職氷河期(あるいは、いわゆるロストジェネレーション世代[1993年から2005年に就職期を迎えた世代])」、また、2007年のサブプライムローン問題に端を発した世界金融危機による「就職氷河期の再来」の時代があり、それと並行して進んできた社会構造や労働状況の急激な変化が起きてきている。そこでは、多くの若者が、この約20年間、まともに仕事を得られなかったり、日本社会のこれまでの終身雇用的な風土(実はそれもかなり幻想に近いが)の中で精神的にもジレンマを感じてきた。それが、多くのフリーターやニートの出現につながる。彼らの多くは、それを望むか否かにかかわらず、その実体験から、自分が同一職場に終身雇用勤務が可能と今後ますます考えなくなっていくであろう(たとえ、それを望んでも、それが難しいことを肌で感じている)。

 しかし、これは決して悪いことではない。私は、日本社会の今後のダイナミズムを支えるのは、終身雇用で人材を飼殺しにするよりも、日本社会がより人的異動が可能になることだと考えている。それによってしか、少なくなる人材を社会全体で生かし、本人も自己の才能と経験を生かしていくことはできない。

 日本の次の社会に適した感性や考えをもったこれらの若者(一部はすでに中年世代になりつつある)が、日本社会を変えていくのだ。そのためには、

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