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危うさ潜む菅首相のブリュッセル訪問

脇阪紀行

脇阪紀行 大阪大学未来共生プログラム特任教授(メディア論、EU、未来共生学)

 国と国との紛争が起きた時、燃え上がる世論と国益追求との板ばさみになる運命にあるのが時の政府だ。とくに首脳が海外に出かけて協議を行う場合、いやおうなく世論が高まり、その期待がはずれた場合に、その後の歴史の方向をゆがめてしまうことがある。尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をめぐる日中対立がなお続く中、菅直人首相は4日にアジア欧州会合(ASEM)首脳会議に出席するためベルギー・ブリュッセルを訪問する。日中の対立収束への足場になればいいが、事態の展開によっては、関係修復どころか、対立をこじれさせかねない危うさが潜んでいる。

 ASEM首脳会議には欧州、アジア計40カ国余りの首相、外相らと欧州連合(EU)、東南アジア諸国連合(ASEAN)2機関の代表が出席する。EUのファンロンパイ大統領が議長をつとめ、世界経済や地域情勢などを議題に2日間会議は行われる。

 当初見送る方向とみられていたブリュッセル訪問がひっくり返ったのは先月27日。菅首相は「多くの首脳が出る会議で、私を含めて日本から代表がきちんと出ることは重要だ」と記者団に語っている。しかしこの時、ブリュッセルを舞台とした関係修復への道筋を政権側が描いていたかどうかははっきりしない。むしろ、ざわめく世論に背中を押されて、修復への道筋を定めないまま、首相訪問が決まったというのが実態だろう。政権内には日中首脳会談実現への期待が浮かぶ一方、「日中会談をやる雰囲気ではない」との閣僚発言も報じられていた。

 ブリュッセルへの出発直前になった今も、この状況はほとんど変わらない。

 4日午前にセットされている二者会談は韓国とEUだけ。南シナ海で中国との領有権紛争を抱えるベトナムなどとの首脳会談実現への調整が行われているが、日中首脳会談の話は進んでいない(1日午前現在)。このまま推移すれば日本側が二者会談の場を中心に、中国以外の各国に日本の立場をアピールする展開になる公算が強い。

 もちろん、菅首相が理を尽くして、国際社会に事態の経緯を説明するのは当然のことだ。とくにレアアース(希土類)の一時禁輸は国際社会の自由貿易ルールに違反するものであり、欧州メディアの批判も強まっている。ただ、ことは主権に絡む問題だけに、日本が自らの立場を主張すればするほど、同じ会場にいる中国の温家宝首相も反論を募らせてくるのは間違いなかろう。首脳会議の第1セッションだけに参加して4日夜には帰途につく菅直人首相に対して、温家宝首相は2日目の会議に残る。反論の機会は山ほど残っている。そうなれば欧米はもちろん日本のメディアも待ってましたとばかりに「日中対立激化」「日中の亀裂深まる」といった記事を送ることになるだろう。

 もちろん、議論を通して中国側の主張は不当だ、との認識が広がる可能性はある。しかし、欧州や東南アジア諸国が日本の立場に両手をあげて賛成し、中国包囲網が形成されると考えるのは、あまりに楽観的だし、時代認識がそもそも誤っている。

 東南アジアの外交官や有識者と会うと、日本と中国を大きなゾウ、東南アジアの国々をアリにたとえて、「二頭のゾウがけんかすれば、下にいるアリは踏みつぶされてしまう」といった話をよく聞いたものだ。人権問題など中国への批判的空気がある欧州にしても、米国に継ぐ世界第2の経済大国となり、なお拡大を続ける中国マーケットへの手がかりを自らつぶすようなことは考えられない。

 ここで考えなければならないのは、「対立・亀裂大好き」症候群ともいうべきメディアの体質だ。かつてブリュッセルでEU内の交渉を取材した経験から言うと、各国間の利害や主権の対立がある問題については、残念ながら、テレビ・新聞を含め、どのメディアも、ともすれば「和解」や「解決」よりも「対立」や「摩擦」に焦点をあてた記事に傾きがちだ。それが問題の所在・本質を明らかにするからではあるのだが、一方で、その方が読者、大衆の関心を引く、もっと言うと、そのニュースが他の凡庸なニュースを押しのけ、より大きく報道されるとの誘因を断ち切れないからでもある。

 EUの世界では政治家も官僚も、そうしたメディアのあり方に慣れてしまっている。こうした批判的報道が交渉合意への圧力になっている反面、欧州諸国の大衆の間にEUへの不信や批判が根強くあるのは、こうしたメディアの長年の報道が影響しているように思われる。

 EUと日中の問題とはまったく質が異なるし、こうした懸念は杞憂にすぎないのかもしれない。ただ、首脳が外遊すれば、たとえメディアが騒がなくても世論の関心が高まるのは避けられない。日中首脳会談が実現し、残る1人のフジタ社員の釈放を通じて和解が演出されたとしても、日中の世論が抱く期待が過剰になれば、11月に予定されている胡錦涛国家主席の訪日への火種は残りかねない。

 外交交渉への期待がはずれ、メディアや世論が燃えさかった例として誰もが思い出すのが、

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