春名幹男
2010年10月08日
日米の人と人との交流は深いものがある。鈴木章、根岸英一両氏の受賞が決定したノーベル化学賞。その裏には、2人の米パデュー大学の恩師、故ブラウン博士の推薦があった。
科学者から芸術家まで日米の間には、同じ価値観で力を合わせ、喜び合える素地がある。
だが残念ながら、東京とワシントンの両政府は今、そんな緊密な協力関係にない。
基本的に、日米同盟関係の運営は非常に難しいことなのだが、日米外交に携わる外交官には、そうした基本的な認識を欠く者もいる。
もう15年も前のことだが、ワシントンのホテルで、あるテレビ局主催の座談会に出たことがある。「一言で言うと日米関係はどんな関係ですか」と聞かれて、「ラブ・アンド・ヘイト(愛憎関係)ですね」と私が答えたところ、米国に詳しい元外交官氏が「ヘイトなんてありますかね」と横やりを入れた。
太平洋戦争を戦った日米両国の間には、癒しがたい心の傷がなお残されている。一方に、今なお広島・長崎への原爆投下を正当化し、「核抑止力」を維持する立場の米国があり、他方に、核兵器を嫌悪し核兵器を積んだ米国の艦船が一時的に寄港することも認めたくない日本国民がいるのだ。
その溝は、両国が同盟のきずなを結んだ時、さらに沖縄返還で合意した時に、「核密約」によって埋め、隠したのである。
外務省は過去に何度か、非核3原則を「非核2・5原則」に変えて、「一時寄港」を大っぴらに認めることも考えたが、あえてそんな不評なリスクを冒す外相はいなかった。
このほどNHKの取材で、外務省の一部に大変な勘違いをした高官がいたことが明るみに出た。1969年、西ドイツ外務省との箱根会談で、日本の技術で核兵器を開発することに関して、協力を持ちかけた、というのだ。
だが現実には、多数の日本国民は、64年に中国、2006年に北朝鮮が初の核実験を行った後も、日本の核開発を求めてはいない。
日本は日米安保体制の下で、非核3原則を堅持し、核不拡散条約(NPT)を批准した。同時に日本は、核軍備を増強する中国を前にして、米国から「核の傘」の提供を受けている。日本の安保戦略が「矛盾している」との指摘を受けるゆえんである。
だが、矛盾のない外交・安保政策を持つ国が世界にどれほどあるだろうか。もちろん「核抑止力」などは将来、不要としたい。だが、中国、北朝鮮から核の脅威を受ける現状では、日米同盟を堅持する以外に選択はないのだ。
日本は1年前の政権交代後、その基本戦略がしっかり確認できていないのではないか。
鳩山由紀夫前首相は米国に長年滞在し、自由で親切な米国民を肌で知ってはいても、ワシントン政治の厳しさを体感してはいない。
鳩山氏は東アジア共同体構想でも、知らない間に足をすくわれた。アジア数カ国の首脳がオバマ大統領に、鳩山構想は「米国離れ」の動き、と告げ口をしたというのだ。
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