メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

 中国の人権活動家で作家の劉暁波氏へのノーベル平和賞授与が明らかになった時、私の心に浮かんだのはミャンマー(ビルマ)の民主化指導者アウン・サン・スー・チー氏のことだった。1989年に軍事政権の手によって自宅軟禁とされ、その2年後の91年にノーベル平和賞を贈られた。しかし軍事政権が姿勢を柔らげることはなく、約20年後の今もスー・チー氏は自宅軟禁下にある。平和賞の授与はミャンマーに期待された変化を生んでいない。

 私はここで、ノーベル賞委員会の決定を批判しようというものではない。むし逆である。先進諸国が、経済カードをちらつかせる中国への人権批判の姿勢を緩める中、中国当局の「圧力」をはねつけて、平和賞授与に踏み切った決断は賞賛に値する。ただ、この賞の授与を真に中国の人権状況の改善に結びつける戦略がそこにあるかといえば、おそらく「ノー」だろう。

 スー・チー氏の平和賞受賞が決まった時も、メディアはわきたち、民主化運動を弾圧する軍事政権に世界の批判の目が注がれた。反体制に立つ人物への注目を引きつける上でノーベル平和賞ほど効果的なものはない。しかし、いくら世界の関心と同情を得ても人権状況が実際に改善しなければ、平和賞の意義は半減する。

 過去にも、反体制の活動家や知識人が平和賞を受賞した例は少なくない。ポーランドの自主管理労組「連帯」のワレサ議長は83年に平和賞を贈られた。ポーランド政府はノルウェー政府に「内政干渉だ」と抗議、授賞式にはワレサ議長の代わりに夫人が出席した。その後東欧革命の嵐の中で共産政権は姿を消し、7年後にワレサ氏は大統領になった。

 ソ連反体制派の核物理学者サハロフ氏が75年に平和賞を受賞した時、ソ連当局は「平和賞は露骨な政治的投機の対象となっており、平和のための利益に反する」と猛反発している。サハロフ氏は80年に流刑の身となったが、ゴルバチョフ大統領が体制内改革を本格化させた86年に自由の身となった。

 ミャンマーの場合はどうか。 ・・・ログインして読む
(残り:約904文字/本文:約1732文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

脇阪紀行

脇阪紀行(わきさか・のりゆき) 大阪大学未来共生プログラム特任教授(メディア論、EU、未来共生学)

1954年生まれ。79年に朝日新聞社に入社、松山支局などを経て大阪本社経済部に。90年からバンコクのアジア総局に駐在。米国ワシントンでの研修を経て97年からアジア担当論説委員。2001年からブリュッセル支局長。06年から論説委員(東南アジア、欧州など担当)。2013年8月末に退社、9月から、大阪大学未来共生イノベーター博士課程プログラム特任教授。著書に『大欧州の時代――ブリュッセルからの報告」(岩波新書)、『欧州のエネルギーシフト』(岩波新書)。

脇阪紀行の記事

もっと見る