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脱「韜光養晦(とう・こう・よう・かい)」へ

谷田邦一

谷田邦一 朝日新聞専門記者(防衛問題担当)

 20年ぶりにアジアに聖火がともった2年前の北京オリンピック。その開会式をご記憶だろうか。中国5千年の偉業の数々が披露された「歴史絵巻」のなかで、明の時代の提督・鄭和(てい・わ)による大航海がひときわ目を引いた。ヨーロッパの大航海時代に先立つ15世紀初めのことだ。永楽帝の命を受けた艦隊は、南シナ海からインド洋を経てアフリカ大陸にまで到達し、今でも中国人の誇りになっている。海上覇権を確立するとともに、軍事的な威圧によって沿岸諸国に朝貢を促すことが艦隊派遣の目的だったとされる。

 このところの急速な中国海軍の増強ぶりをみていると、合理的な国家戦略の根底に、こうした「中華帝国」思想に近い威圧的な大国意識が潜んでいるように映る。

 中国の海洋進出と軍の近代化が始まったのは、トウ小平が改革・開放路線にカジを切った1980年代のことだ。トウの命を受けた海軍トップ、劉清華・海軍司令員は82年、経済発展する沿海部の防衛を目的に「近海防御戦略」を打ち出した。その柱は近海での航空優勢と制海権の確保にあった。その後も戦略の見直しを重ね、領海主権や海洋権益の保護などを目的に加えることで、中国の海上防衛の範囲を外洋へと押し広げ始める。

 92年には「領海法」を定め、海洋権益の擁護を国家目標の柱にすえた。尖閣諸島などを自国領と主張し始めた経緯は、広く知られるところである。湾岸戦争などをきっかけに、大陸国家の特性を重視した毛沢東の人民戦争戦略では、欧米諸国の軍事力に対抗できないとの路線転換だった。中国の軍事力にはこの30年、急速な経済成長に伴って多額の国防費がつぎ込まれ、海軍力を中心に増強に増強を重ねてきた。

 今や米ロに次ぐ951隻の大艦隊を率いるアジア随一の海軍国である。防衛白書によると、その主な内訳は駆逐艦・フリゲート約75隻、潜水艦約60隻など。数の上では、海上自衛隊の149隻(護衛艦52隻、潜水艦16隻)の6倍近い。加えて中国はすでに空母の建造に着手しており、2020年代に空母3隻の運用をめざしているといわれる。

 大国意識の現れは、さまざまな弾道ミサイルの大量保有にもみられる。昨年10月、天安門広場であった建国60年軍事パレードでは、日本だけでなく米国も射程に入れた新型ICBM(大陸間)やIRBM(中距離)、米空母艦隊を標的とした移動式の対艦弾道弾ASBMまで登場させた。ちなみに今年8月に米国防総省が公表した中国の軍事動向についての報告書は、中国の09年の軍事関連費を1500億ドル(約12兆円)と推定している。

 こうした変化をみると、中国の外交・安全保障の方針は、80年代に鄧が唱えた「韜光養晦(とう・こう・よう・かい)(能力を隠して時間を稼ぐの意)」という抑制的なものから、新しい世代による露骨な威圧主義へと着実に転じつつあることが明確にみてとれる。

 中国は軍事増強の目標をどこにおいているのか。

 さしあたりの手がかりは、中国自身が公表している国防白書だ。06年版は「21世紀半ばまでの情報化された軍建設の完成」を遂げるとし、情報戦の勝利や宇宙への関心を示した。08年版は、遠洋作戦能力の向上などを掲げ、潜水艦や駆逐艦などの新型兵器を充実させ「強大な海軍の建設に努力する」としている。全体を通して印象づけられるのは、中国が「核・海洋・宇宙」の3分野で三位一体的な増強に重点をおいていることだ。とりわけ海軍は2020年を目標に、外洋での活動能力の強化を進めている。中国の軍事動向に関する先の米報告書も、その意図について「太平洋の東側海域やインド洋まで活動範囲を拡大する可能性がある」と警戒感を示している。

 中国が強大な軍事力をめざす理由については、さまざまな見方がある。巨大国家を維持するための資源争奪の手段、悲願の台湾を武力統一するための戦力基盤、中華帝国による新世界秩序を築くため、海洋を制覇して米国の一極支配を排し世界に君臨するため……。

 しかし中国海軍が備えようとしている能力をみれば、彼らが具体的に何をめざしているかは一目瞭然だ。中国近海からはるか彼方で作戦を行うための原潜や空母の保有、欧米諸国さえもっていない対艦弾道弾の開発は、彼らの対峙しようとする相手が米軍の艦隊以外にないことを物語っている。その延長に、宇宙の衛星を攻撃する能力やサイバー戦能力などの開発があるのだろう。

 中国が掲げる目標は、台湾海峡をはるかに超え、アジア・太平洋全域での米国への軍事的優位性の確保にあることは疑いの余地がない。もちろん軍事力を背景にした外交や国際政治の場での交渉力や発言力の強化が、究極の目的であることは言うまでもない。

 たとえばこんな想定が考えられる。南西諸島から台湾にかけての第1列島線を突破できれば、米国の前方展開の最前線・グアムが視野に入る。ここには米軍の戦略爆撃機や原潜基地があり、太平洋進出をねらう中国にとって、沖縄とならぶ障害となっている。ここを叩くことで、太平洋中部にまで艦隊を進めることが可能になる。そうした野心がないと仮定しても、こうした目標を設けることは自国の発展にとって有益だ。中国が望んでいる領海主権や資源確保、海上交通路の安全など、ほとんどの国家目標が達成されるからだ。

 アジア太平洋地域での覇権の確立――。中国がこうした野心を抱く限り、太平洋に進出するための最短コースにあたる尖閣諸島をはじめ沖縄本島から台湾にかけて連なる先島諸島が、その海軍力に脅かされることは避けようがない。

 しかし悲観的になる必要はない。時代は冷戦期やそれ以前とは大きく異なっている。中国は日本との文化的な結びつきが長いし、旧ソ連の脅威とは質が違う。しかも巨大国家・中国の繁栄は、グローバル化した金融経済システムの中で、各国といかに相互依存を深めるかを考えずには成り立たない。中国の軍事増強がいつまで続くかは、いつまで高い経済成長が持続し、いつまで爆発寸前の国内問題を封じ込めていられるかにかかっている。国内格差をめぐる民衆の不満、先進国なみの少子化問題、深刻さを増す民族問題など火種を数えればきりがない。

 ここで話は再び、鄭和の大航海に戻る。 ・・・ログインして読む
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筆者

谷田邦一

谷田邦一(たにだ・くにいち) 朝日新聞専門記者(防衛問題担当)

1959年生まれ。1990年、朝日新聞社入社。社会部、那覇支局、論説委員、編集委員、長崎総局長などを経て2013年4月から社会部専門記者(防衛問題担当)。主要国の防衛政策から最新兵器、軍用技術まで軍事全般に関心がある。防衛大学校と防衛研究所で習得した専門知識が、現実の紛争地でどのくらい役立つのか検証取材するのが夢。

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