加藤千洋
2010年10月29日
トウ小平(トン・シャオピン)は現代中国では最後のカリスマ的リーダーといえるだろう。革命戦争の刀傷を背中に負う最後の世代の指導者だからである。
軍の大権をにぎる党中央軍事委員会主席にはなったが、党と国家のトップの座である総書記と国家主席には就任しなかった。それでも誰もがトップリーダーだと認識し、「すべて重要事項はトウ小平同志の判断を仰ぐ」との党内秘密決議も存在した。
天安門事件で負った深い傷をいやすきっかけをつくった92年春の「南巡講話」を置き土産に97年に92歳で他界したが、晩年の「ドン」の発した言葉のすべては、後継指導部にとって無視することができない「遺言」となった。
そもそも江沢民氏が後継ポストを胡錦濤氏にせざるを得なかったのも、トウが早い段階で胡氏を将来のトップリーダーにと直々に指名していたからだとわれる。
対外政策での遺言も少なくない。たとえば改革開放の一層の促進を呼びかけた「南巡講話」の際に立ち寄った上海では、最重視する対米関係についての基本方針として、彼らしい簡潔な言葉で「闘而不破」と語ったそうだ。唯一の超大国といえども闘うべき時は闘え。されど基本的な関係まで壊してはならないといった意味合いだろう。
今回の尖閣諸島沖の衝突事件で広く知られるようになったのが「韜光養晦(とうこうようかい)」という鄧の言葉だった。辞書には「才能を隠して外に表さない」とある。意訳すれば、中華復興の大目標達成までの道のりは長い。当面は目立たないようにしてじっくり力を蓄えよ。つまり「低姿勢外交を貫け」と後輩たちに託したと解釈できようか。
だが今回の事件ではそれとはずいぶん違う対応を見せたように見える。レアアースの輸出中止などは目立たないどころか、世界中を「いやはや」とあきれさせ、日米欧の統一戦線を結ばせてしまったではないか。
こんな疑問を中国の知人にぶつけると、次のような答えが戻ってきた。
「日本では『韜光養晦』ばかりが引用されるが、実はトウ小平は続いてもう4文字残しているのです」
それは「有所作為」という言葉だそうだ。やるべき時はやれとか、ある時は成果を出せといったニュアンスだ。彼はそう言ってから付け加えた。
「いま前の4文字に軸足を置くか、後ろの4文字を重く見るか。中南海も揺れているように思うのです」
「中南海」とは北京中心部にある政権幹部の執務するところである。察するに基本的には対日重視の立場をとる胡錦濤―温家宝ラインに対し、より強硬な姿勢の軍部や海洋権益にかかわる諸勢力の影響力が増し、日本の対応にいら立って、隠していた才能(ツメ)をむく強い姿勢が打ち出したのではないか。
確かに最近の国際場裏における中国の言動には従来とは違ったものがしばしば観察される。代表的なものは昨年のCOP15での中国代表の国益むき出しの強硬発言だろう。
こうした対外姿勢の微妙な変質の背景にはどのような事情があるのか。それは端的に言えばリーマンショック後の国際金融危機の中で、中国経済がいち早くV字回復を果たし、世界中から頼られる存在になったことで生まれた「自信」があるといえるだろう。
ただ世界は、そして日本は、
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