谷田邦一
2010年11月10日
普天間問題が決着しないのはなぜなのか。米国の世界戦略の変化や日本の対米交渉力の弱さなどいくつもの理由が挙げられそうだが、ここでは国内的な要因に焦点を絞ってみたい。1996年の返還合意以来、ずっと取材してきた立場から言わせてもらえば、混迷の最大の要因は沖縄と政府との関係作りのまずさにある。政策決定者たち自身が、浅学や思い違いを再認識することなしに、この複雑な基地問題に「解」を見つけるのはまず無理だろう。
ヒントがあるとすれば、それは沖縄がもつ世界観を再認識することから始まる。打開の糸口は、沖縄がおかれてきた立場をどこまで深く理解できるかにかかっている。さかのぼる時間軸は太平洋戦争の悲劇からではない。はるか15世紀の琉球王国時代から続く沖縄の歴史や文化をよく知ることである。
沖縄県の知事選は、普天間飛行場の全面返還で日米両政府が合意して以降、今度で4回目。そのつど移設問題は県民を分割する大きな争点となり、両政府も双方の安全保障体制を揺るがしかねない国際イベントとして気をもんできた。今回が過去3回と違うのは、候補の仲井真弘多、伊波洋一両氏がともに「県外移設」を訴えていること。両政府にとって、事態はより深刻になったともいえる。
しかし、これは異常な事態なのか。沖縄と政府の関係が基地問題をめぐってこじれるたびに、20年近く前から「いや必ずしもそうではない」と、こんな見方をおしえてくれた役人がいた。
「日本政府の側からみれば『混迷』となるが、沖縄と政府の間柄は、実は緊張関係にあるときが最も安定しているんですよ」
1993年に旧防衛施設庁ナンバー2の次長で退官した大原重信さん(75)だ。同庁の首席連絡調整官や施設部長などを歴任した基地問題のベテラン。現役時代は「血の通った基地行政」を心がけてきた人物として知られる。現場主義で交渉相手と徹底して話し合う。たとえ政府方針であっても、間違っていると感じれば厳しく批判する。難しい局面では、「私はこう考える」と本音を聞かせてくれた。もちろん内々ではあったが。多くの記者から慕われてきたが、これまで公の場にほとんど出たことがない。
その大原さんが今春、叙勲を受けたのをきっかけに、これまで書きためたものや講演録を「愛国心と沖縄の米軍基地」(星雲社)にまとめて出版した。縷々、普天間問題の解決の糸口を紹介している。
まず大原さんが立つ前提は「沖縄の米軍基地は占領によって作られた。武力で作られたもので、どれ1つとして合意で作られたものはない」という厳しい現実だ。だから「基地を提供する意味も動機もない」。復帰とからめて広大な基地群の返還が進められてきたが、沖縄は「今まで1度として代替地を提供したこともない」。
それなのに1996年に橋本龍太郎政権は
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