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ウィルダース旋風、ドイツへ:広がるアイデンティティ政治

川村陶子

川村陶子 川村陶子(成蹊大学文学部准教授)

 ドイツのメルケル首相が、ついに発言した。「多文化主義は完全に失敗しました」―10月16日、ベルリン郊外で行われたキリスト教同盟青年大会でのスピーチである。国内外のメディアは、「ポピュリズムへの迎合だ」と一斉に批判した。イタリアの新聞は、「多くの移民を受け入れ、多文化共生のモデル都市として注目されてきたベルリンで、ドイツの首相がこのような発言をしたことは、ヨーロッパ全体にとってショックだ」と論評した。

 メルケル自身は、ヴルフ大統領がドイツ統一20周年記念演説で言及した「イスラームもまたドイツの一部」という一節を引用し、移民排斥主義者に対して警告的な姿勢も示した。しかし、「多文化主義は完全に失敗した」と言い切る首相の断固とした口調は、ドイツを「移民受け入れ国」に転換する改革を推進してきたメルケルが、同化主義や移民制限への路線変更に踏み切ったとの印象を周囲に与えている。同じ集会で、メルケルの政党の姉妹政党の党首であるゼーホーファー・バイエルン州首相は、「健全な愛国主義」を訴え、ドイツに住む者はドイツの日常文化を受け入れるべきだ、移民ではなく国内の失業者を活用して経済発展をはかるべきだといった、移民に対して厳しい主張を繰り返した。

 なぜこのタイミングで、政権与党の幹部から右傾化発言が飛び出すのか。その背景には、ヨーロッパを覆う極右政党台頭の波が、いよいよドイツにも及んできた事情がある。

 10月2日、オランダの自由党党首ヘールト・ウィルダースがベルリンのホテルを訪れ、550人超の聴衆を前に演説を行った。ウィルダースの自由党は6月に行われた総選挙で第3党に躍進し、政権入りこそしなかったものの、少数連立のオランダ政治運営に大きな影響力を及ぼしている。彼は7月に「国際自由同盟(International Freedom Alliance)」の組織を表明し、「自由のためにイスラームと戦う」団体や個人のネットワークの構築に乗り出した。今回のドイツ訪問は、ベルリンの州議会議員であるレネ・シュタットケヴィッツの招きによるものである。シュタットケヴィッツはメルケルが党首を務めるキリスト教民主同盟(CDU)に属していたが、ウィルダース招聘を問題視した同党の州議会会派から除名され、新党「自由(Die Freiheit)」を設立した。公式な結成は10月29日であったが、ウィルダースのベルリン演説は、事実上この「新党自由」の設立を祝い、同党に国際自由同盟のドイツ支部としての機能を期待するパフォーマンスとなった。「新党自由」は来年9月に行われるベルリン州議会選挙で躍進をねらい、さらには2013年に予定されている連邦議会選挙に進出する予定だという。

 ウィルダースのイベントは、「新党自由」が、将来メルケルとCDUにとって有権者獲得の競争相手となる意思、そしてその可能性を演出する形で行われた。イベントが行われたホテルは、CDU本部を望む立地にあり、昨年の連邦議会選挙の後でメルケルが現連立政権の結成を祝った会場であった。聴衆は白人男性が圧倒的だが、服装などからみて中産階級の、伝統的なCDU支持層の中心を占めるタイプの人びとである。ウィルダースは演説の冒頭で、メルケル首相が以前に行った「モスクは今後ドイツの都市景観の一部となるだろう」との発言を引用し、現政権が「ドイツのイスラーム化」を容認していると批判して喝采を浴びた。ウィルダースが平明なドイツ語で行った演説は、その全文がイベントの映像とともに「新党自由」のウェブサイトで公開されている。

 イベントには120人ほどの反対者が押しかけ、「ナチス出て行け」と叫んでホテルを取り囲んだ。ドイツのメディアは、

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