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中国のトップツイッター・ジャーナリストが語る「ネットジャーナリズム時代の日中関係」

安替(Michael Anti=ジャーナリスト、コラムニスト)/聞き手:ふるまいよしこ(フリーランスライター)

 日本でも人気の「ツイッター」。140字以内で誰もが手軽に更新できるのが魅力のマイクロブログだが、中国でもほぼ日本と同じ時期に、ユーザーの間で口コミ的な情報伝播を得意とするツイッターの利用が広まった。しかし、昨年7月のウルムチ騒乱で現地情報が多数流れたため、政府がアクセスをブロック。現在もアクセス制限が続いている。一方、ジャーナリストやIT関係者を中心に、ブロックを突破する利用者が増加。逆に、自由な発言空間として、国内にとどまらず海外情報の交換や議論の場に活用されている。今年初めには、日本のAV女優・蒼井そらさんのツイッターアカウントが伝わり、中国語の自動翻訳を駆使してコミュニケーションをとろうとする蒼井さんとのやりとりを求めて、中国語ツイーター(ツイッターユーザー)が爆発的に増えた。

 そんな中国のツイーターとして影響力第4位にランク(参考:「中国語ツイーター影響力ランク」http://twibase.com/)されるジャーナリスト、安替氏が10月から2カ月間、日本に滞在して、講演や取材、リサーチを行う。クリントン米国務長官やメルケル独首相らと会見した経験を持つ、中国きっての西洋通ジャーナリストは、日本で何を見、何を中国に伝えようとしているのか。写真:Ricky Wong(黄大智、5点とも)。

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■安替(Michael Anti=ジャーナリスト、コラムニスト) 1975年、中国・南京生まれ。南京の大学卒業後、江蘇省無錫市でホテル従業員、コンピュータ販売員、プログラマーとさまざまな職を経験し、2001年から「華夏時報」へ。03年には「21世紀世界報道」紙記者としてイラクで取材。その後、米紙「ニューヨーク・タイムズ」中国総局のリサーチャーを務める。07年にケンブリッジ大学に留学、同年後半からハーバード大学でニーマンフェローとして学ぶ。現在、知識人に人気の「南方都市報」などでコラムを執筆しつつ、中国のトップツイーターとして、ツイッターを経由した熱心な情報提供、ニュース発信を行っている。今回の日本滞在も「ニューヨーク・タイムズ」電子版のブログで綴る予定。ペンネームは反対精神を表す英語の「Anti」(アンチ)から。ツイッターアカウントは@mranti

■聞き手=ふるまいよしこ(フリーランスライター) 北九州大学外国語学部中国学科を卒業後、香港で広東語を学ぶ。その後、雑誌編集を経て翻訳、執筆を始め、2001年末に香港から北京へ拠点を移し、現在、北京-香港-台湾を往復しつつ社会事情のウォッチングを行う。作家村上龍氏主宰のメールマガジン『ジャパン・メール・メディア(JMM)』にて「大陸の風―現地メディアに見る中国社会」を連載中。著書に『中国新声代』(集広舎)、『香港玉手箱』(石風社)。ブログは「中国万華鏡」(http://wanzee.seesaa.net/)。ツイッターは@furumai_yoshiko

 

 

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 ――ジャーナリストを目指すようになったのは子どものころから?

 

 大学の第一希望は南京大学の天体物理だったんです。でも点が足りなかった。それにぼくは入試を申し込むときに「不服従」、つまり「合格点に達さなくても、当局による振り分けは受けたくない」と書いたんですね。その結果、当局がヘソを曲げたので危うく大学に行けなくなりかけたんです。結局、親戚の紹介でどうにか南京師範学院の動力学部に入ることができた。ぼくがそこで学んだのは「工業制御」、マイクロチップコンピュータが専門でした。中二の時からコンピュータに触れていたので、この専門は気に入ってたんです。

 ぼくが中二の頃と言えば、88年。当時、中国でコンピュータに触れたことのある人はほとんどいなかった。ぼくはね、通った中学校がレベルの高い学校だったので、学校で成績の良い学生は興味のあるコンピュータなどの特別授業に参加することができたんです。そうして、中学の時にはもうプログラミングができるようになっていて、大学の専攻もそれにしました。

 ただ、そこはぼくが行きたい学校ではなかったので、授業はサボれるだけサボりました。あの学校に「お前の人生はこう歩むべきだ」なんて教えてもらいたくなかったし、「なんで言われた通りの道を歩かなきゃならないんだよ? 化学工場に就職するなんてゴメンだ」ってね。卒業生は多くが地元の化学工場の工場管理の職場で働く、そんな学校だったし、実際に就職した同級生は今じゃそれなりにいい暮らしもできている。でも、ぼくの理想からして自分がそんな工場の仕事につくなんて考えられなかった。

 

 ――じゃ、当時のあなたの理想とは?

 

 物理とか数学とか、またはコンピュータ関係の仕事をすること。現実的すぎる仕事は苦手なんです。子どものころからずっと物理とか数学とかをやってきたし、中学生のころには物理オリンピックの国内メンバー選抜戦の常連でしたから、大きくなったら自分はノーベル賞を取るような人間になるんだ、と思っていました。

 中国ではね、成績の良い学生はすべての資源や支援を得ることができるようになっていて、いろいろな校外行事にも参加させてもらえるんです。ぼくは子どものころから優等生だったし、自分は大きくなって理科系の仕事に就くんだと考えていた。世間ではまとめて理工系ってよく言いますが、工業科なんて考えてもいなかった。でも、入試の成績が悪かったので第一希望に受からず、第二希望も、第三、第四希望にも当局は回してくれなかった、「今年は大学に入れてやらない」ってね。

 あの頃の政府はね、1989年の天安門事件からそれほどたっていなかったせいかもしれませんが、何かあるごとに学生を罰してやろう、という態度でした。ぼくはそれに真正面からぶつかってしまい、自分の人生はもう終わったと思いましたね。だって、どうにか大学には入れたけれど、でもそこはぼくの理想からすればものすごくレベルの低い大学で、もう目の前真っ暗でした。

 

 ――もう一年やり直そうとは思わなかった?

 

 そこまでの必要はないと思ってました。ぼくはね、目的のために玉砕するようなタイプじゃなくて、どこかで妥協を受け入れることができるんです。やり直すことを選択する人が多いことも知ってますが、ぼくは逆に1年を浪費するよりも自分でチャンスを作るべきだ、そう考えました。自分の原則はとても大事だけれども、それに純粋に固執して玉砕する、なんて気持ちはぼくには毛頭ないんですね。有名ブランド大学に入るために1年を浪費するのは無駄だと思った。だから、結局その学校に入ったんです。

 すると不思議なことに、入学式の日の午後には真っ暗だった気分が晴れてしまった。その時には完全に現実を受け入れられただけではなくて、このチャンスを利用して、もしスムーズに希望校に入っていたらきっと歩めなかっただろうこの道をうまく生かしてやろうじゃないの、と考えていた。中国語の故事成語でいう「否極泰来」、つまり最悪の結果である「否」から最高の結果「泰」を生み出してやろう、と。

 そんなチャンスを得ることができたのはとてもありがたいことだと今は思っていますし、あの学校はぼくから多くの「偽エリート」的なものを取り去ったんです。

 

 ――「偽エリート」的なもの? 

 

 それまでの自信過剰さや傲慢さ。それまでの自信が、良い学校やエリート家庭という環境に恵まれて大事に育てられてきた結果として身についたものだったとしたら、それはとてももろいわけで。

 その後、生活面では苦しい思いをしましたが、振り返ってみるとあの時は自意識という点でぼくにとって最悪の時期でした。「ぼくはエリートだろうか?それとも偽エリート?」ってずっと問いかけていた。でもこれは、ぼくにとっては得難い経験でした。

 もう一つ、この大学がぼくにもたらしてくれたのが、平民主義というもの。あの学校はエリートのための学校ではなく、一般市民が通う学校だったんですね。普通の人が、工場で働くために技術を学ぶところ。だから、そこでは一般の人たちの手を使って作業する能力、実践能力、そして生存能力を育てることにとても力を入れていた。そのおかげでぼくの生存能力もとても高まった。そうやって、この学校がぼくに平民主義的なものを植え付けてくれたのが最大の収穫でした。

 

 ――そんなあなた自身には、大学卒で社会の先端で仕事をするエリートという意識はないんですか?

 

 エリートですよ。でもふつうの中国のエリートとは別のタイプ、アメリカ的なエリートです。

 アメリカ的エリート、特にぼくが学んだハーバード大学のエリートたちは、「この世界の責任はぼくが担わなきゃ。夏休みにはアフリカに行こう。貧しい人たちのための代弁者になろう。彼らと一緒に生活してみよう」と考える。最初はぼくもそれを、「かっこつけやがって」と思ってました。でも時間が経つうちに、それは「かっこつけ」じゃなくて、彼らはこの世界を自分のものだと考えて、世界の責任を背負っていこうとしてるんだと気づいたんです。

 

 ――中国のエリートは違うんですか?

 

 彼らも彼らなりに世界を担ってはいるんですが、でも違うんですよね。彼らはいわゆる「士大夫(士族)階級」、あれは絶対に「階級」なんです。中国の社会的エリートたちの特徴として、他人に対してはなかなか厳しい批判をするけれど、それを自分の身に照らすことはしない。彼らの多くがコピーを批判するけれど、自分が何かやろうとすると簡単に人のまねをする。批判するくらいなら、責任も負うべきでしょう?

 中国の士大夫階級は歴史的にずっと権力は与えられず、演説や風刺の機会だけ与えられてきたんです。政治的権力を持てずに来たから、考え方がシニカル。彼らは自分がこの国に責任をとろうとは思っていないし、いざというときには一般庶民も怖い。政権には自分のことを放っておいてほしいと考える一方で、一般庶民には自分たちに特別な地位を与えてもらいたい、そう願ってる人たちだったんですよ。

 報道の世界でも、世の中に対する責任という面において彼らは「ゴミニュースばっかりだ」と批判する。でも、ぼくを納得させることができる、本当の責任ある態度というのは、「ゴミには反対だ。じゃ、ぼくらが本当の報道というものを見せてやろう。皆に本物の報道がどんなものなのか教えてやろうじゃないか」という考え方。ほかの人間がゴミを流そうと、ぼくは別の新しい流れを作って、そいつをひっくり返してやる、ぼくはぼくのシステムを作ってやる、という態度です。

 アメリカ的エリートは「人々のために」と考え、自分が彼らに選ばれて彼らを代表してこの国を作っていきたい、と考える。彼自身に自分たちの国と民衆に対する強烈な帰属感があって、それはとてもとても強い。そこには「ぼくは君たちのうちの一人なんだ」という想像力が働いている。

 中国の知識人は「ぼくはお前たちの仲間じゃない。別の階級に属している」とシニカルにとらえている。今後、中国が民主化しても、今の著名人たちのほとんどは選挙には立候補しないでしょうね、きっと。だって、社会的な教育を受けてない人たち一人ひとりに、「何が民主なのか?」「なぜぼくを選ぶべきなのか?」を説明し、説得しなければならない。そこには庶民たちとの感情的なつながりが必要になるけれど、中国の士大夫階級にはそんな感情なんてない。物売りのように一人ひとりの人たちを説得するなんてこと、中国の知識人はやりたがりませんよ。彼らはメディアの高みに立って高らかに呼びかけると下々の者たちがひれ伏す、それこそが彼らの持つ代表性、あるいは偶像としてのパワーなのだと考えているんです。

 「食事の席で友人を少しずつ説得し、支援を取り付ける」、実はそれこそがぼくが工業大学で学び、そしてアメリカで学んだことです。ぼくなら一人ひとり相手をじっくりと説得し、そして機会があれば、今後の選挙やもっと大きな場で彼らを説得してみせる。

 だから、「ネットユーザーのほとんどは『脳残』(脳みそが欠けている)だ」と馬鹿にする言い方をする人がたくさんいますが、ぼくは絶対にそういう言い方はしない。庶民を批判するよりも、そんな人たちを「君たちは洗脳されている、ぼくの言うことをよく聞いてごらん」と説得する。もし、そこで相手が納得しなければ、それはぼくのメディア構築、ぼくのPR、ぼくの選挙キャンペーンがうまくできていなかったことになる。

 でも、ぼくが十分に情報を提供して説得しさえすれば、相手はきっと自分の良心に従ってまともな結論を出すはずだとぼくは信じています。つまり、中国人にもまともな環境で十分な時間と、十分に開放された言論さえ与えれば、世界の人たちと同じ反応を示すことができるはずなんです。

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