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【AAN第11回朝日アジアフェロー・フォーラム】ライズ・オブ・チャイナ(Rise of China):今そこにあるものを深く理解する

WEBRONZA編集部×AAN(朝日新聞アジアネットワーク)提携

※初出は、朝日新聞アジアネットワーク(AAN)(2010年4月2日、肩書は当時)

 急成長を続ける中国は今年、国内総生産(GDP)で日本を追い抜き世界第2位になります。日本が当時の西ドイツを抜いてGDP世界第2位の地位にはいあがったのは、1968年。1975年に日本を含めた先進国首脳会議が始まり、その後35年間、米国を中心とするG5-G7-G8時代を経過しましたが、日本が「G2」になることはありませんでした。中国はGDPの総額でやがてアメリカを抜き名実ともに世界1の「大国」になりそうです。だから、私たちは日本の経済発展の道筋と対比しながら大国中国論を検討しました。来年の2011年は辛亥革命百周年、2012年は中華民国建国百周年です。

 ◆報告

  (1)「G2時代」の虚と実  国分良成・慶応大法学部長

  (2)GDPだけでは大国ではない  王敏・法政大学教授

司会=藤原帰一(東大教授)

 ◆討論と参加者

  全体討論(1)全体討論(2)参加者一覧

■(1)「G2時代」の虚と実

国分良成・慶応大法学部長

「大国」中国抜きに国際関係は語れない

【司会(藤原帰一・東大教授)】 朝日アジアフェロー・フォーラムは、今回で11回目になります。何をしようかということで、世話人で議論したんですが、いろいろな企画を横に押しやるように国分先生がひとこと、中国をやったら人が集まるよ。それは分かっているんだけど、とおっしゃるんですね。もちろん多くの方に集まっていただきたいので「ライズ・オブ・チャイナ」という企画にいたしましたところ、今回このようにそうそうたる皆様に集まっていただくことができました。誠にうれしいことです。同時に、東南アジア屋としては嫉妬にたえないという気持ちも抱えております。

 申し上げるまでもありませんが、国際関係を議論するときに、中国という言葉を抜きで話をすることはもうほとんどできません。経済の話、例えば国際金融危機はどうなるのかという話をするときも、中国がどのようにかかわるのかということが中心となって議論されます。国際政治、特に軍事問題を議論するときでも、急成長する軍事大国から地域紛争への具体的な関与に至るまで、中国が常に中心になります。

 まさにライズ・オブ・チャイナになるわけです.そこで問題になるのは、このライズ・オブ・チャイナがかつての大国日本という議論のような、言ってみれば一過性の話題で終わるのか、それとも第2の大国としての中国を含む国際関係というものがこれから作られていくのか、そこでしょう。

 この話題を話していただくために適任の方々がきょうの参加者にも多数おいでなのですけれども、アジアフェロー・フォーラムも折り返し地点に来ておりますので、ここはやはり世話人から発言をするのが筋でしょう。そこで、本日は国分良成先生と王敏先生にお話をいただきたいと思います。政治と、社会・文化の両面からライズ・オブ・チャイナについて考えていこうという企画です。

 恐縮ですが、お話はおよそ20分間ということで、時間はできる限り厳守していただきたいと思います。トップバッターとして国分良成先生、もうご紹介するまでもないと思いますが、中国研究、中国政治研究の日本の代表的な研究者であるとともに、慶應大学の法学部長、日本国際政治学会の元理事長として実務家としてもらつ腕を奮っていらっしゃいます。

「まず、中国報道に注文します」

【国分良成・慶応大法学部長】 それでは、今日、20分ということなので、問題提起で終わると思いますが、既にお配りしたレジュメのような順番でお話ししますが、時間はとても足りないだろうと思います。

>>資料(PDF)はこちらからダウンロードできます

 たまたま今日の朝日新聞の一面トップはこんなことになっておりますけれども、(4月2日の朝日新聞一面PDFはこちら) 何で今さらこんな記事が出るのかなというのが正直なところであります。ちょっときついことを最初から朝日に申し上げて恐縮でありますけれども、もともと胡錦濤が春か夏に訪米するのはわかっていたはずですよね。

 4月(核保安サミット)か6月(カナダでのG8、G20)、あるいは両方行くかというのは大体想像がついていたわけで、それを前提にチベットのダライ・ラマとの会見や台湾への武器供与などの話は早めに進んでいたというのは、ほぼわかっていましたね。4月の核のサミットに出ないということは、中国はオバマ大統領を傷つけることになる。しかも、それに不参加だとノーを言うことになり、中国の立場そのものに相当が傷つくことになるとわかっていたわけですから、これを一応想定していろいろな問題が前倒しで処理されてきたということだと思います。アメリカは中間選挙があって、オバマ政権の支持率が下がっているのですから、議会からの対中政策批判を回避するためにも、対中強硬はある程度必要でした。それを「中国がしたたか」というのはどうでしょうか。外交はしたたかなものですし、アメリカはしたたかじゃないんですかということになる。まず、苦言というよりも問題提起として申し上げておきたいなという感じがいたしました。

 というのは、ちょっと最近、記事を見ていて気になることが多いのです。グーグルの問題にせよ何にせよ、トヨタの問題にせよ、ちょっと違うんじゃないかという感じがしておりました。自分の中国研究の感覚がちょっと鈍ってきたのではないかと不安になって、私は3月初めの全人代のころに、3日間だけ時間をとりまして、大使館にも行かず、要人にも会わず、研究機関も訪れず、街の表と裏をずっと3日間歩き続けて、そこで情報を集めてみようと思ったのです。皮膚感覚、街の感覚というフィールドワークですね。

 普通のおじさんやおばさん、食堂のオーナーとか、タクシー運転手とか、そうした人たちと話していると、報道で作り上げられたものと実態が全然違う。外で見ていると、中国台頭とG2とか、こんな話になってきちゃっているわけですけれども、現場で何が起こっているかというと、相当に下からの社会の圧力がすごいことがわかります。

 その圧力というのは、政府や生活に対する不満ばかりしか出てこないということです。この状態というのはいったい何なのかと思います。

 私は天安門事件の直前の1988年まで上海にいましたが、状況が違うといえば違うのですが、似ていると言えば似ているようにも思えます。違うのは、学生が動いてないという点です。学生は全く体制化していますから、学生と話していてもあまりおもしろくはありません。

 それから、知識人たちもその多くは体制化しています。彼らも既得権益層の中にある程度組み込まれている人たちが多い。われわれは通常よく中国の知識人に会いますが、そうした人たちの感覚はひょっとして一般社会とはすでに少し違うのではないか、そんな疑問をもって北京の街を自分の足で歩いてきました。

 社会の圧力、それを天安門事件前だとは言いませんけれども、それにもちろん趙紫陽も現指導部にはいないのですが、少し似ている感覚があるのではないかと思います。いずれにしても、社会の雰囲気があまりよくないということです。

 ただ、今すぐに何かが起こるという感じでもない。起こりようがないんです。それは、監視カメラがいたるところに設置され、そのときはいわゆる全人代ですから、警察官がほとんど100メートルもない間隔で立っていました。これは逆にいえば、本当に安定しているのだろうかということであります。

 また、ヨーロッパも最近行っていないので見てこようと思って、この間、伊豆見さん(伊豆見元・静岡県立大教授)とご一緒しましたけれども、フランスでの国際会議に参加しました。それにまた、今週の日曜日からアメリカに行って、今度はハーバード大学で「ライズ・オブ・チャイナ」という全く同じテーマの大討論会があるので、日本人がだれもいないというので、参加してこようと思います。

 そんなこと言ってるうちに5分過ぎちゃいました。

 レジュメに戻りましょう。G2の時代というのはどうして出てきたのか。これは言葉としては、例えば「フォーリン・アフェアーズ」あたりがさかんに取り上げてました。フレッド・バーグステンも「フォーリン・アフェアーズ」で言い出したし、それからもちろんそれ以外にもブレジンスキーなどのそれに乗ったという感じだったし、キッシンジャーも若干そうした傾向がありました。そうした言葉がひとり歩きを始めるというのは、今の世界はキャッチーの時代ですからよくあることで、それ自体が現実にあるかどうかという問題ではなくて、それが動き出すと逆にそれが現実になっていくところもある。

 これが国際政治のまさにコンストラクティヴィズム(Constructivism/構成主義)という議論です。今の国際政治学や歴史学は、物事の理解は人の記憶や伝承などを通じて構成されていくという視点にたつコンストラクティビズムは、現在の学会の主流ともいえる流れです。

 ということで、アメリカの世界戦略家がそういうことを言い出したので、これが動き出したのですが、両国の首脳はいずれもこれを否定したわけです。オバマ大統領は、これはあり得ない話ということで否定しましたし、中国も、温家宝さんがこんなことはあり得ない、中国はまだまだ早いと言いました。そしてこれは、アメリカが中国を意図的に釣り上げて、中国脅威論をつくるための陰謀であると、こういう言い方をして一蹴しました。

 でも、もちろんこう言われるのは中国の人たちにとっても、ほんとうはうれしいでしょうと聞くと、本音はやはりうれしいようです。それは当然のことです。しかし、現実が伴っていないというのも彼らはわかっているわけです。

「中身伴わぬG2論」の中で本質を考えるためには

 G7、G8からG20へ、そしてそれが今度は一挙にG2に行っちゃったという、何だか話がどんどん先に進んでしまうというだけで、中身は伴っていない。言葉はひとり歩きはするでしょうけれども、それを議論していって意味があるのかないのかというのはもちろんあるわけですけれども、ただ動き出している以上、中国の本質は一体何かということを考えなくちゃいけないですね。

 日本の中では大体これをもって非常にペシミズムの議論が登場しています。「これで米中に牛耳られて、日本はまたバッシングされてだめになる」というのと、「だから日本はだめなんだ」といって日本をたたこうとする人たちとか、「いや、これはまだまだ米中は、そうじゃなくて大衝突が起こるかもしれない、台湾問題に注目だ」という人たちと、そんなような分かれ方をしているんですけれども、実はそんな極端じゃないと私は思っているわけであります。

 確かにGDP論争でいきますと、日本が本来抜かれると予想されていたのは2020年代で、しかも2000年のときは日中のGDPが4対1だったわけですから、10年間で一挙に並ばれたということですね。

 日本のGDPは世界の中で最高18%を占めたと思うんですが、今や8%まで落っこちました。中国も現在約8%。これは、いかに日本がこの20年間だめだったかというその象徴でもあるわけです。中国がすごいのか、日本が相当ひどかったのかという、これは両面性があるわけですね。ただ、ドイツなんかも倍近くまで伸びてきたというのがあります。

 そういう点でいくと、やっぱり日本の問題というのは、きちんと対処されてこなかったという面が1つあるということは、日本自身の反省として考えなくちゃいけない。

日本はなぜ「G2」になれなかったのか

 そこで、2つ目には、今日はいろいろなおもしろい方も来られています。畠山さん(畠山襄・国際経済交流財団会長、元通算省審議官)もおられるので、少し挑発的に、日本は何でG2になれ切れなかったのかという問題を提起してみたいと思います。実は来週、ハーバードでこの辺を報告するのでいまスピーチ原稿を書いているのです。日本が西ドイツを抜いて世界第2位になったのが68年ですから、そこから40年間以上にわたって日本は世界第2位を築いてきているわけであります。

 1964年に東京オリンピックがあって、先進国首脳会議が始まったのが、G5・G6、これが1975年ですね。このときの隠された意図の1つは、日本を国際社会の中に引き入れていくという、いわゆる三極委員会なんかもそうですけれども、日本が国際社会の中にきちんとメンバーシップをとるという意味で、この75年あたりは考えられていたということだろうと思います。

 このような中で、ただ、この間、世界と日本は石油ショックを受けて、そしてその以前から日本はアメリカとの間で経済摩擦が起こったものですから、円高圧力が来ていたのです。日本は少しずつ円を切り上げていくわけですけれども、結局のところ、71年に経済面のニクソン・ショックがあって、変動相場制に移行したわけです。

 その変動相場制になったのですが、日本は依然としてまだ介入を繰り返しながら円を守っていきました。エズラ・ヴォーゲル先生の「Japan as Number One」が出たのが1979年です。これはもちろん日本の方式を一部アメリカも見習えるかもしれないという趣旨です。

 で、私がアメリカにいたのがちょうど80年代の初めですから、この経済摩擦が非常にひどかったときですね。このときは今でもよく覚えていますが、ただし日本がとにかくソ連に変わる悪の脅威になるとか、いろいろなことを言われていたんですけれども、心の中では大きくなった日本にどこかうれしさが潜んでいた。

 ですから、今の中国の人たちの気持ちはよくわかる。「ようやく日本もここまで来たか」という感覚はありました。脅威論と言われても、絶対脅威にならないのはわかっていますし、それだけのものがあるのかと思っていましたから。しかし、「何かうれしい」という、そういう感覚で一生懸命、「いや日本はそんなんじゃないですよ」と反論をしていたというのが、私がアメリカにいた時代の2年間だったなというのが今思い出されるわけでありまして、そうすると、中国の人たちの気持ちもよくわかるなと。

 85年にプラザ合意がありました。日本の中では「バブルがどうして生まれたのか」というと、「実はプラザ合意が生んだんだ」という議論がたくさんあります。その辺は畠山さんにお聞きしたいんですけれども、もちろん相関性はあるわけですね。その後、「内需拡大しなくちゃいけない」となったわけですから。そして、1年間で1ドル240円だったのが120円になっちゃいました。つまり、半分になりました。それによって企業は外に出ざるを得ないという形になっていったということですよね。90年代初頭、バブルが崩壊して、日本はその後苦労してようやく浮かび上がりかけたと思ったら、今度はアジア通貨危機で再び奈落の底に落ちました。

日本のプロセスを徹底学習する中国

 実は中国は、こうした日本のプロセスを勉強しています。実はかなり多くの専門家が内部学習をやっているんですね。ですから、もうこの話をするとわっと飛びついてきます。「日本のバブルはどうして生まれた」、「アメリカの圧力はけしからんよな」と、こう言ってくるわけですね。「アメリカの圧力によって日本はやられたんだ」と見ている人が多い。

 でも、そういっても、変動相場制も人民元切り上げもないのに、「中国はもうバブルが来ているじゃないか」と。「人民元を切り上げてないのに、どうしてもうバブルが来ているんだ」と。「これで切り上げたらどういうことになるんだ」という話ですよね。内需拡大だという話で言われてこういうことになって、「中国は一体大丈夫か」という話で、「外に出るだけの力を持っているのか」ということです。だから、「アメリカの陰謀によって日本は陥れられた」という議論が中国の中に根強くあって、「アメリカの圧力では絶対に人民元切り上げはやらない」と言っているわけですね。でも、「アメリカの圧力ではやらない」と言っているんです。よく聞いたほうがいいですね。だから、やらなきゃいけないのもわかってきているんです。その辺、大論争が内部にあるということを最近発見したというか、中国人の人たちがこの議論に食いついてくるということがよくわかった。

 ですから、「日本の二の舞になるのかどうか」という話なんですけれども、ここのところはもう少し丁寧にそれこそ畠山さんにお聞きしたいんです。実は、日本はもっと前に少しずつ切り上げをすべきだったという議論があるわけです。そうすれば、バブルはもう少し回避できたかもしれない。つまり、あまりに我慢して、結局、アメリカの圧力で、アメリカの決定で日本が切り上げざるをえなくなったという部分がないのかということです。だから、もう少し早目にじりじりとちゃんとやっておけば、あんなことにはならなかったのではないかという議論があるようです。

 と考えていくと、中国はもうすでに遅いかもしれない。バブルがこんなに起こってしまって。

 最近、中国の若者と話をすると、家の話しかしない。これをやったら2時間でも3時間でもやっているわけです。彼らにとっては深刻です。結婚しても住む場所がないのですから。

 われわれの昔のあの不動産バブルの時代と同じ状況が中国で起こっているのに、しかし彼らはそこのところはまだ完全に実感できていないわけです。だって、東京の地価よりも北京のほうが高くなっちゃっているところが結構あるのですから。

 ということで、こんな話をしているうちにもう大分時間が来たので、中国の実態はどうなんだということに移りたいと思います。

体制が壊れる可能性はほとんどみられない

 現状で見る限り、中国の政治体制が壊れる可能性はほとんど見られない。なぜかと言えば、第1に今の中国は改革開放30年に自信を持っている。第2に現在のような金融危機のなかで、共産党独裁下の市場経済が実質的に有効に機能している。第3に国際社会特にアメリカが中国の体制転換を望んでいない。MAD(注:Mutual Assured Destruction)というか相互確証破壊のようなもので、中国が米国の国債を持っていること自体で、お互いそれを相手を強制する手段として使えないという状況が起こっている。

 ただ、そうした希望的あるいは状況的な要因よりも、やっぱり一番大きいことは、「党」、「軍」、「ビジネス」の癒着と腐敗です。

 この点で重要なのは、国有企業の資産公開。これについては、先日、中国の経済官僚と話す機会があり、ちょっとお話をしたときに、「まあ2年間は無理でしょう」とのことでした。その意味は、もうポスト胡錦濤時代に入りつつあり、権力交代もあって難しくなっているということです。

 資産公開、そして税制です。簡単にできないでしょう。既得権益層が固めている中で、もともとできる問題じゃない。そこで環境税だとか資源税だとか、つまり痛くないところから取って、あとは私営企業と外国系企業から取るという形でやらざるを得ないという話ですよね。ですから、個人所得税とか累進課税の具体化はできないし、それから相続税もできないという話です。

「資産公開」「税制」改革できるか 議論は表面化し始めた

 そうすると、普通の国家としての体をきちんとなすのかという話が、やっぱり中国内部の国家官僚の間でも真剣にあるわけですよね。ただ良い点は、そうした議論がもう表面にでてきたということです。

 中国の問題は、システムの未整備と機能不全です。「中国は何で8%成長をめざすのか」といったら、それは簡単な話で、8%と言えば、下のほうでは勝手に9%、10%やっちゃいますから。上の政策が下では勝手し放題になってしまうのが、中国ではよくある現実ですね。

 体制に巣食った汚職・腐敗は、今回3日間北京の街で聞いて歩いただけでも、もう聞きあきたというぐらい、とてつもなく多すぎる話です。もうそれは無限に存在する話ですね。しかも、市民たちはみんな知っているわけですね。それは、少し聞いただけでも、ちょっと想像を絶するような話が幾らでもあるという世界だと思います。

メディア沸騰

 という中で、「この状況ではいかん」という感覚が広がっている。官僚の中にもそうした人たちが拡大している。その中で今一番おもしろいのが中国のメディアです。メディアがどういう状態になっているか、おそらく中国の方はわかっていると思いますけれども、いまやおもしろくてしようがないですね。おもしろい記事が多くなっています。もう社会の中は、ぐつぐつと不満ばかりが渦巻いてきている。ここでもしグーグルを中国政府が許すようなことがあったら、ぱんとはじけてしまうのではないか、というのが私の率直な感想です。

 グーグル問題についての一般的な報道を見ていると、「中国は上から抑えてけしからん、けしからん」というばかりの内容なんだけれども、「何で抑えなきゃいけないか」というところが、「中国がこんな現実になっているじゃないか」とか、「今、実は中国国内の報道がこんな変化している」いうのは出てこない。

 例えば、ここへもゲストとして来た兪可平さん。(注:<兪可平>中国共産党中央編訳局副局長、著書「中国は民主主義に向かう」(かもがわ出版)、09年10月16日開催第9回朝日アジアフェロー・フォーラム「中国の民主主義」で講演)。

>>第9回朝日アジアフェロー・フォーラムはこちらです

立場を変えた兪可平さん 「党を法で抑えないといけない」

 これは実は香港のネットにあるものですが、彼最近立場を変えました。ここに来たときは、あんなに慎重で、「民主主義はよいが時間をかけて」みたいに、いわば権威主義的主張を展開していた彼が、ここに書いてあるとおりですが、何を言い出したかというと、「法に依拠して党をおさめる」と言い出したんですね。「党を法で抑えないとだめだ」と彼がついに言い出した。「民主主義はいいものだ」としか言っていなかった彼が、ついに変えました。変えないとまずい、ということですよ。まずいというのは、メディアがそういう報道をどんどんするようになってきた。つまり社会が変わってきた。

>>兪可平さんの資料(PDF)はこちらからダウンロードできます

 おもしろいのは、ここにちょっと書いてあるように、つまり、中国の現体制は、上からの「剛性安定」という、締めつけ安定が現実であって、実質的に警察国家と変わりないという議論です。そうした議論までネットでは出はじめています。

私の批評をそのまま紹介した雑誌が全人代会場に置かれた

 私の『南風窓』誌の記事のコピーも配布させていただきました。

>>国分さんの資料(PDF)はこちらからダウンロードできます

 これは一度上からの圧力でつぶれかけた雑誌ですよね。あまりにやり過ぎて、『財経』とともに危なかった。これはNHKの特集で数年前に取り上げられていました。この雑誌が今回の全人代のすべての会場に置いてあったそうなんですね。私が取材を受けたのも載っているんですけれども、中国語がわかる方だったらわかるでしょうが、話したことが全部そのまま出ちゃっているわけですね。

 中国が文化大革命時代のような閉鎖的にならずに、現在のような国際化された状況を日本は望んでいたのであって、その意味で日本の対中政策はODAも含めて成功した、それをアメリカは全面サポートしてきたのであり、その点で日米安保条約は中国にとってマイナスとなったことがなかった、中国が少し自信をつけたからと民族主義的主張を行うのは危険であり、中国に必要なのは改革と開放の継続であり、しかしそれを拒むのは既得権益層だ、米中関係が悪いのは国内政治を配慮した一時的なものであり、現状で対決はできない、などの議論が出ています。

 鳩山外交についても、私の議論が紹介されていまして、「日米安保条約を緩める必要が今の状況でどうしてあるのか」、「日本の国益にとって、米国との関係を緊張させることに意味があるのか」。東アジア共同体についても、なぜ中国は慎重なのかについて、「中国はアメリカとの関係を崩したくないからこの議論に消極的なのだ」といった話が出ています。外国人が話す議論は、基本的になんでも紹介できるということでしょう。

 さらに紹介すると、「日米安保がいかに中国の国際化に貢献したか」、「日米安保があって今の中国があるんじゃないか」、「日米安保を使い、中国を敵視して、中国が国際社会に入ることをそんなに阻止したことがあるか」、「台湾問題で武力的な行動をとったときに、日米安保は抑制効果があって、それ以後中国は穏当な対応となった」というような話が書いてあるんですね。これらが全部そのまま出ています。中国は民生部門をきちんとやらないと、ソ連の二の舞になることも記されています。

 こうした私の議論は確かに注目されたようです。それにしても、全人代でみんながこれを見ていて、こんな議論があるのかということだったようです。

 グーグル問題はそうですが、トヨタ問題も、実は途中で中国の態度が突然変わったんです。最初、トヨタ問題について中国は甘かったんですね。何度もアメリカでお詫びをしているのを報道して、「かわいそうだ」とみんなが言い出したわけです。「トヨタは頑張っている会社じゃないか、アメリカこそけしからん」という議論もあったそうですが、そこが突然変わった。何で変わったのかを調査してみました。

 で、面白いことがわかったんですね。それは何かというと、クレーマー、クレーマーが山のように来たということです。インターネット上で、「トヨタのおかげでおれの息子は交通事故を起こした」とか、「アメリカばかりに謝って中国に来ないのはけしからん」、そういうのがざっと来て、デモまであったのを上から抑えつけたということです。結局、そうした社会からの大きな声に応じざるをえなくなった。つまり、ここにあるのは社会の圧力。「2ちゃんねるを中国政府も見過ぎている」という感じもちょっとあり、どこかの政府と同じですが。

「民生を気にせざるをえない」部分が報道されていない

 軍事費削減がどうして従来の17%前後から7%に落っこちたのか。これは、別にアメリカや日本の批判はあまり考えてないと思うんです。それじゃなくて民生です。ネットでは「民生をどうにかしろ」とあふれています。その背後には、やっぱり「軍事費をどれぐらい使っているんだ」というのが結構出ていますよね。そういう社会の圧力みたいなものがあり、今年、医療費と薬品価格を4分の1に下げるという議論を始めたようです。何でそういう見方が我々の報道の中からできてこないのかなというのが、私は社会をきちんと見ていないからではないかと思うのです。つまり、ひとつひとつ起こった現象を自分の視点からだけで見ていると、全体像を見失うのです。

 いずれにしても、ポスト胡錦濤時代に向けて権力闘争の激しい時代に入りますから、今や街の人たちが一番おもしろいですよ。「江沢民、最近、出てこなくなったから大丈夫かな」とか、そういうことをみんなが横目でウオッチしているという部分のところが非常におもしろいという感じがしますね。

 ただ、今のままではどうにもならないということで、今後政府はどこから着手するか。結局、経済成長が最優先ですから、財政補てんするしかないという話になるんですね。これが続くと思います。というよりは、政治的には上から抑えつけざるを得ない。やっぱり剛性体制にならざるを得ない。そしてアメリカとの関係は、結局崩せないわけですよね。

 ただし、これに対してフラストレーションを持っている人間が幾らでも中国に出てきているということです。これは官僚を含めて、「アメリカの言いなりになるな」という話に結構なっています。しかも、「アメリカの言いなりになったらまずいことになるかもしれない」という人たちも相当に増えてきたのも事実。しかし、おそらく戦略的には、そんなに好きではないが、アメリカとけんかするのは得策ではないという話になるわけです。これはアメリカでも同じでしょう。

 米中関係の根幹は台湾問題です。近年は大陸から数キロの軍事要塞島の金門島に台湾から行けるようになりましたが、実は大陸のアモイからも直接行けるようになったのです。金門島には軍人もほとんどいません。私も行ってきました。台湾からじゃなくて、アモイから行ける、そういう時代が来ちゃっているわけですよね。

 ですから、米中関係というのは、台湾問題ではすでにおかしくない。ただし、「今のところ」はないということです。とはいえ、陳水扁さんのようなああいう極端な政策をとるのは今後難しい。アメリカは現在の中台の交流を評価しているわけで、今後とも台湾はあまり極端なことはできない。つまり、独立は難しいし、それに統一も簡単ではないということです。

 そんなことでもう時間が来てしまいましたが……。最後に少しだけ下さい。

発展の現実は「実」であり、システムと社会の基礎はまだ「虚」

 ということで、「中国は結局のところ張り子のトラか」と言われたら、「張り子のトラでもない」と思います。それはなぜかというと、「もう現実がある」ということです。広がった経済の発展、1人当たりGDP1万ドルを超えてしまった、こういう現実が中国の沿海地帯に広がったということです。人口も含め日本の4倍か5倍でしょうか。そして、世界中に散らばった優秀な学生、優秀な人材。こういうのはもう体制が変わろうが何だろうが変わらないんだということで、これは「実」だろうと思います。ただし、システムと基礎部分は、そういう点でいくと、「虚」の部分が相当に多いので、だんだんメッキが外れていくことになるんじゃないかという感じがします。その間、とにかくどうやって経済成長を継続させていくかということなんです。

「G8、G9」として訓練を積んだらいかがでしょう

 最後の結論。もう一度中国にG8、G9に入ってもらったらいいんじゃないか。つまり、中国がG2に一挙に飛ばないで、やっぱりG7、G8の訓練を積んでからやらないとまずいんじゃないかという感じですね。ですから、日米安保の意味も含めてですけれども、きちんと中国が国際社会の中に枠に入る工夫をこれからさらに進めなければならない。この点で最も重要なのは、日本もアメリカも以前のような力がない中で、やはり中国自身の自助努力です。その意味で中国は決定的な段階に今入りつつあるんじゃないか、そんな感じがするということを申し上げて終わります。

 以上です。(拍手)

国分さんのフィールドワーク手法(藤原さん)

【司会(藤原帰一・東大教授)】 国分先生、ありがとうございました。これからライズするチャイナではなく、既にライズした、つまり大国となった中国が抱えている問題についてお話をしていただきました。国分さんは私の長年の友人でして、尊敬しているところもたくさんあるんですが、ひとつ挙げるとすると、中国の普通のおじさん、おばさん、お兄さん、お姉さんのところに行ってすっと話を始めることができる。日本人で、国分さんほどこれを自然にできる人に会ったことがありません。

 ご一緒に中国に行ったことがあるんですが、同行した方が中国民衆に会いたいとおっしゃるんですね。民衆に会いたいなんてこれは大仰なと私は思ったんですが、国分さんはさらりと、「いいよ」、とおっしゃって、すぐに民家に入っていって、「日本から来た偉い人なんだけれども、君の家を見たいと言うんだけど」と持ちかける。相手も、「あ、はい、いいですよ、うれしいな」とすんなり受け入れて、国分さんを先頭に民家にずかずかずかとわれわれが入っちゃった。「民衆」に会いたがっていた先生が一番たじろいでいたくらいです。

 その間、国分さん、ずっとおしゃべりをしているんです。国分さんが中国のおじさん、おばさんとおしゃべりをしている過程、これが国分さんのフィールドワークなんだと腑に落ちました。中国の社会の温度というんでしょうか、それをつかまえる点で国分さんほどすぐれた人はいません。今日のお話にもそれが現れていたと思います。

 続きまして、今度は王敏さん。文化をテーマに日中関係を追いかけてこられたので、政治とはまた違った角度からのお話をちょうだいできると思います。よろしくお願いします。

■(2)GDPだけでは大国ではない

王敏・法政大学教授(比較文化論、国際日本学)

さまざまな「大国」の尺度を考えてみる

 世話人会でこのテーマをいただきました。日ごろの不勉強を隠すためにパワーポイントをつくってまいりました。お手元の資料と同じ流れでご報告させていただきます。

>>資料(PDF)はこちらからダウンロードできます

 多様な「大国」意識というのは、辞書やいろいろなところから一般的な定義や概念を見ることができます。

 その中で、たとえばその国の特徴から見て、人口における大国では、1位は中国です。人口から見て大国である中国における大国意識の台頭は、実は、ひとつはWTO加盟、もうひとつは2006年の中国の人気テレビシリーズ「大国崛起(くっき)」(大国の勃興)を通して見ることができます。このシリーズ、当初は累計50万部を販売していました。

 2006年になぜ、大国崛起がブームとなったのでしょうか。2006年1月6日、「人民網日本語版」に中国社会科学院の評価基準と分析による調査結果が報告されています。そこでは、主要大国の総合国力試算があります。1位アメリカ、2位イギリス、3位フランス、そして6位中国、7位日本でした。大国崛起が出てきた時にはこのような背景がありました。

 このような基準はどこでつくられているのでしょうか。これは中国独自につくられているもので、中国に不足しているのは、科学技術力であることもはっきりと指摘されています。そのときから大国への問いかけが「関心事」となっているのではないか、と分析しています。それ以来、中国で相次いで大国に関する図書が出版されてまいりました。

「徳と信」が不可欠

 それでは、中国人にとって大国意識の基準とは何でしょうか。先ほどの図書などをまとめて報告しますと、伝統的な大国意識の基準が相変わらず基準のうちのひとつになっています。つまり、「徳と信が大きい」ことで大国となると言われています。この徳も信も皆さんご存じのように、1つは中国の儒教哲学に由来する倫理、道徳、社会通念、一般教養の中核ですが、もう一つは道教哲学の説く大国理念によるものです。

 このような徳を中心とする大国の基準に関しては、具体的な事例として1998年、江沢民国家主席が訪日したときには、「徳をもって鄰と為す」と、そのような理念の主張がなされました。これは実は日本でも共鳴されました。それは、翌年の小渕恵三元総理大臣の私的懇談会である「21世紀日本の構想懇談会」で、小渕総理は、「経済的富に加え、品格のある国家、徳のある国家として世界のモデルを目指したい」とあいさつしたということを思い出していただきたいと思います。

 徳というのは理念であり、哲学であり、行いの基準であり、倫理道徳の「大黒柱」とされてきました。勿論、政治、外交思考のベースに置かれている理念でもあると中国では理解してきていると思います。そして、先ほどの小渕元総理の「徳」説を見ると、共通性がありましょう。

 理念重視の思考に関して最近、日本研究者の馮昭奎さん(注:元中国社会科学院日本研究所副所長)が鳩山総理の「友愛外交」に関しても、理念を持つ外交として、「和諧世界」の外交と内容が違うところもありますけれども、理念を持つというところには共通性があり、今後の日中関係の思想的基礎になるだろうと指摘されています。国家としての理念をきちんと持つべきだという考え方は中国の伝統的な大国の基準に関する発想にも繋がっていると思います。

「文化」「幸福」「世界への貢献度」、さまざまな目標

 このように中国の伝統的な考え方に並べて、多様な国力判断基準に注目しています。ひとつ目は、総合国力です。この総合国力による発表は、昨年12月にありました。順位は、1位アメリカ、2位日本、そして中国は7位となっております。皆さんご存じのように、総合国力の定量研究は1960、70年代の国力方程式によって始められ、米国のジョージタウン大学戦略国際研究センター主任のクラインが提案した「国力方程式」が有名になっていますし、ハードパワーとソフトパワーの分類もここに由来しています。

 ふたつ目に注目しているのは、国民総幸福量。これは、GNHとも言われています。1976年、ブータンのワンチュク国王が提唱した幸福指標です。精神的な豊かさ、幸福を求めようとする考えとして特徴を持っています。しかし、幸福を精神的な豊かさではかる場合には、数式化は難しいということですが、GNHはGDPより大切だとしていることはその主張の要点です。

 このような主張は、1998年10月、国際的に評価を受け始めました。そして、2006年、イギリスのレスター大学の社会心理学者エードリアン・ホワイト氏が全世界約8万人の人々に聞き取り調査を行って、GNHランキングを出しました。これは178カ国を対象としています。ベスト10のうち、この指数を出したブータンは8位となっております。21位以下、抜粋いたしますと、中国は82位、日本は90位と並んでいます。

 次には、国民総文化力または総文化力指数というような国民総魅力という指数があります。こちらは、米国のジャーナリストでありますダグラス・マッグレイが国民総魅力という指標を2002年に発表いたしました。

この発表は、日本を意識して、日本を国民総魅力のモデルという前提に立って、文化という無形の価値を総合して一国の国力を評価しようという試みでした。しかし、これも具体的な基準はまだ出されていません。

 4つ目、BBC国際調査「世界への貢献度」というのがあります。こちらも2005年から2007年の3年間、BBCが世界の34カ国を対象に調査した世界への貢献という観点から得られた調査結果であります。そこでは、日本は連続3年間トップの地位にあります。

 では、以上の結果に対してアジア諸国はどう反応しているのでしょうか。実は、2007年3月6日、時事通信によると、中韓の反応はよくありません。つまり、日本への評価に対して否定的な反応をしているということが示されています。

 このように多元化されている世界的な評価の中に、中国は諸外国の在り方に注目し、世界の評価について考察し、真剣に受けとめるよう、努力しています。では、それを踏まえた上での自己認識はどのようなものでしょうか。最新の動態から見てまいりましょう。

 まずひとつ目。2009年9月29日ですが、中国国家統計局が報告書を発表しました。世界の経済成長に対する中国の貢献率は、「1978年には2.3%だったが、2007年には19.2%に上り最高だった」ということでした。

 次は、これはもっと近い話ですが、この3月に全人代政府活動報告から2010年の目標として、温家宝総理の報告がありました。ここでは8つの項目を挙げて、目標として目指す方向として話されていたんですが、つまり、これはどれも今現在、不足していると認識している講話だと思います。

温首相「永遠に覇権を唱えず」:全人代活動報告

 さらに、温総理が3月14日、中国人民代表大会閉幕後の記者会見で強調しているのは、「中国の経済発展はとても早いが、地域間のバランスはとれておらず、基盤が弱い。ほんとうに近代化を実現するにはあと100年、あるいはもっと長い時間がかかる」と言いました。そして、さらに「永遠に覇権を唱えない」と言いました。

 これにあわせて、もう一度、2004年の温総理の似たような発言を見ていただきたいと思います。そのときには、「中国は覇権を取らない」と言いました。2010年には、「永遠に」をつけ加えました。

 3つ目の事例ですが、中国政治協商会議外事委員会の趙啓正主任は2009年11月、「中国の発展パターンをいかに見るか」という講演を行いました。この中国の「発展パターン」という言い方は西洋の研究者たちの言い方ですが、趙主任は、「パターンとはまだなっていない」、せいぜい「中国のケース」、「中国の事例」と言えるだろうと。そして、この講演の中では、経済成長での資源の代価が非常に大きい、発展のアンバランス、農業、そしてその他、たくさんの問題に並べて最も深刻なのは腐敗だと指摘していました。

 国分先生がおじいさんやおばあさんとよくお話するという話ですが、実は最近の中国で中国の世相を映す流行語が1つありました。安定維持を意味する「維穏」という中国語の流行語です。安定維持というのは、中国の国民にとっても最も重要な問題意識とみなされています。この安定維持のための投資を見ていただきたいと思います。その費用の増加率は、軍事費の伸び率を上回っていました。

日本に学び、品格のある大国めざしたい

 中国では、「タクシー運転手がオピニオンリーダー」といいます。これは非常に有名なので、私もさっそく、タクシーに乗ったら運転手にインタビューをしました。運転手さんがこのように私に言いました。「GDPが上がりました。しかし、僕のうちが使っているタオルは、中国製ですけれども、二、三回洗ったらもう硬くなりました。しかし、友人のうちでは日本製のタオルをぼろぼろになるまで洗っても、まだ柔らかい。ですから、GDPだけでは大国とは言えません」とはっきり彼のオピニオンを宣伝してくれました。

 1月26日、私が中国社会科学院日本研究所主催の講演会「日本文化研究の回顧と展望」で講演をしてまいりました。そこで研究者たちはそれぞれの優れた見解を述べられた同時に「日本の文化政策に学ぶ、経済の増加もうれしいことですが、国家の風格は経済だけではありません」と言っていました。

 次に、3月、北京に行ったときに、何人かの中国の各方面で日本との窓口を務められている方々とお話する機会がありました。ここで日本研究の重鎮、馮昭奎氏が言いました。「東アジア共同体の形成は理想だが、理想がないよりは前向きだ」。「ですから、『緑の環境共同体』『不戦の平和共同体』という中身をもっと明確に出されたらいいのではないか」と。

 たまたまその少し前に私が「生活文化共同体」と「漢字文化共同体」を朝日新聞に書いて提案していましたので、この提案に対して中国の方々が非常に関心、興味を示していただきました。馮氏もそのうちの一人でした。

>>王敏さんの「漢字文化圏 東アジアのDNAの絆を再認識しよう」はこちら

 さらに、中国商務部アジア局長の呂克検さんに会うことができました。彼は、「東アジア共同体という理念はよいが、具体的な中身として何をやるのかということは要検討」として「例えば第三地域への日中共同開発など」も考えられるでしょうと言って、内容の濃い論文を見せていただきました。

 あまり時間がありませんので、品格のある大国への模索をどのようにしたらいいのでしょうか。中国の友人、知人と「イギリスというモデルがあるのではないか」、「西洋や北欧の国々に学ぶこともある」、さらに「日本に学ぶことがある」と話し合いました。

 文化芸術振興基本法など、文化に関する法律の制定は日本が先に進んでいます。実は今の北京には日本音楽情報センターというのがありまして、現在会員は1万3,000人です。北京市民の約1,000人に1人が会員だそうです。音楽の力、これも中国人の目に映っている参考データになっているようです。文化の力、品格のある国づくりは国民の関心事のひとつになりました。

 「中国が世界を支配する時」という本が発行されていますが、その後中国のGDPがまた増加していくという予測も出ています。しかし、国力の判断基準は多様的であり、GDPは尺度の1つにすぎないとことを改めて強調します。

「日本が世界2位になったときと違う。大国中国を実感」

【司会(藤原帰一・東大教授)】 王敏先生、ありがとうございました。世話人会の話ばかりしていますけれども、打ち合わせをするときには、大体、国分さんと私が政治や経済の話ばかりをして、その中で王敏さんは、繰り返し、政治、経済の基礎には文化と社会があるんだということをご指摘になられました。今のお話はまさにその流れに沿ったものではないかと思います。

 そして、中国は大国になったんだなと思いました。日本がGDP、GNPが大きくなっていたときに日本で叫ばれていた言葉が、実は「GNP世界第2位万歳」ではなくて、「くたばれGNP」であり、それから「モーレツからビューティフルへ」という言葉であり、心が大事だという話ばかりですね。それがつまり経済大国のほうは達成したんだなと。今は心はどうでもいいから、経済は何とかしてくれという、日本から見るとうらやましい限りです。

■全体討論(1):民主化と世界標準をどう築いていくか

「世代交代によって民主化になりますか」

【司会(藤原帰一・東大教授)】 討論の部を始めます。では、最初に谷野さんからお願いします。

【谷野作太郎・元駐中国大使】 王敏さんから「強い大国」という話がありましたが、私は、今の中国は強い国家(大国、GNP、軍事大国、世界での存在感など)と、国分さんが言われた弱い社会、この両方を持っていると思うんです。「弱い社会」というのは言うまでもなく、拡大する貧富の格差、その背後にある党や政府の高官たちの腐敗、社会保障や法の支配の未熟など社会としては弱い。これにどう対応するかというのが、今の中心の課題でしょう。

 冗談でよく言っているんですが、最近会う人ごとに「谷野さん、現役のときよりますますお元気」と言われます。確かに白髪もあまりない。ところが内実は、血圧や体脂肪は上がるし、座骨神経痛だし(笑)。血圧が上がるというのは、今の中国の場合は不動産のバブルですよ。これをみんなが心配している。強い国家と弱い社会というのが今の中国だと思うんです。

 それを申し上げた上で国分さんへの質問は、これからどうなるかという中で、胡錦涛さんの今の第4世代では、中国を大きく民主化、政治改革の方向に変えるということは無理だと思うんです。その前に貧富の格差の問題とか少数民族の問題とかやることがいっぱいある。これに手をつけずして、一気に民主化に言ったらかつてのソ連のように国がひっくり返りかねない。そこで一部のチャイナ・ウォッチャーの間で言われているのは第5世代。すなわち、この間来た習近平さん(副主席)や、李克強さん(副首相)ら、いわば、トウ小平さん目をかけて中央の要職につけた人たちでない、トウ小平氏の影がない人たちですよね。ハーバード大学に行った人もいるわけですから、そういう人たちが権力の座につくのは、2012年から。その後この第5世代が2期勤めるとすれば2022年までの間。この10年間に中国の政治改革、民主化は進むであろう。

 場合によっては多党政治制にまでいくかもしれない。ご存じのように呉軍華さんという東大卒で現在米国在住の中国人のエコノミストがそういうことを言っておられますね。

 他方、経済発展が民主化のひきがねという他の東アジアの国々の予測は中国にはあてはまらない。やはり中国にとって今後とも長きにわたって必要なのは安定、団結、共産党による強い指導だと。彼らの世代になっても、やはり党の締めつけとかは容易に直らない。これを主張しているのは米国のチャイナ・ウォッチャーのジェームズ・マンという人です。この辺のことについて、中国はどういうふうに変化するのかしないのかということをちょっと伺いたい。

 それから、第2点は軍です。悪い意味でもいい意味でもこのところ軍はめちゃくちゃに存在感が出てきた。この間の建国60周年を祝う軍事パレード(注:2009年10月1日)。その後の晩さん会でよい席に座っていたのも軍人たちが多かったそうです。中国のある学者が、「ひところの日本に似ている。統帥権を盾にやりたい放題やった昭和の一時期の日本に似ているんじゃないですか」と。そんな軍の動向をどうごらんになるかということです。

 大国としてのこれからの中国が問われるのは、国柄の透明性の向上ということです。大国として世界の前面に出て、国際社会の一員として他国と伍していくためには今の国柄の不透明性はなじまない。対外的な説明能力をもう少し磨いてほしい。政府のスポークスマンが「ダライ」といってダライ・ラマに尊称をつけないでののしる。ああいうことは大国になじまないと思います。

 最後に、王敏さんが「反覇権」ということをおっしゃいましたね。久しぶりに聞く言葉なんですが、実は温家宝さんも確か、早稲田大学のスピーチでそういうことを言っている。

「反覇権」をきちんと盛り込んだらどうでしょう

 何を申し上げたいのかというと、「東アジア共同体」についての議論がまたぞろ盛んですが、鳩山さんなどが言う3つの原則がありますね。「透明性」、「包括性」(経済だけじゃなくて、テロとか海賊とかの包括性)。それから、「開放性」。私は、これから「東アジア共同体」を語る場合に、ふたつ言いたいことがあって、ひとつは小さいほうからいくとその場合、台湾の存在を忘れてはいけないということ。だれも台湾のことに言及しない。言っているのはご在席の畠山さんと私ぐらいです。

 そして、もう一つは上の三つの原則に加えて私は四つ目の原則として「反覇権」ということを言ったらいいのではないかと思うんです。だってこれはかつて中国が強く主張したことだし、アメリカも「アジア、太平洋で覇権を求めない」というのはキッシンジャーが上海コミュニケに書き込み、中国がこれに賛同し、その後日中平和友好条約締結交渉の時に日本に迫った大きな原則ですよね。

 だから、開放性、透明性云々もいいけれども、4番目の原則として「反覇権」ということを入れたらと。東南アジアも賛成でしょう。近年、中国海軍は南シナ海まで視野に入れつつあつ。しかも、キーティング米太平洋司令官に「太平洋を2つに割って、ハワイから向こうはアメリカが面倒見ろ。こっち側は自分たち面倒を見る」ともちかけたという話がある。これは覇権ですよね。これは冗談じゃなくて、キーティング司令官が、アメリカの議会で証言している。これを言うと、中国の人は怒るんだけれども、どうやらそういう発言があったのは事実。だから、4番目に反覇権という原則を入れたらどうかなと言っているんです。

【司会(藤原帰一・東大教授)】 国分先生、王敏先生、両方にご質問です。最初、国分先生から。

既得権益の分配の中で複雑になる権力構図

【国分良成・慶応大法学部長】 新しい指導部になったら中国は少しはよくなるのではないかということを、そういえば、胡錦濤さんになる前も言っていたなと思うんですね。

 胡錦濤さんの時代になれば少しはよくなると思ったんですが、もう今は既得権益の利益分配の上に乗っているわけですね。胡錦濤さんのいう「和諧社会建設」という調和社会建設の理念は正しかったのですね。しかし、今は「和諧社会」とかはもうほとんど実質的には言わなくなっちゃったわけですよね。というより、できなくなってしまった。

 つまりは、それも権力がないとできないということがわかったわけですよね。それの繰り返しがあって、今では中国の指導部でどっちかがどっちかを倒すようなことはまず考えられないですよね。

 そんなふうになってくると、習近平さんだろうが、李克強さんだろうが本質的にはそれほど変わらないのではないかというのが、私の今の見方ですね。もっと変革が難しくなる、もっと利益分配が広がってくるという感じもします。

 これまでは単純に、それこそ胡錦濤対江沢民ぐらいのところの図式で想定できたかもしれないけれども、これからは、軍なども含めた形でもっと複雑で複合的になっていくのではないでしょうか。

【谷野作太郎・元駐中国大使】 変わらない?

軍事パレードは逆効果だった

【国分良成・慶応大法学部長】 変わりようがないのではなくて、今の体制では変わらないと思うんのです。しかし、今日力説しましたように、社会から起こってきているこの圧力にどうやって答えるんだということですよね。とはいえ、まさに権力の奪い合いがまず先にありきとなるでしょう。

 ただひとつ気になるのは、江沢民さんがあまり出てこないんですね。習近平さんを推しているのは、当然に今は江沢民さんです。もう曾慶紅さんはほとんど舞台から消えちゃったと言われています。まあいろいろな理由があるようですが。

 そういうことによって、結局のところ、権力継承も江沢民の健康によっているという話だって、議論する人はいますよ。そうすると、場合によっては「李克強の逆転だってゼロじゃないんじゃないか」とかそういう議論をする人がいます。ただ、今のところは既定方針として習近平さんでいくだろうということです。しかし、彼に何か決定的なことができるというようなことは、今のところは見えてこない。

 それで、軍の関係ですけれども、軍もやはり、今申し上げたような既得権益の中に入っています。軍産複合体という言葉がありました。やはりこういう一種の惰性と腐敗の体制、ソ連なんかでもそういう時代がブレジネフ時代なんかにありましたけれども、そういうようなことになってきたときに、軍の一部がどこか肥大化するとかそういうことで何か政治的動揺があり得るのかどうか、それは重要な点ですが、ちょっと我々に見える場所ではないと思いますね。

 ただし、やはり先ほどからあったように、押さえつける「剛性」の部分のところのセクターがどんどん出てきていることは間違いない。ただし、昨年の建国60周年の軍事パレードは逆効果だったそうですね。それをやった結果、国民は怒ったわけですよ。民生におカネを使わずこんなところに使って、「ふざけるな」というのが国民の怒りだったわけですね。

来年の「辛亥革命100年」など、転機の可能性

 それから、もう1つ台湾ですね。台湾は、私は6月以降どうなるのかなというのが一つあります。これ、全然日本のメディアが触れていないというのもちょっと信じられないんですけれども、関心がないのでしょうが。

 しかし、やや刺激的な言い方をすれば、東アジア共同体が日本、韓国を除いてできていく可能性があるわけですよね。まもなくECFA(両岸経済協力枠組み協議)ができるわけです。

 台湾と中国の大陸の間で、自由貿易協定ができます。ここで、ほとんど行き来が自由になってくるわけですよね。中国と東南アジアの間にもFTAはできています。これで、結局台湾も結ぶわけですよね。実質的にはこれらの地域に全部FTAはできています。

 という状況の中で、日本は東アジア共同体のスローガンだけで何も積極的に動いていない。こうなってくると、東アジア共同体というのは、アジアマイナス日本という現実になっちゃったらどうするんですかというか、とまでいえるかもしれない。こういう分析もほとんどないですよね。中国では経済人たちが、ECFAの後、その効果はどうなる、と広く議論していますね。

 その辺、現実が急速に変わってきていますね。だから、台湾の人たちも相当に焦っている部分もあるわけです。こういったことで大丈夫かということですよね。

 来年、「辛亥革命100年」で、再来年が「中華民国100年」ですから、これに向けて中国は中華民国を再評価しはじめました。中華民国は、中華人民共和国のまさに兄貴分の国だったと、連続だと言い出したわけですよね。蒋介石の再評価もすでに始まっていますね。辛亥革命100年、中華民国100年を目指して、中台の統一は無理でしょうが、何かできないかということでしょう。胡錦濤さんにとってみると、何の成果もなしに引退したくないでしょうね。その点で、何か提案を出してくる可能性がある。

 大胆なものを出してくる可能性があるというのが、私の「直観」です。そのときに台湾がどう対応するか。台湾側はもちろん、中国が近づいてくることにマイナス効果もたくさんあるわけです。基本的には警戒心です。すいません、しゃべり過ぎました。

【司会(藤原帰一・東大教授】 大変なことになってきました。(笑)

「中国は日本のような均質社会ではありません」

【王敏・法政大教授】 まず、国分先生がおっしゃった中国と台湾の関係に関して。「辛亥革命100年」に触れられました。私自身が1週間前に経験した事例を通して現状報告したいと思います。

 外務省の招待で、中国の共産党史編纂出版部門と、辛亥革命の研究者たち、そして中国近代史の研究者たちの訪日団が日本を訪問してきました。訪日活動の一つは、「中国革命と日本」というテーマでした。

 代表団の皆さんが、外務省の日程表によって行動したのですが、そのほとんどが中国の皆さんの希望でもありました。その中には、「辛亥革命」、「同盟会」、「孫文と日本と中国の関係」が大きなスケジュールのひとつとなっています。

 私自身が参加していた懇談会には、宮崎滔天のお孫さんと娘さんが講師となり、そして、孫文と日本人女性の間の娘さんに産まれた、つまり孫文の孫に当たる方の講演会がそのスケジュールの中に入っていました。これが、私が経験した日中と台湾の関係を象徴している現状であります。

 谷野大使がおっしゃった、大国となる四つの条件あるいは原則、ということなんですけれども、それに賛成します。もっと多くあってもいいと思いますが、その中で透明性を磨くという必要があるとご指摘されました。そのとおりだと思います。

 これは、3月に私が中国に行ったときに、多くの知人たちと話した話題の一つでもあります。共鳴共感する人がかなりいるということですね。そして、その人たちの話を聞きながら、中国人がインド人ととても共通していることがあると気がつきました。

 つまり、日本のようにほぼ全国民が大学を卒業して、そして、知識の面、教養の面においても均質化されている特徴を持っているのではなく、非常に格差が大きい。ですから、だれを相手にして、だれと話をしているのか、その同じテーマであっても、内容と中身と角度が変わってくるということでした。以上です。

「共同体」という言葉は軽々に使うべきではない

【畠山襄・国際経済交流財団会長】 私が比較的早目に発言しますのは、この席で無内容なことを発言するときは早目にしたほうがいいと以前、誰かが言ったからです。さきほどの谷野さんの発言は内容があったので、そのおきてを破っているわけですけれども。それから、もうひとつの発言理由は国分先生から私に若干質問みたいなものが寄せられたからです。

 国分先生の第1点の質問は、「日本はなぜG2になれなかった」のかということでありました。私の乏しい経験から言うと、やはりアメリカがそれを嫌ったということがあると思います。G2になりそうになると日本の提案に何かけちをつけて。例えば「アジア通貨基金(AMF)」とか、そういうものをことごとくつぶしていったということがあると思います。それから安保で世話になっているから、何となく米国と同格だと思えないという日本人の心理的負担もあったと思います。

 それから、国分先生の2番目の質問は、「もっと早めにプラザ合意、円高化をやったほうがよかったのではないか」と。それは、私もそう思います。

 あのころ、あのころというのは、72年のころですけれども、ニクソン・ショックから1年近く経たそういうころですが、そのころの通産省内の話ですけれども、円高にするか、それを輸出自主規制で防ぐかという議論でありました。

 結論は、円高を避けるために輸出自主規制でいこうということでありました。それで、19品目の輸出自主規制をやりまして、それゆえに、あとで川柳ができました。「えんゆえに」、「えんゆえにというのは御縁と円をかけているわけですけれども、「えんゆえに 泣く泣く売られる19の子」。そういうのがありました。省内の一部に円高にしてしまった方がよかったという意見がそのころですらありました。

 それから、あとは質問ですが、国分先生の「G20とかG2とか言わずに、必要だったらG8、G9に入ってもらったらいいんじゃないか」というお話についてです。私は若干関係したんですけれども、ハイリゲンダム・プロセスというのがあります。ハイリゲンダム・プロセスというのは、ハイリゲンダム・サミットのときにできたプロセスで、G8以外に「G5」という中国とかインドとかそういう五つの新興国を入れてつくったわけですが、中国はそっちのほうが居心地がいいというんですね。理由としてG8だと責任が伴う先進国にならなきゃいかんと言っていましたが、それの発言にどれだけの信憑性があるとお考えでしょうか。

 それから、最後ですが、東アジア共同体の話が出ていました。共同体というのは私は軽々しく使うべきじゃないと思うんですね。自由貿易協定だけの関係は自由貿易協定と言えばいい。共同体ではない。共同体と言うからには、王敏さんの言われる社会、文化の共同体も含めたような、安全保障共同体も含めたようなものを言うわけであります。それを除いて、単なる経済共同体みたいなものを共同体と言わないでほしい。紛らわしいから。経済共同体であれば、自由貿易協定とか、経済共同体と言えばいいんだと。裸の東アジア共同体と言えば、それは、安全保障も文化も政治も入ったものだと思いますが、いかがでしょうか。以上です。

党員であるかないか、ということはどのくらい重要なことですか

【坪井善明・早稲田大教授】 ふたつ質問があります。

 最初の質問は、国分先生と、王敏先生と、園田茂人先生にももしお答えしていただければと思います。ベトナムを見ていて、それで類推しているので教えていただきたいんですが、やはり中産階級や経済的にリッチになっている層は、共産党員かその周辺という部分にいるのでしょうか。先ほど国分先生は、格差の問題に触れました。ベトナムでは、やはり、党員か非党員かというところは明確に存在しているように思うんです。

 もちろん、ホーチミンのほうで、経済界である程度、非党員でも頑張れるという人はいますけれども、ある閾値を超えていると党員でないとすごくたたかれるということがあって、基本的にやはり共産党の政治権力とどういう距離にあるかというのが大きい。ベトナムの社会で、共産党の1党支配の中を見ていると、やはり党員と非党員というところで目に見えないはっきりした線引きがあって、党員は基本的に4%から5%ぐらいで、おじいちゃんたち(子供は少ないですから)、4、5人が固まっていると、大体、全体の2割くらいの人が富を独占していて、8割くらいの人は、それから疎外されている構造というのがあるのではないか。これは僕のベトナムを見ながらの仮説です。

 中国の場合、今は党員ではなくても、ほんとうにお金持ちになれるのかどうか。王敏さんは中国人でよくご存じだと思うんです。園田先生は、中産階級の階層分析を専門にされています。党と、党員か非党員かのところなんですけれども、ベトナムの場合はものすごく強く、多分、中国よりもあると思うんですが、中国はもっとないかもしれません。そこの問題をひとつ教えていただきたい。

資源外交など、「外に出る中国」のイメージが出てきました

 ふたつ目の問題は、ベトナムなんかから見ますと、ラオス、カンボジアを含めて、はっきりとした中国の国家意思として、資源外交というのがあります。アフリカで、今、石油だけでなくレアメタルを含めて、国家戦略として、10億人を養うためにという形で、戦略的に行っています。

 そのためシーレーンを守ろうというので、インド洋でも「真珠の首飾り作戦」というさまざまなところで基地を設けたり。ビルマの問題でも、シーレーンを考えて軍事政権を擁護しているという見方があります。

 そういう意味で、海軍力の増強も含めて、資源外交に基づくそういう国家の意思としての資源外交をどうとらえるか。そして、かつ今いろいろなところ、特にラオスなんかでは言われていますが、ある部分、「租借地」とか「新植民地」というふうに、アフリカを含めていろいろなところに広大な土地を買って、企業が出ていって、労働者住宅をつくって、本土から中国人を連れて行っています。そういう1つのチャイナタウンとか、1つの「租借地」みたいなのを世界的に展開しているのではないかと。ベトナムは、特に上海万博以降、ホアンサ、チュオンサ含めたところで、中国が軍事的なプレゼンスをより強めるんじゃないかということを非常に今恐れています。

 今までは外に出ないというふうに中国のイメージがあったんですけれども、今日の話の大国みたいなところでは、やはり、世界的な意味での、中国が資源を自分なりに確保するということは、相当システマティック、ストラテジックにやっているように、少なくともベトナムから見えて、そういう意味で、世界に打って出るのを既にやっているんではないかというふうにベトナムからは見えるんです、そこら辺はいかがでしょうかというのが第2の質問です。

【司会(藤原帰一・東大教授)】 坪井さんは、一つ目は、党員か党員でないかということが非常に大きな意味を持っているんじゃないか。二つ目には、反覇権という言葉を使っているけれども、実は資源についてはこれは外交というよりは戦略ですね。新植民地主義という言葉が出てきましたが、王敏さん、いかがでしょうか。

「金持ちと党員であることは違うと思います」(王さん)

【王敏・法政大教授】 ベトナムには、昨年、私も参りました。正直に申し上げますと、子供のときのことを思い出しました。そっくりでした。

 中国は今はそうではありません。ひとつの事例として、江沢民主席の時代には中国共産党の党章が改定されました。そこでは、有産階級でも共産党に加わることができるという条件というか、が加わることとなりました。ですから、かつての、あるいは今のベトナムのような状況とは違う、環境変化が背後にあり、それに見合う調整がされてきたのではないかということは言えるだろうと思います。

 そして、私の知り合いの中では、党員ではないですけれども、実に党員以上のお金持ちがたくさんいます。ということは、多分、経済関係の角度から見ればけっして党員だから恵まれている、そんな差がないと思います。しかし、当然、党員でなければ党の幹部になれないというのがひとつの基準としてあるものなんですね。ほかには、生活面においては、大差がないと思われます。

【司会(藤原帰一・東大教授)】 資源戦略についてはどうでしょう。

「党員は運転免許証」(国分さん)

【国分良成・慶応大法学部長】 私は、王敏さんとはちょっと考え方が違うんです。現在、党員は7,800万人ですよね。毎年250万人とか300万人が党員として入っています。この250万とか300万のうちの、毎年入っている38%が学生なんですよね。これはデータで出ています。つまり、これは運転免許証と同じなんです。普通以上の学生だと必ず入らないといけないわけです。

【谷野作太郎・元駐中国大使】 運転免許証?

【国分良成・慶応大法学部長】 学生にとって党員になることは運転免許証みたいなものだと。つまり、250万、300万のうちの、毎年入っている新党員の38%は学生なわけですね。つまり、普通のエリートなりたいなら、入党が出発点であって、それすらないと人生終わりだよ、という状況になっているわけです。

 7,800万の内訳の統計が全部出ていまして、プロレタリアートが9.7%ですかね。2008年の統計です。つまり、すでに労働者階級の政党じゃない。農民が漁業と合わせて大体31%です。ですから、いわゆる労農――労働者、農民が全部で40%ぐらい。ただ、これは建国以来ずっと減り続けているんですね。

 増え続けているのが1つあるわけですね。その前に、党の幹部と政府幹部は大体党員全体の8%台です。重要なのは、22%を占める別の一群です。江沢民時代にいわゆる「3つの代表」というのがあって、私営企業家を入れるための政策だったと一般には理解されています。ところが私営企業家はあまり入っていないのです。入っている人もいるけれども、せいぜい何十万の単位なんですね。

 実は、一番新しいデータでいくと、中国共産党の7,800万の党員のうちの新興の22%、そこに含まれるのは、いわゆる国有企業を中心とした企業経営者、それから専門家、弁護士とか、高級知識人とかいった社会層です。22%ということは、7,800万のうちの1,800万ぐらいいるという話ですよね。この人たちは、さっき言ったように必ずしも私営企業家じゃないんですよ。

「ビジネス権益層にも党員資格を与えたのです」

 私営企業家がそんなにいるわけはないのです。江沢民は「3つの代表」で、共産党は「人民」の代表であると言ったわけです。本来、共産党はプロレタリアートの代表なわけですけれども、「人民の代表」と言った。その「人民」には何が含まれるかというと、私営企業家とか、企業経営家とか弁護士、外資系従業員、技術専門家とか、この人たちを全部突っ込んだわけですね。そうすると、どういうことかというと、22%の人たちは、もともと共産党の幹部だった人たちで、あるいはその子弟、太子党です。それがみんなビジネスに入ったわけですね。「ビジネスに入って、いくら金もうけをしてブルジョアになっても、共産党の籍を保障するというのが、実は3つの代表の意味だった」というのを、私の大学院生(注:鈴木隆=現在は日本国際問題研究所勤務)が最近提出された博士論文で証明しています。

【李鍾元・立教大副総長】 そうすると、私営企業家は党に入らなくても金もうけには支障がないということでしょうか。

【国分良成・慶応大法学部長】 入って得する部分もあれば、かえって真面目にやらされて難しい部分もあるとかで、一長一短です。ただ、やはり街の党員でない普通の私営企業家は結構税金を取られているんですよ、聞いてみると。だから、簡単に言うと、「3つの代表」は既得権益層を増やして、彼らの地位を保障したということですよね。

 つまり、共産党の元幹部で、ビジネスをやっても、幾らもうけても基本的に共産党の席は保障するということになったのが、「3つの代表だった」というのが今わかったということなんじゃないかということです。

【司会(藤原帰一・東大教授)】 そういう党員の増え方をしているということですね。ご指名だったので、園田さん、ここでいかがでしょうか。

党員間の経済格差は大きい

【園田茂人・東京大学大学院情報学環/東洋文化研究所 教授】 党員と非党員の話についてですが、今しがた、国分先生のお話の中にも運転免許だという話と、それが既得権益を持っているという、ちょっと矛盾した話が多分出てきたと思うんですが、多分、矛盾というのはひとつ言葉で表現できると思います。

 要するに、同じ党員であってもこの中における経済格差のバリエーションはすごく大きいという。見ていると、党員であっても所得がなかったり、非党員でもものすごいお金持ちの人がいたりします。党員だからものすごくお金持ちかというと、少なくとも所得のベースではそんなことはあまり見えない。ただ、国家によって、あるいは単位によってあてがわれた部屋なんかの大きさで見ると、結構大きな違い。これは確かにあります。

【坪井善明・早稲田大教授】 その所得も表に出ている所得なんですか。

【園田茂人・東京大学大学院情報学環/東洋文化研究所教授】 もちろん。ですから、それ以外のフリンジ・ベネフィットなどを含めた場合の格差はもっと大きくなる、これはそのとおりだろうと思います。他方で、やはり重要になってくるのは権限の問題。どこに党員が集中しているかというものですが、おっしゃったように、国有セクターに党員が多くいて、大卒の人たちが非常にたくさんいる。

 これは、明らかに特定の職場に党員が集中していて、共産党が労働者と農民の代表というのとはちょっと違うんじゃないと思えるようなリクルートの仕方をしているんですが、これから、国分先生に対する質問に移りたいと思います。先ほどのお話の中では、国家と社会を対立するもののように扱い、沸騰している社会と、それを抑圧する国家という感じだったんでしょうけれども、坪井先生がご指摘になった中産階級が典型的なのですが、一方ではものすごくクレームを言う。ですから、先ほど国分先生がおっしゃる「社会が沸騰している」って、いつに比べてなのかなというのを感じたんですが。

 時系列調査の結果を見ますと、「もっと発言権が欲しい」、特に、「政治に対する発言権が欲しい」という声は、一貫して増えているんです。自分たちの意見をもっと反映してほしい、これは確かに増えているんですが、他方で……。

地方政府への不満と中央政府への信頼

 あ、そしてもう1つ増えているのは、地方政府に対する不信不満、これはストレートに上がっているんですけれども、しかし、変わらないのは中央政府に対する信頼というか、結構そこの部分というのは変わらなくて。特に、アッパーミドルの人たちというのは、もちろん彼らが党員だということもあるんですけれども、政府に対する信頼感がある。このあたりがすごく矛盾しているように見えるわけですね。

 ところが中国の人に聞いてみると、全然矛盾はしていないという。自由な空間は欲しいけれども、自由な空間を担保する制度が壊れちゃうのは嫌だ。その制度が壊れるきっかけはいろいろなところにあって、例えば、台湾独立問題やチベットの問題は、国家の制度全体を崩しかねないので、中産階級の人たちも台湾独立の問題になると極めて感情的にリアクションをする。つまり、「沸騰は確かにしているんですが、沸騰を恐れる心理的メカニズムも、同時に持っていやしないか」と。

 先週ロシアに行って「ああ、そうなのか、似ているな」と思ったのは、ロシアの中産階級の人たちのメンタリティーを見ていると、国有セクターや官僚に対する腐敗への反発がものすごく強くある。しかし、最後の審級というのは絶対崩れない。それは、プーチンに対する信頼感です。

 「地方政府に対する不信感と、中央政府に対する信頼感という中国の状況と似ているようだ」と指摘すると、ロシアの研究者はニコッと笑って、「これは、帝国の論理なんじゃない?」。 つまり、人々のメンタリティーの中にも、一見して見ると自由にしゃべっているように見えて、その自由は、どこかで自分で制御していることがある。国分先生は、政治変動ということを考えたときに、こうした矛盾した心理をどう考えながら議論されているかということを質問したいと思います。

共産党の道具だった中国メディアで風向きが変わっている

【国分良成・慶応大法学部長】 その点は、私の発表の時間がちょっと短かったのではしょりましたが、私はメディアがどうなっているかというお話をしたわけですね。つまり、社会の側がこんなになって沸騰し始めているのを、これを取り上げるメディアの報道が変わってきたと私は言いたいんですね。

 メディアは本来共産党の道具であったものが、つまり、本来そちらの側しか見ていなかったメディアが、大衆の側のそれに向き始めたというところに私はびっくりした。メディアが上ばかりを気にするのではなくて、社会の側に目を向け出したということの意味は何なのか、社会の圧力を反映しているのではないかということです。

 中国だって、日本だって、社会ではみんな不満を言ったりするわけですから、問題はそれを、その中間項にあるものがどういうふうに取り上げていくかというのが重要で、その点でちょっと風向きが変わってきたというのが私の直感です。

【司会(藤原帰一・東大教授)】 坪井さんからご指摘のあった中国の資源戦略の話がちょっと落ちちゃったんですけれども、外交についてまた触れる機会もあろうと思います。次に、國廣さん、お願いいたします。

■全体討論(2):民主化と世界標準をどう築いていくか

GDPが伸びれば民主化に近づいていくのではないか……

【國廣道彦・元駐中国大使】 私は声がよく出なくなりましたので、今日は黙っていようと思ったんですけれども、やはり帰る前に1つ確認したいことがあります。 以前からGDPが1人当たり3,000ドルとかになると民主化が進むとか、何かそういう社会的変化、政治の変化が起きるという議論がありましたよね。韓国、台湾、タイ、東南アジアのインドネシアなどが例に引かれて。

 中国はもう4,000ドル近くになったわけですが、物価が変わってきましたから、当時の3,000ドルと同じぐらいと考えてもよいかもしれません。 そこで今晩、国分先生のお話と王敏先生のお話を聞いていて、中国では当分そういうことは起きないだろうという想定でおられるような気がしましたが、その点を確認したいと思います。

【司会(藤原帰一・東大教授)】 豊かになった中国は民主化するのかと。ぜひ、私もお伺いしたいです。国分先生お願いいたします。

【国分良成・慶応大法学部長】 いや、それがわかればノーベル平和賞です。    

【司会(藤原帰一・東大教授)】 経済学賞では?

【国分良成・慶応大法学部長】 はい、経済学賞も目指したいと思います。中国のソフトランディングというのは、当然この地域における、いや、それだけじゃなく世界の最も重要な1つのテーマになってきているわけですね。

危ないのは経済クラッシュ

 中国が不安定になること自体が、現在のように経済が一体化した中で我々にとっても大きな危機になることは間違いないわけです。中国の成長が止まると、日本も同時に止まります。中国の今の体制がどうなのか。正直申し上げてこれがどうなるかというのはわかりません。どのような偶然の要素が入ってくるのか、軍がどう出るか、党内が割れるかどうか等々。

 今は上からの監視強化で抑えている体制だけど、それは安定じゃないということですよね。で、それも改善のめどが立たずにどんどん悪化しているという感じですよね。そうすると、どこかに、やはり、裂け目が出てくる可能性があるわけですよね。それを中国当局はわかっているから一生懸命抑えようとするわけですね。その裂け目が何かと言われたら、「一つ」です。

 クラッシュ、それも経済クラッシュです。バブル崩壊とかですね。現実には、それがたとえ発生しても直ちにふたをするでしょう。ただ、それで済むのかどうかという部分はありますね。

 今のところは、私が怖いと思うのは、さきほど言ったように、中国はもう完全に不動産バブルです。給料が何倍も違うのに、我々と同じ値段を出して、あまり丁寧でないつくりのマンションを買っているんですから。

 ですから、3,000ドル体制転換論というのは、結果論としてはみんなそういうふうになってきたんですが、単純化はできません。しかし、中国の現実を見ると、確かに合致する部分もあるのです。

 中国のような実質階級社会では、1万ドルを持った人たちは、その権益を手放したくないでしょうね。私がその立場だったら、やはり人間ですからその気持ちもわかります。ただ、経済のクラッシュが起きたらどういうことになるのか。

 天安門のときは、趙紫陽(注:1980~87年首相、87年~89年総書記、天安門事件後に全職務を解任)がいて、そして学生が動いたんですね。現在、学生は保守体制化して動きそうもありません。労働者とかがデモを起こしても、今のところはすぐに上から抑えられて単発的に終わります。しかも、趙紫陽がいないと、党内が割れることはない。ですから、現段階では経済成長をどうやってもたせるかということです。経済成長をもたせるのは内需ですから、それを拡大させたいけど、不動産以外になかなかないのが苦しい。

【司会(藤原帰一・東大教授)】 わからないけれども、クラッシュが大き目に動きそうだということですね。王敏さんいかがですか。

解釈が異なる「民主主義」(王さん)

【王敏・法政大教授】 多分、人によって固有名詞、あるいは抽象的な概念に対して定義と理解の格差が非常に大きいと思います。

 私、子供のときに、毛沢東の語録を暗唱させられました。そこでは、「民主主義」の提唱、それらしいような強調はたくさんありました。ですから、毛沢東が言った民主主義の定義と、そして、山奥に住んでいる農民たちの考えていることと、タクシードライバーさんの考えていることと、地球の彼方に住む外国人の発想と、どれを焦点にして、基準にして考えていくかで、結論が変わってくると思います。よって、統一された、そして広範的な定義がまとまらないときの民主主義が起こるかどうかというところは、今のところでは多分答案が難しいんじゃないかと思います。

 もう一つ、先ほど共産党のところなんですが、補足させていただきたいと思います。共産党員が便宜によってもうかること、あるいは腐敗という現象がかなり深刻という事実はありますが、しかし、一たん発見された場合には、党員でない人より受ける罰がひどいということも事実なんです。

 少し前に、朝日新聞にも報道された重慶の事件がありました。中国当局の何十人でしたかしら、30人か40人か一遍に逮捕されましたね。多分、党員でない人に向けられる罰と、党員である人と微妙な差があると思われます。それもひとつの卒論で調べて書かれたらおもしろいと思います。

【司会(藤原帰一・東大教授)】 できるだけたくさんの方にお話いただきたいので、ご質問を続けていただきましょう。次は、李志東さん、お願いします。

「中国は総量で論じるべきではないのでは」(李志東さん)

【李志東・長岡技術科学大学教授】 二つ。まず国分先生と王先生のお話に対する感想、もう一つは坪井先生の資源外交に関する話、テーマの感想を少し述べたいと思います。

 このフォーラムに何回も出席して、また2人の先生の話を何回も聞くチャンスがあったんですが、実は今日ほど勉強になったことはなかったです。ものすごく勉強になりました。

 どういうものかというと、国分先生は現中国の民衆の生の声を踏まえての中国論を展開している。これは、やっぱり日本に一番欠けているものではないかと思います。

 もう一つは、王先生が多様な視点を用いて1つの国の国力などを評価すべきと言われたことで、これもまさに日本に欠けているものではないかと思います。

 私は、今までの、特に最近の日本のマスコミの論調についてものすごく心配していて、例えばすぐ総量で論じるんです。総量で論じると、中国のGDPが日本を超える、大騒ぎになる、日本の自信喪失になる。そんなのは精神論的にも精神衛生的にもよくないんで、人数が多いから超えて当たり前じゃないかと考えれば、自分自身にとっても楽になるし、また、日本がもっとたくさんいいものを持っている。これも自信、プラス的に考えるべきだと思っています。

 もう一つ、新興国である中国などの台頭と国際秩序の変化にどう対応すべきかを考えるたときにいつも思うのは、中国、あるいはインドなどの新興国、途上国が先進国の言うことを聞かないといけないような論調がものすごく多いんです。

 例えば、地球温暖化の問題について考えると、途上国に対しても総量削減を求めるということをやっているんですね。これが成功するかというと、やはり無理です。自分自身の利益しか考えていないというような発想は、おそらく現在の世界ではもう成り立たない。これは認識すべき。

 じゃ、どうすればいいのかということですが、途上国などに対してある程度圧力をかけつつ新しい対策モデルをつくらないとだめだと私は思っています。

 成功例はたくさんあるんです。例えば知的所有権の保護の問題について、先進国、日本もアメリカも中国に対して圧力をかけつつ、ただしアメリカは成功している。どうして成功したか。例として、アメリカは一番新しい原子力技術を実は中国に先に売っているんです。両方もうかるった話となっています。ただ日本の場合、新しい技術を持っているにしても知的所有権の問題を言い過ぎて、そこで話が全く前に進まないんです。そういうことを考えると、先進国の主張も重要ですが、ただし現実の途上国がどうなっているのかを見きわめて、妥協しないといけないではないかということを認識する必要がある。

 そういうふうに考えると、マスコミで中国などに対していろいろ批判したり要求したりするのは結構なことですが、日本、あるいはアメリカが中国に対して一体どういう期待を持っているのか、どういう将来像を描いているのかをはっきり示していないんです。また、中国が考えている中国の未来像について、日本、あるいは先進国がはっきり理解しているかというと、それもはっきり理解していない。

 その中でいろいろ論ずると、どうしても不都合が出てくるんです。できないことに対してねだったりしても中国は応じないはずです。そういうことを考えると、できることは何なのかをまず探すところから始めないといけないと私は思っています。

 特に温暖化関係は典型的な例ですね。日本が25%削減、それと同時に、中国に対して総量削減しないといけないと求めても、おそらく受け入れられないはずです。じゃ、それを前提にしてどうやって協力するのかを考えるべき。これは感想です。

中国の「租借地」論には異議あり(李さん)

 もう一つ坪井先生の資源外交の話ですが、特に気になったのは「租借地」という言葉で、私は考え方として全く違って、昔の「租借地」というのは、ご存じのように軍事、あるいは侵略によって確保しているという考え方です。

 今、中国がアフリカに行って投資したりするというのは軍事上のものではなくて、むしろウイン・ウインというような考え方で、だから受け入れられた。「租借地」といったら、例えば日本が中国でたくさんの工業団地をつくって工場を誘致した。何でそうなったかというと、限られた地域においてインフラを整備できれば、もっと仕事ができるから。同じような考え方を持って中国がアフリカなどに進出しているのではないか。「租借地」ではないということ。

 もう少し長い目で中国のアフリカ進出、あるいは資源外交などを考えると、1つの発展モデルをこれから途上国に輸出するというような視点を持っていると私は思います。

 もう一つは、アフリカなどの途上国が発展すると市場が大きくなるから、それによって中国の輸出もある程度増えて中国の経済発展にとってプラスになるという視点は、中国側が持っているのではないかと思っています。以上です。

「日本の資源外交」が非難されたこともあった

【国分良成・慶応大法学部長】 私はむしろ畠山さんへの質問になるかもしれないんですけど、70-80年代の日本の資源外交についてです。日本が経済成長するために世界に資源を求めなきゃいかんとなって、そのときに、ODAを使いながらやろうとした。そうしたところ、世界からいろんなクレームを受けた時代があって、それをくり抜いた本がアメリカでベストセラーになったようなことがあると聞いたことがあるんですが、そのあたりいかがだったのでしょうか。

「ひもつき融資批判に対応したら世界の方が変わってしまった」(畠山さん)

【畠山襄・国際経済交流財団会長】 日本が言われたのは、OECDの資金貸し付けルールに反してひもつきでやったと、ひもつきの融資のもとに資源獲得その他をやったという形で批判されましたよね。そして日本はそっちは直していったわけです。OECDへは各国がひもつきの比率を報告するのですが、日本が直していって成績がよくなったら、今度はアメリカがややひもつきの報告書をやめてしまったりして「向こうの要請とやることとが何か違うな」というのが率直な印象でした。

軍事力強化と戦争の可能性をどうとらえるか

【若宮啓文・朝日新聞コラムニスト】 今日はすごくおもしろく聞かせていただいたんですけれども、ひとつ質問します。民主化の話とちょっと関連があるんですが、一方で軍事大国化の道を歩んでいますね。

 軍事脅威をどう見るかについても諸説あるわけですけれども、そんなに簡単に戦争するとは思いませんけれども、古今東西というか、昔の例で言うと、国内の矛盾が非常に大きいときは、外に摩擦なり外敵を利用して、極端に言えば、「戦争になれば国がまとまる」という法則があります。中国のこれだけの諸矛盾はそういう危険をはらんでいるのかなという風にも思うわけです。

 だけど一方で、政治が民主化していないとはいえ、これだけ社会が開放されてくると、なかなか戦争はしにくい国になっているのかなという気もするんですね。民主主義国同士は戦争しないというのがおおむね定説になっているわけですが、中国は民主主義国とは言えないけれども、似たような意味で戦争しにくい国になってきているのか。

 国分先生、王敏先生の実感として、いざ戦争だというときに普通の人はどうなのか。ベトナムとやったときとか朝鮮戦争とは時代が全然違うので、そのあたりをお聞かせ願えれば。

どう見られているか、に自覚的なのか、そうでないのか

【木村伊量・朝日新聞ゼネラル・マネジャー、報道局長】 ごく手短にお尋ねいたしたいと思います。中国がどっちへ動くかということでは、いろんなご意見をいただきましたけど、中国は自分たちが世界にどう見られているかということに指導者たちがどこまで神経をとがらせているか。そこがよくわからない。

 例えば、2年前に朝日新聞とアメリカのCSIS(戦略国際問題研究所)が共同調査をやったところ、今後10年でどこが脅威と思うか、アジアの9カ国を対象に聞きましたが、タイを除く8カ国が圧倒的に中国だろうと回答しました。2位の北朝鮮を大きく引き離している。(2009年2月13日朝日新聞朝刊)。このように見られていることを中国はどう考えるのか。

>>朝日新聞と米CSIS共同調査の報道はこちら(1)(2)

中国にどのような国家的なイメージ管理があるのか

 それから、先ほどの谷野大使のフォローアップですけども、07年5月の、ティモシー・キーティング太平洋軍司令官が米上院軍事委員会で紹介した「太平洋分割」証言。伊豆諸島、小笠原列島からグアム、パプアニューギニアに至る第2列島線の内側を中国は実効的な支配をしていくつもりではないかと、ことあるたびに何度も何度も言われ続けるわけです。たしか02年でしたか、中国の14回の共産党大会で当時の江沢民さんが、これからは「領土、領海、領空の保全」と並んで外洋権益も我々は守っていくんだとはっきり打ち出している。問題はそこに中国の揺るぎない国家的意思、地政学的な戦略があるのかどうか。それともここまで存在感のある経済大国になった以上は、軍事的にもふさわしい力を併せ持ちたい。だからいずれは原子力空母も、という一種の大国願望の反映なのか。

 さっきからお話を聞いていると、明確な国家的なプランニングがどこまであるかがよくわからない。世界が中国の針路に漠然とした懸念を抱く中で中国はパーセプション管理をどうやっていくのか。そこを中南海の最高指導部が考えているのか、いないのか。そのあたりを国分さんにお答えいただければありがたい。以上です。

「中国の発展パターンには新しいことはないのでは」(佐藤さん)

【佐藤幸人・アジア経済研究所主任研究員】 今日ちょっと残念なのは、中国経済の専門家の方が、人数もカバーしている範囲も十分じゃないということなので。私は、ほんとうは質問したいんですけど。投げかける相手がだれなのかというのがあって。それよりは感想になってしまうかもしれません。先ほど李志東さんから、日本が中国を総量ばっかりで見がちであると。

 中国経済は非常に矛盾したというか、異なった様相をした二面があると思うんです。確かに総量で見れば、日本をGDPで抜くし成長率は高いし、多くの工業製品で輸出競争力が強くて外貨もたくさん入ってくる。それを見るとすごいという話になるんですが、もうちょっとレベルをミクロ化してみると、輸出といっても、正確な数字を覚えていませんけど、4割以上が外資系企業だと思うんですよね。

 それから、もうちょっと印象論的な話でいくと、今日、国分先生が日本の昔の話との対比をよくされていましたけど、日本がほんとに元気なころは、外から見て何でこんなに成長するんだろう、とか「よくわからない」と言われた。

 皆さん一生懸命分析して、わかったことからまた学んでいったわけです。今、トヨタは旗色が悪いですけど、ほかの国もトヨタからいろんなことを学んでいったわけです。それに対して今の中国はどうかというと、もちろんこちらの分析力が上がったこともあると思うんですけど、そんなに不思議なことは起こっていないし、先進国が中国から何か仕組みとして学ぶことがあるかというと、あんまり見当たらないような気もするんです。

 そういう二面性があって、これをどう考えるかというのを、ほんとは中国経済を中心にやっている人にできれば答えていただきたかったなというのがあるので、結果的に感想かなというところであります。

 あとECFAに関して、せっかく国分先生が提起されたので、一応私もそこはウオッチしているので若干述べておきたいと思います。私の見方はどちらかというと畠山会長に近くて、FTAは純粋にFTAとして見ればいいと思っています。

 ですから、意味がないわけではないけど、そんなに大騒ぎするほどでもないだろうと思います。台湾の議論は結構ディフェンシブな議論ですよね。東南アジアが先に結んじゃうから、それに対して結ばないと自分たちが損しちゃう。日本や韓国に先を越されると自分たちが損しちゃうから、同じか、少しは先に結びたいと、そういう議論なので、あまり大騒ぎしなくてもいいんではないかと私は思います。

「東アジア共同体」についての中国の関心

【李鍾元・立教大副総長】 1点、質問です。「東アジア共同体」の取り組みということが王先生のご報告の中にありましたので、それについて中国の取り組みというか、考え方の現状がどうなのかを少しお聞きしたいんです。

 三つのレベルがあると思います。まず、政府とか国家のレベルでは、2005年の東アジアサミットを立ち上げるときまでは、その数年前から、中国政府は外交的なドライブをかけて、ASEAN+3(日中韓)を土台に、ある種の政治的な意味を持つ枠組みをインプリケーションを持った枠組みをマレーシアと一緒に立ち上げたい。それを進めたところ、日本がいろんな抵抗をしたり修正をして最終的には豪州、インド、ニュージーランドを加えた10+3+3(ASEAN10カ国+日中韓+豪、インド、ニュージーランド)になりました。その後の中国はあまりやる気がなくなったのか、東アジア首脳会議や東アジア共同体にはあまり積極的な動きが見られない。

 今のお話とつながるかもしれませんが、逆に最近の重点はFTAとか、どちらかというと経済と、ある種のソフトパワーというか経済によって東南アジア、あるいは台湾との関係強化をはかっています。政治のインプリケーションも含めた東アジア地域枠組みについては、中国からもそれほど聞こえなくなった。これは何らかの政策的な変化かがあったのかどうか。

 次に、知識人のレベル、いわゆる知的なレベルでの議論も一時期は活発だった印象でしたが、最近はどうなんでしょうかということ。さらに一般の人々の意識の面で、近年の状況はよくわかりませんが、ちょっとデータは古いんですけれども、2003年、猪口孝先生が中心となって行われた「アジア・バロメーター」という、アジア十数カ国の比較調査があります。意識調査なので実態をどの程度反映しているのか、批判的な見方もありますが、それを見ると「アジア人意識があるのか」という設問に対して、「ある」と答えた割合がもっとも高かったのは、ミャンマー、ベトナム、スリランカなどで80~90%台です。その次に韓国が70%台。つまりナショナルアイデンティティーを超えた「アジア人」というアイデンティティについて、東南アジアは平均的に高い。対照的に、日本は40%台、、インドが20%台、中国が6%でした。

 中国のこの低い数字をどう解釈すべきか。中国の伝統的な世界観と関係があるという見方もありました。中国の世界観では中国が真ん中にあって、東アジアというのは中国の東にある周辺諸民族、日本、韓国のことで、中国はそれに入らないということでした。

 この3つのレベルを含めて、東アジア共同体、東アジアを考えるときに、中国では、政府のレベルでも人々の意識の面でも、東アジアという意識は弱いんじゃないか。

 この点は、私も先ほど園田さんの帝国という話にもつながるかも知れません。東アジアへの取り組みについて、現状を教えていただければと思います。

「豊かさをメインにしたかつての大国とは違う国にならざるをえない」(明日香さん)

【明日香壽川・東北大教授】 質問というか感想レベルの話なのですが、中国は今までのような物質的な豊かさをメインにした大国とはちょっと違う国にならざるを得ないと思います。

 エネルギー資源の話にもなるのですが、中国政府による成長シナリオだと、2050年時点の1人当たりの電気使用量は、やっと今の日本人の1人当たりの電気使用量と同じくらいになるんですね。セメントの消費量も、やっと2050年くらいに今の日本人の1人当たり使用量と同じくらいになる。そして、炭素制約やエネルギー制約の下では、その後は減らなきゃいけない。だから全然違う国にならざるを得ない、そういう制約が1つあります。

 そういう意味では、衣食住は永遠に日本のレベルにはならないのかもしれませんし、そのときに、「衣食足りて礼節を知る」というのが正しいとすれば、礼節はずっと永久にないのかもしれない。でもアメリカが「衣食足りて礼節がある」かというと、多分そうでもなくて、ダブルスタンダードなところはたくさんあるのは言うまでもないと思います。いずれにしろ、実は豊かじゃない状況で、大国なり豊かさなり礼節というイメージを作っていかなければならないのが中国なのかなと思いました。以上です。

【司会(藤原帰一・東大教授)】 大分コメント、ご意見、ご質問がたまったところで、今度はスピーカーのほうからリアクションをいただきたいと思います。順番を逆にします。王敏さんからお願いします。

「東アジアへの関心は強く、協調したいと思っています」(王さん)

【王敏・法政大国際日本学研究所教授】 まず東アジア共同体に関して、私の知っている限りの研究事例でお答えしてみたいと思います。

 東アジア共同体と言われるときには、恐らく中国の人々にとっては、漠然とした抽象的な概念と思われる部分がありましょう。

 具体的に、どこから何をどのように東アジア共同体をともに切り開いていくかという具体性があれば、飛びつきやすいというような感想を聞いております。かといって、概念としての「東アジア共同体」よりも現実にそれに向かう方向への模索をしています。

 ここ数年の事例で申し上げますと、20年前からずっと続いている東アジア青少年調査が、毎年発表されています。そして、2006年から東アジア文社会の協力関係を目指すネットワークの研究(中国社会科学院社会研究所)と日中韓政府間の、特に文化部長間の会議が3国持ち合わせで開くことになっています。それから2008年、東アジアスポーツ関係の3国の持ち合わせの会議も開かれています。

 さらに、2008年、中国社会科学院社会学研究所が中心となってひとつの調査研究が始まったと聞きました。その研究成果のいったんを羅教授から聞きました。

 民族主義、ナショナリズム、そして平和に反するような意識では大国としてなり得ないということがわかりました。東アジアにとって重要なのは平和構築。従って、若宮さんのご質問になりますけれども、戦争というようなところか、その前にあるナショナリズム。これをなるべく克服しようという研究が進んでおります。

 また、社会学研究所では雲南省からベトナムのメコン川を渡り、船にアジア諸国の若手の研究者を乗せて、ナショナリズム克服問題や、豊かな平和で安定したアジアを目指すためには、共有する関心を持つ議題を語る会議がここ数年続いてきました。そして、アジア諸国でアジア共有の生活実践の場もtくってきた話も聞いています。

 さらに、来週、日中歴史共同研究プロジェクトのメンバー王勇氏を団長とする訪日団一行が外務省、国際交流基金の招待を受けて訪日する予定です。王勇氏の基調報告のテーマは「東アジアの文化 普遍性と地域性」です。ですから、中国は東アジアに関して極めて関心を持ち、かつ実際に投入は大きいと思われます。

 さらに、韓国が端午節句に関連する祭りを世界遺産に申請して認められたんですけれども、それに対して中国では一部に反論がありました。

 発祥地は中国なのにどうして韓国が世界遺産をとったのかということでした。しかし、その反論に対して中国研究者は、「ナショナリズム的な発想を離れて考えよう」という主張論文を書きました。たまたまその論文は私のかばんに入っております。もしご関心があればお貸しいたします。以上です。

「期待値」込めた対中国分析を自戒

【国分良成・慶応大法学部長】 4点だけ申し上げて終わりにしたいと思います。

 1点目は、最初に本日の朝日新聞一面を出して意見を言わせていただきましたけれども、報道のあり方についても考えるところがあります。

 もちろん目の前で起こっているいろんな事件はあるんですけれども、それがどういう文脈で起こっているかという、そこのところの分析が必要じゃないかというのが、別に朝日新聞だけに言っているわけじゃないですけれども、そんな感じがしております。ダライ・ラマのときの話とか、台湾への武器の供与問題とか、グーグルもそうですけれども。

 一つの大きな問題は、期待値を込めてしまうことだと思うんです。例えば、米中は対決してほしいというような期待値をかけてしまうようなところがある。今でもそうですが、米中は結局のところ絶対に対決していきますよと講演すると、皆さんが喜んでくれるわけです。

 でも、それは実体じゃなくて、主観的な期待。大きな文脈の中で考えたときにはどうなるだろうかといったときには、長期的に対立が起こるだろうというのはだいたい想像がつくわけですけれども、それを主観的期待を込めて現在の文脈に入れすぎると、読み間違える。

 ギョーザ事件の報道を見ていても、その辺はちょっと感じております。もちろん中国側に責任がある問題なんですけど、でも、何でこの時期に犯人を出したかという政策決定の分析は弱い感じがします。

 でも、これは当然どう考えたって日中間の最大の案件の1つですから、胡錦濤が決裁しているはずですよね。この中身が真実かどうかは別として、胡錦濤がどうして決裁したのかということです。ここの大きなコンテクストの分析はない。

 それから、さっき言ったように軍事費もそうです。17%から7%に落ちたら、「いや、依然として高い」と朝日も強く言うんだけど、「何で10%も落ちたのか」という分析がどこにもないんです。今日、私自身の社会分析を披露しましたけれども、その辺のところが欲しい感じですよね。中国は問題をあげつらえば幾らでもあるんですけども、すべて悪意だと思いこむ、あるいはそう書くと読者が喜ぶだろうという部分があるのではないか。そうすると分析が弱くなる。

最大のテーマはやはり「民主化」、富の再分配

 2つ目に言いたいのは、中国の最大のテーマは、やっぱり民主化なんです。本質は変わっていません。「民主化していないことが最大の弱み」なんです。民主化というのは、簡単に言えば「富の再分配」です。そしてそのための「機会の平等」であり、また「情報の公開」なんです。これらを党が独占している体制になっているわけです。

 既得権益層が独占している部分を、公開させなきゃいけないわけですよ。そのために「資産公開をしろ」と胡錦濤は言ったけれども、もうできなくなっちゃった。これも全部、既得権益層への配慮。そこのところが民主化の根幹の問題であると見なきゃいけない。それがうまくできれば中国の成長もうまくいくかもしれないのに、できないわけです。

世界標準の必要性を自覚している主流派

 3番目に、先ほど木村さんのお話にあったけれども、中国の中で一番起こっている重要な論争は、国家的プランニングに関連していて、「中国モデルは新しいかどうか」ということですよね。これを大論争しています。一部の人は「中国は新しいモデルをつくっている」と言い出しているわけです。

 その新しいモデルは何かというと、ある程度の権威主義体制をやって、そして市場経済へ移行していく。その間は、「民主化は少し我慢しろ」と。そのときに「上から産業政策をきちんとやる」。最近は「輸出主導」とは言えなくなってきたので、それが消えてきたんですけれども、「産業政策をきちんと上からやらなきゃだめだ」と言って、「それを支えている価値は儒教だ」とか言っているわけです。これはほとんど80年代から90年代にかけて、どこかの国も似たようなことを言っていた。いわゆる東アジアモデルですね。

 でも、今、中国の主流派はそう言っていないわけです。主流派は、私のような外国人の意見をこんな形で載せようとするのでよくわかるし、つまりは国際化だということでしょう。中国は、今後も国際的に、グローバルスタンダードにいかなきゃだめだよということで、わかっているわけです。

外からもっと言ってほしいと思っている

 中国のメディアもその辺は変わってきていて、自分たちでも書くようになってきたけど、まだまだ「外から言ってほしい、でないと変えられない」という外圧利用の部分はあります。ですから、やり過ぎや一方的な批判はだめですが、おそらく主流派は外からむしろある程度言ってほしいということですよね。

 だから、言うべきことの正論は言ったほうがいいということです。軍事費の問題も含めて。中国で変なナショナリストが台頭してくることはやっぱり危険です。というようなことだと私は思います。

問われている中国のビジョンと歴史観

 最後ですが、中国にないのはまさにビジョンです。人のこと言えるのかと言われるかもしれません。国家ビジョンです。国家がどこに向かっているのかが見えない。それが世界にも不安をまき散らしているわけです。

 実は日本もそうだけれど、悲しいことに、世界はだれもそれを不安に思っていないんです。これも問題です。中国の場合は見えないから怖いし、しかもみんな中国に経済依存しているからです。

 中華民国には孫文の作った国家ビジョンがあった。「軍政から訓政へ、訓政から憲政へ」と、ちゃんと流れとビジョンがあった。それを支えたのが中国的民主主義論ともいうべき三民主義だった。だから中華民国の評価が現在の中国で上がってきている。

 それに加えて、歴史観がないのです。例えば、文化大革命だって、林彪が実はいい人だったなんて言ったら、歴史観がそれだけで全部ひっくり返っちゃうわけです。それは中国共産党史観であるかぎり、できないわけですよね。

 というような、みんな金縛りになっているような状況の中で、どうやって価値を持つかということが、中国は金儲けだけじゃないというところが、まさに王敏さんが今日言われた文化性というか、そういうものが問われている部分があるんだと僕は思いますね。

【若宮啓文・朝日新聞コラムニスト】 ちょっと私のだけ抜かされちゃったんだけど、質問。国分さんはどういうふうに戦争の可能性をとらえるか……。

「戦争」は合理的には考えられないけれど・・・

【国分良成・慶応大法学部長】 そういう強硬グループは確かにいます。その声は強くなってきています。ただし、彼らへの共感者は増えても、それを支える社会基盤や財政基盤がないわけです。戦争を起こすかどうかは、合理的に考えればまず考えられない。何より、中国を含めて国際化し、近代化したこの時代に、全てを破壊する戦争を起こすことに何のメリットがあるのか、そしてそれにみんながついてくるか。

 ただ、戦争を合理性だけで論ずることはできません。中国の最大の問題は、上の統制が効いていることじゃなくて、現場では統制が効かないことですよね。そっちのほうが問題だと思います。だから、最後は偶発的事件も含めて何が起こるかわかりません。ですから、変な強硬グループが突如力を持つことは怖いという感じがします。このあたりはきちんと今後もウォッチしたほうがいいと思います。

大国になってしまった恍惚とひずみ

【司会(藤原帰一・東大教授)】 時間が超過しましたのでこれで締めたいと思いますが、ちょっと一言、我慢してください。司会で黙っていましたので(笑)。

 本日は、日本との対比で中国を論じるという魅力的な会合になりました。日本と対比すると、中国は「日本のように学んで西洋化するのかな」と、日本は先生で中国は子供みたいな扱いだったんですが、本日は全く性格の違った話で、底流としてあるものがあるとすれば、「中国、一番でいいないいな」という羨望、時には「日本が一番になれなかったように中国だって一番になれないんだぞ」という含みも感じられました。

 そして、国分さんが今日お話しになったお話、実は80年代のアメリカの日本研究者の苦渋に満ちた立場とそっくりでした。確かに日本は変な国で、同じ制度や価値観を共有しているとはとても思えない。でも随分変わってきたんだよ、昔の日本と一緒にするのはよくない、なんて言い方ですね。違いはある、でもその違いを誇張して危機を過大に語るのは適切ではない、違うんだけどさというお話です。

 実際に80年代の日本は、ただ世界第2位の経済大国になったばかりか、生産を行う企業や社会の制度から見ても「次の時代を担うものだ」という過剰な期待を日本ばかりか海外からも集め、また海外では人によっては不安に駆られたわけです。そしていま、中国に対してそのような期待、不安が生まれてくるのは十分に理由があることでしょう。

 同時に、本日の国分先生のお話の中では、大国になってしまったことに伴うさまざまなひずみについてのご指摘がありました。また王敏さんからは1つの尺度で大国をとらえること自体の適切性についてのさまざまな議論があったと思います。

「中国の戦争」の可能性を否定することはできない(藤原さん)

 私自身は、戦争の可能性を簡単に否定することは、非常に残念ですけれども、できないと思っています。それは戦争が合理的だ、進めるべきだと中国指導部が考えているという意味ではありません。そうではなくて、力のバランスが大きく変わるときに、国際危機を避けるのは極めて難しいからです。

 中国と日本の決定的な違いは、軍事安全保障についてアメリカに大きく依存していた日本と、それから独自の軍事大国である中国という違いです。これが現実の軍事紛争になるか、ならないかということについては、改めて十分な外交的な努力がなければ避けることはできないだろう。ほっとけば戦争にならない、とまでは思えないんです。

 とは言いながら、今日は明石康さんをはじめとして、当然ご発言をお願いすべき方にまだお話をいただくことができませんでした。これはまことに司会者の不手際でして、お詫びいたします。続きは次回のフォーラムということにして、本日のフォーラムを閉会したいと思います。本日は、ご出席ありがとうございました。(拍手)(写真撮影:家老芳美)

■【第11回朝日アジアフェロー・フォーラム】参加者一覧

〈報告者〉

国分良成 慶応大法学部長

王敏 法政大国際日本学研究所教授

〈フェロー〉

明石康 元国連事務次長

明日香壽川 東北大東北アジア研究センター教授

伊豆見元 静岡県立大現代韓国朝鮮研究センター所長

小倉紀蔵 京都大学大学院准教授(韓国哲学)

小此木政夫 慶應義塾大学教授(朝鮮政治論・国際政治論)

國廣道彦 元駐中国大使

佐藤幸人 アジア経済研究所主任研究員(台湾の産業社会研究)

園田茂人 東京大学大学院情報学環/東洋文化研究所 教授

谷野作太郎 元駐中国大使

坪井善明 早稲田大学政治経済学術院教授(ベトナム政治・社会史、国際関係学)

畠山襄 国際経済交流財団会長(元JETRO理事長)

広瀬崇子 専修大学法学部教授(南アジア政治・外交)

藤原帰一 東京大学法学部教授(国際政治学・東南アジア政治)

堀井伸浩 九州大学大学院経済学研究院准教授(エネルギー経済・環境問題)

李志東 長岡技術科学大学教授(エネルギー・環境経済学)

李鍾元 立教大学副総長(法学部教授)