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【AAN第12回朝日アジアフェロー・フォーラム】緊張する南北関係と日本――「併合」100年の夏に

WEBRONZA編集部×AAN(朝日新聞アジアネットワーク)提携

※初出は、朝日新聞アジアネットワーク(AAN)(2010年7月15日、肩書は当時)

 3月26日の韓国海軍の哨戒艦「天安」沈没事件で、朝鮮半島の緊張が高まっています。7月9日の安保理議長声明で事態は平穏化するのでしょうか。北朝鮮の核開発をめぐる6者協議はどうなるのでしょう。米国や中国の思惑はどうなのでしょう。今年2010年は、日韓併合条約から100年、さらに朝鮮戦争勃発から60年など、節目の年でもありました。過去の戦争と植民地支配をめぐる歴史認識の問題が問われている暑い夏。議論は盛り上がりました。(当日の議論に一部加筆・編集しました)

 ◆報告

  (1)デモクラティック・ピースと朝鮮半島  崔相龍(チェ・サンヨン)元韓国駐日大使、法政大特任教授

  (2)「100年」の年に帝国主義と冷戦の問題を考える  朴裕河(パク・ユハ)韓国世宗大学教授(日本文学)

  (3)日韓それぞれの事情に追われた2010年前半  箱田哲也・朝日新聞ソウル支局長

司会=若宮啓文(朝日新聞コラムニスト)

 ◆討論と参加者

  全体討論(1)全体討論(2)参加者一覧

■(1)緊張する南北関係と日本――「併合」100年の夏に

崔相龍(チェ・サンヨン)元韓国駐日大使、法政大学特任教授

南北朝鮮・米中4カ国の衝撃緩和をねらった安保理議長声明

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 この夏は韓国併合100年を迎えますが、一方で韓国の哨戒艦の爆破事件によって南北朝鮮の関係も緊張していますので、世話人の先生方とご相談してこのテーマにしました。しかも、運よく豪華なゲストお2人をお迎えすることができた次第です。

 崔相龍さんは元駐日大使をされたので、もう皆さんよくご存じですけれども、高麗大学で長く教鞭をとられて、実は「日韓フォーラム」というのが1993年に細川・金泳三会談を機に始まり、私も加えていただいたんですけれども、崔先生は創立の中心メンバーでいらして、それ以来のおつき合いをさせていただいております。

 とりわけ金大中大統領のブレーンとして活躍されました。金大中さんが日本に来て国会で演説したとき、韓国の民主化について「奇跡は奇跡的に訪れたわけではない」という有名な言葉を残しましたが、実はそのフレーズを考えたのがここにいらっしゃる崔相龍さんです。

 たまたまこの春から法政大学に特任教授として来ていらっしゃいますので、夏休みでお帰りになる予定をちょっと延ばしていただいてお越しいただきました。

 それから、朴裕河さんは韓国の世宗大学の教授でいらっしゃいますが、専門は日本文学ですね、漱石とか日本の文学や思想の研究者なんですが、少し幅を広げて日韓の和解のネックとなっているセンシティブなイシューに取り組み、和解を阻害する左右のナショナリズムを分析して『和解のために』という本を書かれました。その翻訳が日本で出たところ、朝日新聞で出している大佛次郎論壇賞というのがあるんですが、たまたま私も選考委員だったころですが、非常に高い評価を得て受賞されました。もう三年ほど前です。ということで、ご存じの方も多いのではないかと思いますが、たまたま朴先生も先週末にこちらのほうに用事があっていらっしゃるということを聞きつけまして、今日来ていただいたわけです。

 それでは、それぞれのご関心に沿って、南北の状況と日本あるいは東アジアに広げた状況についてお話をいただこうと思います。では、崔先生から最初に。

民主平和論の源流はアメリカではなく、2500年間の西洋政治思想に流れている

【崔相龍・元韓国駐日大使(法政大特任教授)】 皆さんこんばんは。ご招待ありがとうございます。久しぶりに友人の皆さんにお会いできると思って、軽い気持ちでまいりました。

 私は、今、法政で3科目教えておりますが、そのテーマや最近の私の研究関心をお話し、その後で今日のテーマである「例の事件」についての私の意見を少し述べさせていただきたいと思います。

 私の最近の研究関心は3つあります。

 1つは、日本で民主平和論といいます。「democratic peace theories」。

 30年前から今まで、平和研究の一つの流れとして、あるいはアメリカの政治外交の理念として生かされております。

 クリントン大統領も演説でデモクラティック・ピースの話をしたり、ブッシュ大統領もたまに「democracy leads to peace」と言うんです。同じ意味ですね。要するに民主平和論というのはアメリカの外交の理念と言っていいということです。

 民主平和論については学界でも賛否両論があって、今も否定的に見る人が多いんです。この民主平和論を批判するのは意外と簡単です。民主主義のチャンピオンと自称しているアメリカが戦争ばかりやっているから、自己矛盾になっていますね。私が関心を持っているのはそういう賛否の対象じゃないんです。民主平和論の思想史的根本をさぐりたいんです。

 最近、民主平和論者の一部では、民主平和論の哲学的根源がイマヌエル・カントであるという主張をしています。私は、それに非常に深い疑問を持っています。

 民主平和論についてのアメリカの研究はempiricalな方法が主流です。経験的、計量的な手法です。古代の哲学も計量化しちゃうんです。

 私から見れば民主平和論の哲学的根源はカントではないということです。

 その疑問から始めて、ジャン・ジャック・ルソー、ジェレミー・ベンサム、そして非常におもしろい思想家はエラスムスです。蘭学のおかげで、オランダ語で書かれた『平和の訴え』という古典を日本人が翻訳したんです。カントより200年も前の人です。カントの永久平和論以上の密度のある論文を出しています。

 彼の思想でも、民主主義体制と平和の相互関係についてかなり言われております。アメリカのブルース・ラセットもマイケル・ドイルもヘンリー・キッシンジャーもそれを読んでいないかもしれません。

 私は、カントからルソー、ベンサム、エラスムス、もっとさかのぼって私の専門分野であるアリストテレスを民主平和論の問題意識で読み直したんです。

 アリストテレスは6つの政治体制を取り上げておりますが、そこでポリティー(polity)というのがあります。そのポリティーは多数で合法的な政治体制。今われわれが楽しんでいる民主主義と一番近い古代の原形ですね。そこですでにポリティーは「stable and peaceful」であるということを言っています。

 私のポイントは、今言われているアメリカの民主平和論の哲学的根源は、カントではなく、ルソー、ベンサム、エラスムス、いや2500年の西洋の政治思想史に脈々と流れているという結論です。それが私の20年の研究の結果でございます。

東洋の「中庸」は古代ギリシャ哲学と呼応し、サンデル教授の哲学にも通じる

 それから第2に、私は儒学の家庭で生まれて、小学生から中庸思想を強制的に習いました。何の意味も知らないで。

 その後、私は34年間韓国で政治思想史を教えてまいりましたが、偶然にも西洋と東洋の中庸思想に接することができました。

 皆さん、プラトンの国家論と法律論、アリストテレスの倫理学、政治学。すでにお読みになったと思いますが、中庸思想という問題意識を持ってもう一度読んでみてください。おもしろくておもしろくてしようがない。

 いままで中庸思想は、古代中国人の黄金律と思っていたんです。しかし、プラトンの法律論、その直後のアリストテレスの『ニコマコス倫理学』という古典は中庸の固まりなんです。

 2500年前の古代中国と古代ギリシャ。当時は宗教もイデオロギーもファンダメンタリズムがなかった時代に自然に生まれた倫理と政治の規範が中庸です。中庸は絶対化の時代、極端論(extremism)の時代にはその生命力を生かせません。

 この中庸こそ今、相対化の時代、脱冷戦時代への我々の想像力の発揮に非常にプラスになると思います。実際、政治実践の場では中庸は、建設的な妥協、創造的な折衷、ダイナミックな均衡、いろいろな形で生かされています。

 現代政治思想史で最も話題になっているジョン・ロールズ、マイケル・サンデル教授の思想も、私は中庸という問題視角で理解しております。

 ジョン・ロールズが提起している、政治的価値と非政治的価値の重合的コンセンサス(overlapping consensus)も一種の中庸的構想力の表現です。

 サンデルは、功利主義と自由主義を批判し「自由+アルファ」の価値として正義と徳を取り上げ古代のアリストテレスへ帰ろうとしているんです。この場合、高度の判断が必要でありこの判断がアリストテレスの実践知(practical wisdom)、すなわち中庸であると結んでいます。

 したがって私は、古代ギリシャと古代中国が共有していた中庸思想が今の世界の政治哲学を理解するにも非常に役に立つと思います。

日中韓に共通の思想的資源:東アジア共同体議論のために

 3番目は、東アジア共同体なんです。日中韓三国は経済のレベルでは相互依存関係は、非常に深まっております。それはノーマルなコースなんだけれども、EUのような政治統合は予見しうる将来においてはほとんど幻想に近いんです。

 しかし、私は、日中韓に共通の思想的な資源がいっぱいあると思います。そこで私は、具体的に17世紀の中国の実学者、黄宗羲、18世紀の韓国の朴趾源(パク・ジオン)、19世紀の日本の横井小楠、この3人の古典を読むと、見事にその思想の共通項が見えます。

 実際今、日中韓三国は彼らの思想を実践してきました。日本は明治以来、いや、あるいは江戸時代以来、和魂洋才の政策課題に取り組んできました。

 戦後韓国の産業化、民主化も実学の思想の延長線で解釈することができます。1978年以来の中国の改革・開放も。

 以上が、私の研究関心の三つのポイントでした。

意図的あいまい性含む議長声明

 最後に、今日のほんとうのテーマなんですが、この問題関心の「例の事件」については7月9日の安保理議長声明を中心に私の意見を述べることにします。

 議長声明本文を読んで感じたのは、意図的あいまい性というか、間接話法を使い、関連国家の不満を最小限にしながら、でも「事態をこれ以上悪化させない」といういろいろな思惑、政治判断の集合みたいな、そういう印象でした。

 具体的に、日本とロシアは一応関心度から見れば少し離れますので、北朝鮮と韓国、中国とアメリカの反応を中心に説明させていただきます。皆さんもすでにご存じだと思いますが、まず北朝鮮はその議長声明に対して、私は偶然にテレビで聞いたんですけれども、国連大使が、「a great diplomatic victory」と言いました。

 彼らがどういう根拠でvictoryと言うのかということを考えてみますと、大体声明の第6項を強調しています。

 第6項には「The Security Council takes note」という表現があります。take noteというのは、これは外交文書でよく出る用語なんですけれども、留意するという意味ですね。

 何を留意するかということは、北朝鮮は、自分たちはその事件と何の関係もないと言っていますね。それをそのまま、that it has nothing to do with the incidentと。このthe incidentという表現も、一応客観的な事件として取りあげたわけです。北朝鮮の主張をそのままtake noteというのが第6項の内容でした。

 今までの北朝鮮の対応ぶりから見れば、比較的に抑制的反応を示しました。いずれ6者協議に入って、自分たちの一貫した主張である平和協定を論じようということになると思います。

 韓国政府も一応外交成果を強調しています。その根拠は、議長声明の第7項です。

 「Therefore, the Security Council condemns the attack」ということですね。「condemn」と「attack」を入れたことを外交成果としてとりあげています。表現の強度から見ると、「concern」とか「deplore」とか「condemn」があるんですが、condemnは比較的に強力な表現です。それにまたattackを入れたということです。攻撃の主体は入っていませんが、文脈を見ればだれでもわかるようなものであるという意味で一応attackが入っているんです。

 「therefore」、これも単なる副詞じゃなくて、非常に大事な意味があるんです。1、2、3、4、5を見ればわかるように。「従いまして」という含みですね。「Therefore, The Security Council condemns the attack…」、この文章を非常に強調して、韓国の主張がかなり入っているということです。

 中国も一応北朝鮮との関係維持をはかりたい。韓国との関係が少し緊張悪化しましたが、それ以上の悪化を防ぎました。それからまた、東北アジア地域を安定的に管理する、そういう戦略的考慮はアメリカと一致したわけです。

 アメリカも、中国とロシアを入れて、実際上北朝鮮の攻撃を糾弾したという判断じゃないでしょうか。

 当分冷却期間を置くと思いますが、まず(7月)21日にアメリカの国務長官、国防長官と韓国の外交通商部長官、国防部長官のいわゆる2プラス2という会議があるんです。そこで一応韓国とアメリカの例の事件についての判断、政治判断は整理されるのではないかと思っています。

 当面の問題として大事なことは、韓米合同演習ですね。何しろジョージ・ワシントンという空母が入るわけですからね。

 これは中国が脅威と受け取るわけなんですね。それで西海岸から東海岸へ移ろうと。もうほとんど本決まりになっているようです。

 結論的に言いますと、安保理議長声明は、関連国家、特に南北朝鮮、米中、この4カ国が、この沈没事件のジレンマ、というか渦巻きというか、そこから一歩距離を置くようにしたんじゃないかというのが、私の率直な感想でした。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 どうもありがとうございました。時間をきっちり守っていただいて。最初の方のお話を聞いていて、これは何という日に司会を引き受けてしまったのだろうと思って(笑)、藤原先生にSOSをと思ったところですが、第4項目になりまして非常に時宜に即した安保理議長声明について、さすがになるほどと思われる分析、読み方を提示してくださいました。ありがとうございます。

 きょう、前外務次官の谷内正太郎さんがいらしているので、後でこの読み方を日本の方から補足していただきたいと思います。それでは次に朴さんにお願いします。

■(2)日韓併合100年の年に帝国主義と冷戦の問題を考える

朴裕河(パク・ユハ)韓国世宗大学教授(日本文学)

最終的な関心は東アジアの歴史和解

【朴裕河・世宗大教授】 こんばんは、朴裕河と申します。このような、各分野のそうそうたる専門家の方たちのお集まりの会に招いていただいたことを光栄に思います。私の専門は文学なので、「緊張する南北関係と日本」というような政治的テーマについて話すのにふさわしいものとも思えませんが、 文字通りの政治的な話は崔先生が多分話してくださるものと思って引き受けたしだいです。

 ですから、多少抽象的な話になるのかも知れませんが、 日韓関係について考えてきてもいる 韓国の一市民の声として聞いていただければと思います。

 私は、主に明治の文学テキストを研究対象にしてきましたが、そうしているうちに、 明治の帝国主義の問題、それからそれに平行する形で 起こってくる日本や韓国のナショナリズムの問題などに関心を持つようになりました。そこから日韓関係にも関心を持つようになり、日本を対象にした韓国のナショナリズムを批判する本を書いたこともあります。私の最終的な関心は、 東アジア、先ほど崔先生も東アジア共同体のことに触れられましたが、東アジアにおける歴史和解にあります。今日は、そうした立場からお話したいと思います。

 簡単なレジュメをつくってみました。

>>資料(PDF)はこちらからダウンロードできます

 それをご覧になりながら 聞いていただければと思います。タイトルは、「日韓併合100年の年に帝国主義と冷戦の問題を考える」とつけてみました。

  哨戒艦の話を崔先生も最後に話してくださいました。私も今日哨戒艦をめぐっての非常に現実的な話をしたいと思ってはいるんですが、その前に、今どのような場に私たちがいるのかということを改めて考えてみることからはじめたいと思います。

 もっとも、私が話そうとすることは政治や経済のほうでも既にいろんなことが言われていて、ご承知のことかとも思いますが、今日の問題を考える前提としてもう一回確認をしておきたいのです。

東アジアに残る葛藤、帝国主義とナショナリズムの問題

 いま東アジアというと主に日中韓のことを指すことばとして使われています。そうした呼び方をするときに意識から抜けがちなのが北朝鮮や台湾ですが、そういった国々を含めて東アジアと考えたときに、まずもって注意すべきは、この地域に今もって葛藤がまだ続いているということです。

 それはどうしてでしょうか。そのことをもう一回振り返りたいと思います。

 まず日本と韓国。今日のテーマというかタイトルにもありましたが、日韓併合100年というのは言うまでもなく、近代以降の日本の帝国主義のために韓国が植民地化されたことの負の遺産といいますか、その問題がいまだ最終的に解決されていない状況を表すと思います。実際の解決があったかどうかは別として、そういう関係に基づくナショナリズムの問題が日本と韓国の間にはあると言えるでしょう。

 特に竹島(独島)問題などは、こちらではあまり感じられないのかもしれませんが、 竹島のことが話題になったり問題になったりすると、韓国の一部の若い人たちは、戦争してもいい、ぐらいに言ったりして、ここにいらっしゃる谷内先生はよくご存じかと思いますが、日韓で何かあるとしたら、竹島問題が一番危ないんじゃないかなと思っています。そのような葛藤は、日本は単なる領土問題としていますが、韓国は歴史問題と考えているので、日韓の葛藤は いわば帝国主義やナショナリズムの問題なわけです。

 次に、日本と中国は戦争をしている関係です 。 私は中国のことはよくわからないので今日の話でそんなに触れるつもりはありませんが 、話が出たついでにちょっと申し上げたいのは、よく中国と韓国を一緒にして、日本との関係で同じく被害国と考えられがちなんですけれども、基本的に質が違う、ということです。

 考えてみれば当たり前のことですが、すくなとも韓国においてはあまり意識に上らないことです。日本は、中国とは戦争の関係であり、韓国とは植民地・宗主国の関係にありました。でも、中国や韓国との葛藤は結果としては単にナショナリズムという形で表面化しているので、同じく見えがちなのです。

 そして、 この3月の事件の背景、舞台となっている韓国と北朝鮮ですが、これは同族でありながらいわば共産主義と自由民主主義の対立関係ということになっています。

 ご存じのとおりに1950年に戦争が起こっているのですが、この内戦に、中国と日本も直接、あるいは間接的にかかわる形になりました。つまり、中国は北朝鮮の側に、日本は韓国の側にいることになっています。

 この韓国戦争についてもう一度考えてみたいと思います。今年はもっぱら日韓併合のことだけ話題になっていますし、 特に日本ではあまり触れられないかと思いますが、今年は朝鮮戦争勃発60周年でもあって、韓国では、メディアの企画などいろいろあって、関心が高いです。

 その戦争は内戦として位置づけられ、ひところはどっちが先に攻撃したのかということが話題の中心だったりしましたが、最近では、この戦争は実際にはソ連や中国、それから日本とアメリカを巻き込んだ、「北東アジア戦争」だったという言い方をされている方もいらっしゃいます。あるいは韓国で、「あれは『プチ世界戦争』だった」という言い方をする人もいます。

 その命名や内実についてここで触れる必要もなければその力量もありませんので、これ以上は触れませんが、 いずれにしろ、そのように名づけられる戦争が起こって今年は60年であり、3年続いてますから終戦からも57年経っているということを思い起こしていただきたいと思います。

 先ほど儒学の話も出ましたけれども、ご存じのとおりに、近代以前の東アジアには中国中心の秩序がありました。もちろん時々戦争もあったり、いろいろありましたけれども、大きく見ればそういったアジア内の秩序は崩れていなかったといえます。

 それが、近代以降になると、一時的ではありますが、日本がその秩序を覆し、中心となろうとし、実際に中心となりつつあった時代になります。そして敗戦のとき-1945年に、ソ連とアメリカがこの地域、韓国、韓半島に直接入ってくるわけです。よく韓半島の 38度線は、休戦線、つまり戦争が終わったあとに作られた境界と結びつけて言われがちですが、実は、すでに敗戦直後に、38度線を間において 、北はソ連が、南はアメリカが占領しました。そして現在の分断はすでにそのときから始まっているとも言えます。

 ある意味で、日本が目指した、日本を中心とする東アジアの秩序作りは、 半ばして挫折し 、ソ連とアメリカが入ってきた時点で別の構図になるわけです。

 私は、ナショナリズムを批判する立場ですから、今日の話で共同体ナショナリズムとも言うべきことを主張するつもりは毛頭ありませんが、ある意味では、当たり前のようになっていてあまり意識に上ったりしない、そうした構図についてお話ししたいのです。

帝国主義と冷戦の後遺症を抱え続ける東アジア

 東アジアに、そうした形でアメリカとソ連が入り、その結果として、ソ連に対抗しようとしてアメリカがこの地域に居残ることになりました。その結果として、日本と韓国にはアメリカの基地ができています。つまり、65年前に作られた構図が現在形として残っているのです。

 そうした意味で東アジアという地域の特徴は、帝国主義と冷戦の後遺症をともにかかえているということだと思います。そしてそれは今日も続いています。つまり、20世紀の前半と後半に起こった体制による構図や後遺症としての葛藤が、今日もなお存在しているのです。

 ところが、ヨーロッパのほうはどうかというと、地域共同体を作りました。もちろん内部ではいろいろ問題はあるようですが、ともかくも形の上ではEUというものをつくって、過去に行われた戦争による後遺症をある程度整理していると言っていいかと思います。

 韓国戦争のとき、韓国の背後にはアメリカと日本がありました。北朝鮮の背後には中国とソ連がありました。

 問題は、この構図が、ちょうどこの間の、この春の哨戒艦事件をめぐって行われた安保理の過程や声明においてまで同じく見られる、つまりいまだ保たれているということです。 こうしたことをもう一度思い起こしておくことこそが、今私たちが進むべき方向を示してくれるのではないかと思います。

哨戒艦沈没事件をめぐる韓国内の激しい対立

 ここで、哨戒艦事件について話したいと思います。韓国ではこの事件はどのように受け止められたか、そして、 実際の問題としてこの事件をどのように考えればいいのかということについてお話ししたいと思います。先ほどもお話がありましたように、安保理では非常にあいまいな形の声明が出ました。韓国政府の主張がすべていかされたわけではないので、ある意味では外交失敗と言えるでしょう。

 韓国は議決を出したいと主張していましたし、北朝鮮の名前を入れたいということだったので、韓国の新聞も、「半ば成功、半ば失敗」だと好意的に受けとめています。しかし、韓国の主張が望みとおりに受けとめられないことが予測できなかったという点で、失敗と思うのです。

 日本は調査報告が出た後にすぐに韓国を支持するという姿勢をとりました。そういう意味では哨戒艦事件をめぐって、 韓国・日本・アメリカが連携して動いたわけですが、結果的には 中国・北朝鮮の連携に対して力を発揮できなかった、ということになるのではないかと思います。

 ところで、韓国内ではどうだったのか。どうして安保理でこういうことになったのかということでもありますが、それはまずは北朝鮮自身が、あるいは中国が直接哨戒艦事件とは無関係と主張したということにあるはずですが、同時に、韓国内で議長あてに手紙を市民団体が送っていることも影響を与えていたようです。「参与連帯」という、韓国の民主化以降、90年代にできたもっとも力のある市民団体――金大中政権や、特に盧武鉉政権時代にはここから政府に入っていく人が出てくるほどに力を持っていた団体――なんですけれども、そこが安保理に手紙を送りました。つまり「必ずしも北朝鮮とは断定できない」ということを言い続けましたし、アメリカの大学の韓国人科学者たちからも「科学的に問題がある」という声が出てきていたのです。この科学者たちは、日本でも記者会見をしてその主張を発表しています。

 そのようなことに対して、政府や軍、保守団体が激しく反発しました。私にはどちらが正しいのか判断できないのでそのこと自体には触れませんが、問題はこのように、こうした事件をめぐっての韓国内の対立がものすごく激しい、とうことです 。単なる議論のぶつかりあいを超えて 、政府見解に反対する人たちを保守側が告訴したり暴力を使ったり、さらに拘束までするような激しさなのです。

 その背景は、李明博政権になってから、それまでくすぶっていた韓国内の左右の対立がいっぺんに顕在化したということにあります。まずはこういうことに注意しておきたいのですが、 哨戒艦事件をめぐる葛藤は 、先ほども話がありましたように、韓国とアメリカの軍事訓練をめぐって北朝鮮や中国が反発するような 、さらなる葛藤を引き起こしています。

 そもそも事件に対しての韓国政府の対応はどうだったのか。事件に対する調査が、北朝鮮の魚雷による爆発という報告を出したとき、大統領はそれを受けて強い抗議の意見を述べましたが、なんとその場所は戦争記念館でした。ソウルに、90年代の初めにできた大きな戦争記念館があるのですが、わざわざそこで、北朝鮮を糾弾するような演説を行うことで、いまにも反撃しかねないといった、強固な態度を見せていたのです。

 また、 先の市民団体は、「もう一回調査したほうがいい」と政府に対して強く要求しています。さらに、北朝鮮も同じく共同調査をしてほしいと言っていますが、今のところ、このような要求はどちらも無視されています。

 つまりここでお話したいのは、哨戒艦事件自体に対しての判断よりは、事件をめぐる対応が、 対話などで緊張を緩和する方向ではなく、問答無用式の態度で持って緊張を高める方向へ行った、ということのほうです。

 もちろん攻撃された、と判断したときにほかにどのような対応があり得るのか、という考え方もあるとは思いますが、ともかくも結果として、 韓国の対応は北朝鮮が強固な態度を取るほかないようなものだった、ということです。

調整役にならなかった日本

 ちょっと時間がかかってしまったので、最後に短く話しますが、今回のテーマにはせっかく日本というタイトルがありましたので、日本について少し考えたいと思います。

 日本は今回、すぐに韓国を支持してくれました。それはまずはよかったというべきでしょう。それは、日韓の間で緊密な対話のルートがあるということでしょうし、そのような緊密な関係は、ほかの国際問題における協調をもできるようにするもの、と思うからです。そういう意味ではまずは評価したいと思うのですが、同時に、実のところそのような協調は、 アメリカが韓国を支持していて、日本はアメリカと同盟関係にいるので支持したのだとも言えるでしょう 。

 ちょうど同じ時期に、日本は沖縄基地問題ではげしくもめていました。

 つまりアメリカとの同盟関係による基地問題をめぐって国内の反発に会って 、結局は首相がやめるところまでいっていました。韓国はというと、与党が選挙にまけて、 大統領や政府の緊張を高める政策や姿勢を、必ずしも国民は支持しないということが明らかになりました。しかし、両国とも、そのような国内の声は無視する形でアメリカと歩調をあわせていたのです。

 それに反して中国はどうかというと、まず最初は中立的な――北朝鮮がやったかやらなかったかとは関係ないような感じで――、中立を守るかのような姿勢を見せていました。もちろん、そのことは、北朝鮮を非難することで不安定にさせる場合、北朝鮮の体制が崩れることを心配してのことだという解釈もあります。しかし、今回の問題においては、事件の原因に対して疑問がもたれていただけに、とりあえずの姿勢としはいい姿勢だったのではないかと思います。

 結局、このような連携は、自由民主主義と社会・共産主義の対立構図を強めました。おそらく日本では、 韓国内の世論分裂に無関心――伝わっていなかったのかもしれませんが――だったのではないかと思います。

  今回の事件は、不幸な事件ではありましたが、その対応においてなんとか緊張を解く方向へもっていこうとするような発想はほとんどみられませんでした。しかし、冷戦がいまだ終わっていないこの地域だからこそ、緊張を強いる事態が発生したとき、そのような逆発想が必要ではないでしょうか。

 ある意味で今回の事件は、非常にはっきりとした形で、日韓関係は文字とおりの日韓関係じゃないということを見せ付けたようにも思います。

 つまり、背後にいるアメリカや、中国の影響を強く受けていて、ある意味で、ほんとうの日韓関係と呼べるような関係は不在だったようにも思うのです。

 日韓は、実はいくつか同じ問題を抱えています。まずは基地問題。つまりアメリカを相手とした問題です。韓国においても基地問題は、リベラル市民団体は反対しているわけですから、まだまだ今後の問題として残る問題です。

 北朝鮮に対しては拉致問題。韓国では問題化さえしていませんが、日本と同様の問題をかかえています。しかし、同じような問題を抱えていながら、日韓の間に、このような問題をめぐっての対話はこれまでなかったように思います。

 日本は、 韓国より大きな国で、力のある国です。そういう意味では、こうしたときに、アメリカと全く同じ姿勢を見せるのは少しさびしい気がします。必要なときは、アメリカと韓国の間で、あるいはアメリカと中国の間で 仲介者あるいは調整者の役割をしてもらえないものかとも期待してしまうのです。それは、西洋発の冷戦構図に埋没せず、「アジア」の一員としてアジアの平和を真剣に考えることでもあるはずです。

 日韓併合100年の年の春に起こった事態ではそれができていませんが、せめて今後において、100年前の帝国主義の後遺症による日韓関係のギクシャクや戦争と冷戦構図による日中関係のギクシャクをやわらげ、ともにアジアの平和について議論し得る関係にまで持っていくことが必要と思います。そうしたことが可能になれば、はじめてアジアは帝国主義と冷戦による 悲劇から快復した、ということになるかと思うのです。

 こうしたことをどのように可能にするのか、レジュメの最後に書きました。ご参考ください。なかなか難しいことですし、すぐに可能とも思いませんが、少なくともそのようなことを考えることが必要、と考えることから多分東アジア平和共同体に向けての道筋が見えてくるのではないかと思います。私からのお話は 以上です。ありがとうございました。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 ありがとうございました。政治とか外交とかは得意でないとおっしゃりながら、極めて鋭い政治の分析だったような気がします。ご紹介が遅れましたが、実は今日、朝日新聞のソウル支局長の箱田君にも来てもらっています。今の話を補足する形で現地報告、特に与党が敗北した地方選をどう見たらいいのかというようなことも含めて話してもらえればありがたいと思います。では、よろしく。

■(3)「節目の年」の前半、それぞれの事情で踏み出せなかった日韓

箱田哲也・朝日新聞ソウル支局長

日韓連載企画「百年の明日」できました

【箱田哲也・朝日新聞ソウル支局長】 ソウル支局の箱田と申します。きのうの夜参りました。朝日新聞では日韓企画として「百年の明日」という連載をしていて、その取材も兼ねてまいりました。また、両先生のお話を聞いて勉強させてもらおうと思ってうかがいました。

 私はおまけみたいなものなので、簡単に現地報告をいたします。3月26日の夜に哨戒艦の沈没事件が起きて、韓国国内はこの問題一色となったわけですけれども、ただ、今現地で見ている限りは、哨戒艦沈没事件と同じぐらい、6月2日にあった統一地方選、この結果に対する衝撃が大きいのではないかなと思います。

 与党のハンナラ党が事前の予測に反して惨敗するという結果になりまして、かなり李明博政権の求心力が著しく低下してきています。与党・ハンナラ党の中も政府の中も大統領府の人たちも、みんなちょっと仲間割れみたいになってきて、あいつが悪いからこうなったんだというようなことになっていっていて、おそらくあす正式に人事が出ると思うんですけれども、大統領府のいわゆる高官たちはかなり変わりそうです。さらに、内閣の一部改造があって、また7月末に国会議員の補欠選挙があると。それでどういう結果が出るのかなというような状況です。

 8月に李明博さんの政権はちょうど折り返しを迎えるんです。韓国は現憲法下で大統領の任期は5年1期限りですから。今回の人事を見ていると、もしかすると後半の2年半の対北朝鮮政策は若干変わってくるかもしれないと見ています。

 韓国の大統領府には日本の官房長官みたい仕事をする大統領室長、秘書室長さんみたいなのがいるんですけれども、今度任太煕(イム・テヒ)さんという、労働大臣だったんですけれども、この方が内定しました。この人は去年の10月、シンガポールで北朝鮮の高官と会って、労働党の書記と会って、事実上もう日にちまで合意されたんですけれども、史上3回目となる南北首脳会談をやりましょうということになったんですが、その案を持って帰ったら、一部の閣僚や大統領府の高官から、この条件ではだめだということになってオジャンになったというような経緯があります。彼が李明博大統領の横にずっとつくようになると、もしかすると北朝鮮政策に若干の柔軟性が加わるかもしれません。といっても、李明博政権も強硬一辺倒ではなく、それなりの柔軟性はあるのですが。

 この数日、北朝鮮メディアは玄仁沢(ヒョン・インテク)統一大臣を名指しで攻撃しています。対話重視の大統領室長が起用され、北朝鮮に強い姿勢を維持すべきだと主張する閣僚らと、どういう政策をとっていくのか注目されます。

 日韓100年では、今年韓国は、朝鮮戦争の勃発から60年。4.19学生革命事件から50年、光州事件から30年とか、いろいろ節目の年なんですけれども、何といっても併合条約から100年ということで、かなりこの年を迎えるに当たって日本政府も韓国政府もいろいろなことを考えたんだと思うんですが、韓国で言うと哨戒艦事件、日本も普天間はじめいろいろな問題があって、少なくとも今年の半分を越えましたけれども、あまり積極的な仕掛けができなかったと。

 鳩山さんが首相をやめたときに私、韓国の外交通商部の人に電話したんですけれども、「いや、びっくりしていますけど慌てはしません。役人というのは、なれている仕事は得意なんです」というようなことを言われて、非常に日本に対してもドライに見ているんだなと思ったんですけれども。

 韓国政府は下半期に何かできればと思っているのは確かです。一方で、今までみたいに韓国から何かを繰り返しお願いをして、それを渋々日本が聞くというようなことはもうしたくないと。

 つまり、日本があくまでも自主的に何かを判断してやったんだという形に持っていきたいという思いが強いように思います。文化財の返還問題とか出ているんですけれども、これも韓国政府から要望という形ではなくて、韓国の政府の中では、こういう話が出ていますよというような間接的な言い方をして、日本がそれを受け入れてほしいというような思いが強いように思います。

 さっきの大統領府の人事の絡みで言うと、少し気になることがあります。これから8月15日の光復節、あるいは22日の併合条約の調印とか29日の公布と続き、来月は熱い夏を迎えるかもしれません。李明博大統領は過去2年、光復節などでの演説でも、日本に対する厳しい言及というのは一度もしませんでした。周囲から「日本についてもっと触れるべきだ」との意見が出ても、大統領が自身の判断で言わなかったそうです。だから今回も激しい表現はないと、僕は思っていますが、今回の人事で若干トーンが変わってくるかもしれない。

 例えば、大統領府の中で民心をつかもうということで新しい首席ポストができるんですけれども、そこについた人は家族全員の本籍を独島(竹島)に移した人だと、韓国メディアが伝えています。そういうような変化もある状況です。以上です。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 ありがとうございました。さきほど申し上げた通り谷内さんがせっかくいらしているので、この哨戒艦をめぐる安保理議長声明をどう読むのかという先ほど来の話について、お話を伺いたいと思います。

目立った韓国の自制

【谷内正太郎・元外務次官(早稲田大教授)】 崔先生のほうから、意図的に議長声明があいまいなものになっているという話がありましたが、これはまさにそのとおりだと思います。

 各国の思惑がいろいろあって、最終的にああいう形になったと、こういうことだと思います。全体の流れから言うと、多国籍の調査があって、それを踏まえて安保理に持っていって、それで議長声明という比較的軽い形式のもので落ちついたんですけれども、これは多分韓国政府はほんとうはちゃんとした決議が欲しかったんでしょうけれども、やむを得なかったんだろうなと思うんです。

 おそらく国連をよく知っている人から見ると、議長声明が本件のようなケースで出れば、御の字とは言いませんが、よくやったということに結果的にはなるんだと思うんです。これはどこが頑張っても、やっぱり中国という、基本的に朝鮮半島になりますと現状維持を是としている国がいて、拒否権を持っていますから、もうこれ以外は私は無理だったと思うんです。

 ただ、今回私が思ったのは、韓国内で議論が非常に分かれているということも原因の一つでしょうけれども、やっぱり韓国政府は非常に自制をされたんじゃないかなと。

 要するに、何らかの形での成果を出すということでとりあえず国内の意見を、あるいは世論をおさめる、そういう発想に行ったんじゃないかと思うんです。これがもし仮に韓国じゃなくてアメリカだったとすると、私の今までの経験からすると、例えば北朝鮮のどこかを懲罰的にたたくということもありえたんではないかなと思うんです。

 韓国も、あの多国籍調査が出ていますから、仮にそういうことをやったとしても少なくとも国際法上は文句言われるような話じゃないんじゃないかと思いますけれども、韓国政府はそれをされなかった。

 いろいろ事情はあると思います。それで今回、そういう意味で韓国政府の自制が非常に目立ったし、尊敬する朴裕河先生は「韓国の外交は失敗した」とおっしゃいましたけれども、私は必ずしもそうは思わない。

 それからもう一つは、朴先生が、日本、韓国、アメリカの連立というのには限界があるということを言っておられますけれども、その原因はやっぱり中国にある。こういうことですから、日本政府がもし仮に韓国政府と同じような立場に立っていても、こういうルートを通り、こういう結果になっただろうなと私は思います。

■全体討論(1)「併合100年」と「朝鮮戦争60年」、「南北首脳会談から10年」

この夏に新たな日韓関係の仕掛けができるか

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 質疑と討論に移ります。先ほど箱田支局長も補足してくれたんですが、今年は「日韓併合100年」だけでなく、朴先生がおっしゃったように、「朝鮮戦争60年」、それから、「学生革命」というのは李承晩政権が倒れた革命ですね。それから50年。それから「光州事件から30年」。もう一つ言えば「南北首脳会談から10年」ということで、奇妙なことに非常にいろいろ重なっているわけです。

 朴先生のレジュメにもちょっとありましたが、今度の事件は10年前の首脳会談以前の状況に南北関係が戻ってしまったんではないかというふうに、私もそんな感じで見ています。80年代にはもっと激しいラングーン事件、大韓航空機(KAL)の爆破事件というようなことがあったわけで、そこまでは行っていないでしょうけれども、しかし、ちょっと危うい感じがあるなと。

 今のお話の中からも何となくうかがえたのですが、今回は哨戒艦事件でわりあいに日韓が連携する局面だったものですから、5月に朝日新聞のコラムにも書いたんですけれども、併合100年の年なのに、韓国のほうから盛り上がりそうな反日的な機運が案外高まらず、この事件のために幸か不幸かといいますか、日韓関係はあまりささくれ立たずに済んでしまっているかな、という気がしています。けれども、それで覆い隠せるのかどうかというと、よくわからない部分もありまして、一方で日本の政権は、民主党が去年のような勢いであれば、例えば在日韓国人を含む外国人参政権なんかがひょっとすれば実現するのかなという感じもしたんですけれども、その後の状況、特に今度の選挙結果を受けて、少なくとも今年中になんていうことはもうあり得なくなったのではないか。だとすると、あまり目に見えたものがないのかなという気がします。

 あるいは、100年を期して首相談話のようなものが多分出るだろうと思いますけれども、談話でどこまで踏み込めるのかちょっと危惧される感じがします。首相の訪韓というようなこともこの状況ではちょっと見通しが暗くなったかなというところでしょうか。

 余分なことを言いましたけれども、それではいろいろな話題が出ておりますので、特にこちらから整理をしませんけれども、ご関心に従って質問でも意見でもご発言いただきたいと思います。

分断体制の「戦争抑止機能」は働いた

【小此木政夫・慶応大教授】 今日は話題が豊富ですから、先に手を挙げたほうが勝ちだと思いまして、それで手を挙げました。

 哨戒艦の沈没事件の話から韓国併合100年までありますが、今年は朝鮮戦争60年でもあります。哨戒艦沈没事件は朝鮮戦争によって確立した分断体制と無関係ではありませんね。分断体制というのは、戦争が不可能な相互抑止体制なんですよ。地域的ですが。

 冷戦時代には、北朝鮮も韓国も周辺の大国と軍事同盟を結んでいました。だから、逆説的に、戦争にまで至らない武力挑発が可能でした。それには反撃できませんでした。例えば1968年に北朝鮮特殊部隊が韓国大統領官邸を襲撃しようとして失敗したことがありました。その後のことですが、朴正煕大統領は韓国でも同じような特殊部隊を養成することを許可したのです。報復のためですね。最近、映画化されて話題になったシルミド(実尾島)で訓練したのです。

 そして、この部隊は哨戒艦の沈没事件があったペンニョンド(ペンニョン島)まで進出して、実際に北朝鮮に侵攻しようとしたのです。しかし、ついに実行命令が出されませんでした。その後、目的が失われたまま、訓練だけが繰り返され、最後に兵士たちが反乱を起こしたのです。それがシルミド事件でした。

 同じようなことは、米軍のEC-121電子偵察機が公海上で撃墜されたときにも繰り返されました。最近発掘された史料によれば、これに激怒したニクソン大統領がミグ機の発進基地を爆撃するように命令し、群山基地で米軍のF-4が核爆弾を抱いて待機しました。しかし、結局、それも実行されませんでしたね。

 ラングーン爆弾テロ事件でも大統領殺害が試みられ、韓国の現職閣僚を含む多数の犠牲者が出ました。しかし、これに対しても、何もできなかったんです。私は全斗煥元大統領に「ラングーンから帰ってくる飛行機の中で何を考えましたか」と質問したことがありますが、「真っ先に考えたのは、韓国軍、とくに空軍将校が暴走しないように抑えることだった」そうです。そのように証言してくれました。

 そういうテロや破壊の最後のものが、盧泰愚大統領のときの大韓航空機爆破事件でした。だから、今回の事件で試されたのは、実は、冷戦が終結した後にも、そういう分断体制の戦争抑止機能が働くかどうかでした。

 結果的には、北朝鮮の核開発を含めて、いろいろな形で抑止体制が補強された結果だと思いますが、それが機能していることが確認されました。もちろん冷戦時代の軍事的な抑止と同じではないでしょうが、中国やロシアは明確に北朝鮮側に立って、紛争を最小限に抑えようとしましたね。中国などは、調査結果が発表される前に金正日総書記の訪中を受け入れたんですから。

 李明博政権は中間評価的な統一地方選挙を控えていたために対応に苦慮しました。強硬に対処すべきか、冷静に対応すべきか、ジレンマに陥ったんです。最後の段階で魚雷のスクリュー部分が発見されたことが影響したのか、やや強気になりすぎたように思います。これを選挙用に利用しているかのような印象を与えてしまいました。実際にはともかく、そのように疑われてしまった。それが敗因の一つだったと思いますね。

欧州主要国のマニフェストには「植民地主義」の項目がある

 次に、韓国併合100年ですが、最近私の友人のある学者がヨーロッパ主要国のマニフェストを調べていて、いまだに植民地主義の項目があると言って驚いていました。おそらく、旧植民地からの移民問題が取り上げられているのでしょう。しかし、日本のマニフェストの中には植民地主義の項目はありません。それはなぜだろうかと疑問に思ったと言うんですね。

 日本人は日本が植民地にされないために行った努力をよく覚えています。坂本龍馬がどうしたとか、「坂の上の雲」のことを含めて。だけれども、日本が植民地帝国だったことについては、すっかり忘れてしまっている。在日外国人の地方参政権も、ニューカマーを含む外国人全体の問題として提起されています。しかし、オールドカマー、つまり戦前から日本にいた人たちの中には、実際に日本人として徴兵されたり、徴用されたりした人たちもいるんです。そちらが先でしょう。

 総理大臣談話や外務大臣談話で、100年前の国際政治情勢を分析したり、旧条約が当時の帝国主義的な国際法体系の下で有効であったか、無効であったかを評価したりすることは不可能です。その種の議論はあまりにも専門的過ぎるし、政府が統一見解を示すことはできないし、すべきでもないでしょう。

 ただ、現在の時点で、100年前の併合をどう考えるかに関しては明確にしておく必要がある。併合が当時の韓国人の意思に反して強制的になされたことを否定する必要はありません。もしそれを否定すれば、併合前の義兵運動や併合後の31独立運動は歴史的に説明できなくなります。

 そのように考えるのは、イデオロギーでも理想主義でもありません。リアリズムです。モーラル・リアリズムと言ったらいいようなものです。それを捨ててしまったら、10年、20年先の日韓関係は見えなくなります。

 私は将来の日韓関係について悲観していません。おそらく、20年後の東アジアには政治経済体制を共有し、同じように米国を安全保障上の同盟国として、産業構造まで類似した、まるで双子のような国が存在するだろうと思っています。しかし、双子の兄弟にも仲のいい兄弟と悪い兄弟がいますから、できれば共同の利益を確認し、外交戦略を共有できるような関係を構築したい。そのために、今、何をしなければならないかを考えるべきでしょう。日本の将来のために、そう思います。

 最後に、日韓条約について一言。1965年の日韓条約はもちろん両国の粘り強い外交交渉があって成立したものです。関係者がある種の使命感を持って交渉したことに間違いない。その努力は多としなければなりません。

 しかし、外交交渉とはいえ、加害者と被害者の立場の違いもあれば、国力の違いもありました。やはり、その当時の時代的な背景や限界に拘束されていたと思うんです。交渉の結果、日韓間に合意が成立しました、確かに。だけれども、和解が成立したかと言われると、それは成立しなかったんです。大変に残念なことですが。

 私は1970年代前半に韓国に留学し、80年代にも行ったり来たりしていましたからよく覚えています。韓国の友人たちに「日本は一度も謝ってくれない」といわれて、辛い思いをしました。そればかり言われたんです。「一度ぐらい謝ってくれ」と。つまり、日韓交渉は妥結し、関係正常化に関する合意は成立したけども、謝罪や反省の言葉はなかったし、戦後和解は成立していないという時期がずっとあったのです。

 そのような状態が95年の村山談話、98年の金大中・小渕恵三による日韓パートナーシップ共同宣言によって解消されました。それが戦後和解だったと私は信じております。その戦後和解が両国国民に明確に認識されていないのは残念なことです。何か象徴的な行為が必要だったのか、その後の行動に問題があったのか、いずれにしろ、たいへんに残念なことです。

 まだいろいろお話ししたいことがありますが、あまり一人で時間をとっては申しわけないので、この辺にしておきます。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 ありがとうございました。いま95年の村山談話と、98年の共同宣言のお話が出ました。これはオフィシャルな閣議決定や外交文書になっているものですが、ちょっと補足しますと、その前に93年に細川首相の慶州における発言というのがあって、画期的な中身だったと思います。最近、当時の細川さんの日記が発刊されましたけれども、ここでも彼の思いが非常に述べられています。

進まぬ日韓FTA、第2の金大中的発想が出てきてほしい

【山澤逸平・一橋大名誉教授】 今までの皆さんのお話の中であまり出てこなかった経済の問題で、日韓経済関係ということについて発言したいと思います。

 はっきり言ってしまいますと、日韓のFTAの交渉は、1998年から話しには出ているんですが、いまだにらちが明かない。

 その間に韓国は韓米、それから韓EUのFTAをまとめまして、今は韓中のFTAに取り組んでいるというところで、日韓だけが置いていかれて大変残念です。

 政治、安全保障に比べて経済関係は互恵、お互いの利益が見やすい分野だと言われているんですが、それにもかかわらずうまくいっておらない。日韓関係で経済関係、実際のビジネスの面ではなくて、特に経済政策の面での政府間の連携がうまくいっていないわけです。

 1998年に金大中大統領が日本に来られて、「20世紀の関係を超えて21世紀の新しい関係をつくれ」という演説をなさったときに、私はちょうどアジア経済研究所の所長を兼務しておりまして、JETROと統合した直後で、JETROの畠山理事長に言われまして日韓FTAの共同研究に取り組みました。

 私個人でも金大中発言に感激しました。日本からは言い出せないことを韓国から言い出してくれたということです。その総論部分を私は一人で書きました。

 FTAでは小さいほうの国が大きなメリットを受けることは一般的に言われていることです。ヨーロッパでも実例があります。そのことを強調いたしましたけれども、ソウルでの発表会を2000年にいたしましたが、韓国のエコノミストから総攻撃を受けました。

 まず、「日韓FTAをやったら対日赤字が拡大するんだ。日本企業に韓国企業は負けてしまうんだ」、それから、「もっと日本から韓国に技術協力、技術移転を積極的にやれ」というようなことを言われました。

 その後で日本のほうからは、農業、特に水産業からの反対が起こってきて、この構図は今も変わらないで続いていて、結局まとまらない。

 日本側から見ると、韓国側があまり乗り気でない。対米、対EU、対中国のほうを優先して、日本との関係はどうでもいいというような状況……私たちはそう理解しております。

 大局的にはみんなよく見えるんですけれども、日韓でそれぞれのその期待が違っていて、いざとなるとそういう局所的な損得の関係が出てきてしまう。

 いったんそういう議論になってくると、その奥にある歴史問題であり、そして相互不信が出てきて、もう先へ進まなくなってしまうというのが現在の状況であろうと思います。

 この10年間で日韓関係は大変大きく変化しました。日韓だけで議論できなくなった。もっと大きな構図で議論をしなければならなくなった。もちろんそれは、中国が台頭して、そして、中国だけではなくて、香港と台湾も入った中華経済圏が生成されてきた。

 この中でも朴先生が触れておられる中・台湾のECFA、経済協力枠組み協定、これはその前の中・香港のものとあわせると、実質的に進んでいた企業間の関係を制度的に固めて、中華経済圏が制度的にも形成されていく。韓国は、これに乗りおくれては大変だということで韓中のFTAを急いでいるというところだろうと思います。

 もう一つは、先ほどからも出ている東アジア共同体の中で、ASEANプラス3がベースになって、ASEANがドライバーのシートに座る形で進んでいるわけですが、ASEAN自体は一番弱い輪ですから、プラス3がうまくそれを補完しなきゃいけない。しかし、中日韓という形になると、その3者の関係は、経済関係では利益が見込まれるんですが、実際にはなかなかうまく動かない。

 今は、日韓というFTAはおそらくなかなかうまくいかないで、一足飛びに日中韓FTAに結びつけたほうが早いんではないだろうかという議論が出ております。

 ただ、その際に、金大中大統領が言われたような強い形で将来に結びつけるような政治的なイニシアチブが出てこないとやはり何とも動かないのではないか。

 私の今の考えは、第2の金大中的な発想が韓国から出てきてくれないだろうかということ。日本ではなかなか望み薄ですから、それが出てきてくれないかと願っております。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 ありがとうございました。

北朝鮮の混乱恐れる中国

【国分良成・慶応大法学部長】 それでは、2点お話ししたいと思います。1点は、もちろん哨戒艦にかかわることで、特に中国からの視点を少し触れてみたいと思います。2つ目は、今のまさに山澤先生のお話しされたポイントから考えてみたいと思います。

 1点目の哨戒艦の問題ですが、中国情報によると、金正日が5月に中国に行ったときは、とにかく自身を正当化する話ばかりだったということです。

 ご承知のように、中国は今回の事件に関してはああいう態度をとりましたけれども、それは逆に言えばあまり安定していないという部分があるということですよね。中国人で密貿易をやっていたのが中朝国境で殺されたり、いろいろな事件も発生しております。

 結論から言うと、中国の最近の全般的傾向で、指導者もそうですけれども、「北で起こっていることはあまり知りたくない」というか、中国社会で起こっている問題もそうですけれども、彼ら自身は「もう見たくない」というか、当事者意識を避けようとする傾向があるという感じがします。今回の哨戒艦の事件も、ほんとうのことを知りたくないというようなところが、本音ベースで中国人の方と話しているとあるんじゃないかなというところがあります。

 「知ってどうするんだ」ということになったときに、それじゃ一挙に圧力をかけるのかということです。日米韓の間に一緒に入って北をとっちめるのかという話になったときには、当然それはできない、中国の立場からしますと。

 おそらくここにある問題というのは、6者協議をどうするのかというようなテーマと基本的にはつながっていることだと思うんです。6者協議がうまくいかなかった理由の一つは、やはりそれぞれの国の立場がみんな違ったということです。共通意思がないところで交渉すれば、当然足元を見られてしまうということでもあったわけです。

 そうすると、日米韓中、この関係性をこれからどうしていくかというテーマの一つは、これはもちろん哨戒艦という悲劇の事件にどう対応するかですが、同時にその背後にある一つの大きなテーマは、金正日体制の継承問題です。新しいその次の後継を世界は認めるかどうかという部分での迷いを我々外から見ていて感じるわけです。

 つまり、そこに統一意思があるのかないのか。ここはまさにデモクラティック・ピースに関係するんです。おそらく崔先生はそういう意図でお話しになったんじゃなくて、日中韓の話でお話しされたんだと思いますけれども、ただ、デモクラティック・ピースとの関連を言えば、日米中韓のコンセンサスは、北が改革・開放に少しでも向かうかどうかというところなんじゃないかという感じがするんです。

 どうも中国にとってみると、今のこの金正日体制がその次に移行する決定的な瞬間に絶対にさわりたくないと。「うまくいってほしい」というのがおそらく中国の最大の思惑で、現状維持ということだと思います。要するに、中国の人たちの感覚は現在北が非常に危機的な状況にあるということです。北が混乱したらどうしようとか、こんなような感覚が多分中国の中には強いんじゃないかという気がするんです。

 という点でいくと、少し大きなテーマになってきますけれども、やはり6者協議なりそういうものを今後どういうふうな形で日米中韓が考えるのかということだと思います。

中台、ASEANの市場圏形成で、残る最大のテーマが北朝鮮

 それから、もう一点の山澤先生の提起された問題との関連で、つい最近の、トロントでの胡錦濤国家主席と菅首相の会見は重要でした。

 ここでものすごい逆転現象が起こったんです。ほとんど日本では注目されていないんですけれども、中国人はやっぱり非常に関心を持っていました。

 この会見で菅さんは東アジア共同体は遠い将来の話として位置づけたわけです。つまり、鳩山政権とはちょっとニュアンスを変えた。ところが胡錦濤国家主席は「東アジア共同体を積極的に進めたい」と言ったわけです。これは逆転です。これまで日本が積極的だったのが、突然中国が積極的に、菅さんが少し下がったという感じなんです。

 胡錦濤、中国がどうしてこんな積極的になったんだろうかということを考えたときには、実は浮かんでくるものがいろいろあるんです。ようやく米中の人民元の問題がちょっと落ちついたという点もあり、米中関係がよくなった。それから、日本の政局がまた混乱しているという状況の中で、東アジアのリーダーシップがとれる状況になったとか、そういうことはあるのかもしれませんが、ただ、やっぱり一番大きいのは、ECFAの影響で、これによって自信を持ってきたという部分があると思うんです。

 日本ではECFAの問題が、ちょうどワールドカップのサッカーと重なったので横に行っちゃったんですけれども、これを一番とにかくフォローしているのは韓国です。韓国は、何でこんなに関心があるのかというぐらいECFA、ECFAになっているわけです。

 このECFAの意味は、ちょっと皆さんあまりご存じないかもしれませんけれども、これは、中国とASEANのFTAが今年の1月1日に発効したというところから来ているわけです。台湾は締め出されるのではないかと心配しました。台湾は国じゃないですから、、つまりFTAは結びにくいわけです。そこで、どうやったら台湾がASEANとも、それから大陸ともこのまま順調にいくかということで、どちらかというと台湾側が積極的に表面的には動いたわけです。

 ただ、中台は経済的には陳水扁時代から現実に結びついているわけですから、その現実を認め始めたということなんですけれども、それをよく見ていると、その背後から中国も一生懸命積極化させている。経済的には、たぶん台湾のほうが少しメリットが大きいと言われています。

 ただ、これで起こったことは何かというと、ASEANと中国と台湾、で、もちろん香港もですけれども、1つの市場圏になりつつあるという現実です。これを見た韓国が非常に慌てていて、中国とのFTAということが急激に議論になっています。韓国はその辺はリアリズムの観点があるなと私は思っていたんですけれども、同時にアメリカとのFTAの話も出てきております。

 そういう意味でいきますと実は、今まさに山澤先生が言われたように、中華経済圏ができてきたと。東アジア共同体はひょっとすると「中華共同体」ということにもなりかねない。

 もちろん中国はそれを公に目指しているなんて言わないし、そんなことは言えないと思うんですよ。そんな危険なことはありませんから。それが海外に与えるイメージは今の段階ではネガティブでしょう。中国はそれがわかっている。しかし、現実にどうなってきているかというと、この地域がだんだん中華経済圏的なそういう状況になってきているということも事実です。

 台湾問題というのは戦後のこの地域の安全保障問題だったのです。これは米中関係の最大のテーマだったわけです。これが今、もうアメリカも中台接近を支持しているというところで、根本的にこの地域の秩序が変わってきているという部分が一つあるわけです。

 それによって、中国にとって最大のテーマは北朝鮮になってきたということです。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 ありがとうございました。大変うかつにして、私もその逆転というところは気がつきませんでした。なるほどなと思いました。

政府間だけでない、社会と社会の間で安定した日韓関係をどう築くか

【藤原帰一・東大教授】 これまでの議論とちょっと脈絡の違う話になることをお断りします。崔相龍先生は、実は私の恩師である坂本義和先生の最初のお弟子さんの一人でして、兄弟子に当たるんです。となるとどうしても何か学者としての顔が表に出てくるので、その点をお許しください。

 デモクラティック・ピースのお話がありました。申し上げるまでもないと思いますが、国際関係という分野ではリアリズムという考え方が中心的な考え方でして、これは現在、まだ基本的に変わりがないんですけれども、それと異なる見方としてリベラリズムという考え方があります。これは大体2つの流れに分かれて、1つは政治的なリベラリズム、「政治体制が変わっていく、自由主義的なものになることが国際関係の条件をどう変えていくのか」という議論で、デモクラティック・ピースはその典型的な議論ですね。

 もう一つは、エコノミック・ピースなどと言われることがありますが、「経済取引の拡大が国際関係をどう変えていくのか」。 相互依存とかいろいろな場面で議論されるものになるわけです。

 デモクラティック・ピースは、「デモクラシーが安定したデモクラシー間で戦われた戦争がない」という「事実」を中心に展開された議論です。そして、崔先生もおっしゃったように、カントがこの議論の始まりだったのかと言えば、これはかなり疑問がある。同感です。

 そして、さらにカントに分け入っていくと、実はカントは、そもそもデモクラシーという言葉を言っているわけじゃないし、共和主義の間での平和を語っているわけでさえない。よく誤解される点なんですが、カントが共和制という言葉を使うときの意味は、立憲君主制のことなんです。これは背後には非常に明確な事実があって、フランス革命の時代に書かれているものであって、ここでその共和主義における権力の暴走をカントは全く信用していない。そこではむしろ戦争が拡大する懸念を彼は考えているわけで、権力の抑制として立憲君主制のほうが望ましいとカントは考えたところは非常に重要なポイントだと思います。

 それが急に現代の問題に入ります。デモクラティック・ピースという議論は、「安定したデモクラシー」の間での戦争が起こったことがないという「事実」に立脚しているんですけれども、じゃ、「できたてのデモクラシー」はどうなんだろうかという問題が出てくるわけです。

 既に、権威主義体制崩壊からまだまもない民主政、「できたてのデモクラシー」の間ではむしろさまざまな緊張が起こりやすいということを示している研究が幾つかあらわれています。「実際に戦争は起こっていないじゃないか」という結論に関する限りは、戦争は起こっていないかもしれないんですが、民主化が拡大することで相手に対する脅威の認識は後退するかといえば、必ずしもそうではない。

 むしろ国民世論が政治決定に参加することは、相手に対する偏見、脅威感といったものが過大に表明される機会を与える可能性さえあるわけです。ドライな言い方ですけれども、日韓関係を考えてまいりますと、冷戦という状況のもとでは案外緊張は管理できた。同じブロックに属している、地政学的な利益が第一だ、世論なんかどうでもよろしいという時代においてはそんなに緊張は出てこなかったんです。

 崔先生が駐日大使をされていたまさにその時代は、同時に韓国で民主化が非常に急速に進展した時代であり、歴史問題に関する国民の発言がより強く政治決定に反映しやすくなった時代でもあります。

 もちろん私は、「世論黙れ」ということを言いたくてこんなことを言っているわけじゃないんですけれども、大事なことは、そのデモクラシーの過程では相手に対する地政学的な利益とまた別の表明が非常に強く出てくる可能性がある。ここで、「国民世論黙れ」というのは、一つの見方ですけれども、非現実的なばかりか、モラルの上でも正しくはないと思うんです。

 ここで安定した国際関係を政府間ばかりではなくて社会の間でどうつくっていくのかという非常に重要な課題が生まれてくると思います。日韓関係はかなりその点を大きく踏み出したと思うんですが、まだ十分じゃないのかなと思うところが幾つもあります。それは何も韓国側の問題だけをあげつらいたくて私は申し上げているわけではありません。

経済の強い絆を緊張緩和のリソースにする議論を

 もう一つ、エコノミック・ピースについて申し上げたいんですけれども、「取引が拡大すれば、貿易が拡大すれば世の中平和になるよ」という議論は、これはそもそも自由貿易などはなかったアダム・スミスの時代から叫ばれていることで、もちろんアダム・スミスはそんなことが自分の生きている時代に実現すると考えないわけですけれども、19世紀になれば自由貿易の拡大を求めるイギリスのマンチェスター・リベラルなどがその主張を行う。

 現在では貿易取引の拡大が平和の条件だという議論を立てる人は実に増えました。増えたんですが、これは今私がかかわっている共同研究、韓国の延世大学と進めている研究のテーマでもあるんですが、実は貿易の拡大あるいは金融取引の拡大と国際緊張の低下がリンクしていないかもしれないということを今議論しています。

 東アジアにおいては明らかに経済取引は拡大している、これはもう議論の余地がないんですけれども、相手に対する脅威認識がそれとともに低下したとはとても言えないという状況があります。

 だからこの2つが独立しているということを突き放して言いたいのではなくて、この2つを結びつけるために何ができるのかということがあるのかもしれない。

 今、日韓が戦争状態になったらお互いに失うものが大きいことは改めて言うまでもない。言うまでもないのですが、しかし、領土問題も含めて時には突出した言論が、これは韓国ばかりではもちろんありません。日本の中にも出てくるという状況があります。だとすれば、「経済取引が拡大すれば自動的に平和になるよ」といういわばのんきな議論ではなくて、それがどのように緊張緩和のリソースとして使えるのかという議論をしなくちゃいけない。

 ところが、東アジア共同体の議論もそうなんですけれども、ここでの経済統合の議論はすべて市場に追随しているんです。マーケットが拡大していることを追いかけて構想が出ているんですけれども、さまざまな政治的なあつれきを避けるためにどのような経済制度をつくるのかという議論はほとんどないんです。

 これは実は第2次世界大戦後の欧州の石炭鉄鋼共同体の始まりと対比した場合に方向が全く違うんです。「ヨーロッパと同じになれ」ということを言っているわけじゃないんですけれども、拡大するマーケットの後を追いかける制度形成ということだけであれば、それは地域の安定ということに直結しないんじゃないか。

 どうもリベラルでいたいという気持ちを持ちながら心の中にリアリズムがすみついている人間として、矛盾したコメントで問題を投げ出すわけです。

韓国の民主化後に浮き上がってきた日本側の歴史認識

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 ありがとうございました。崔相龍ゼミから藤原ゼミへと移ったような感じでしたけれども、いまのお話にちょっと刺激されて私もちょっとお話をすると、日韓条約ができたときはご存じのように朴正煕軍事独裁体制でして、一方の日本は自由民主党の盤石な体制だったので、反共で結びついたわけですね。

 その関係は基本的には全斗煥体制まで続いたんだと思うんですけども、非常に簡略化して言うと、その時期というのは、日韓がそれぞれ相手に対する大きな不満を我慢した時期だった。日本から見ると韓国は軍事国家で、非民主的な国である、とても普通なら手を握る国ではないけれど、北の脅威もあるし、冷戦体制だから仕方ない、と。

 一方、韓国から見ると、日本は、先ほど小此木先生がおっしゃったように、「謝ってくれない」。つまり歴史認識に非常な不満があった。しかし、経済支援も得なければいけないし、とにかく北に対抗して経済を伸ばそうということで、お互いの不満を我慢しながら結びあった体制だったんじゃないか。そのため時々矛盾が噴き出て、例えば金大中さんの拉致事件というのはその大きな一つだし、あるいは全斗煥時代には日本の歴史教科書問題が深刻になるという風だったと思うんです。

 ところが、韓国が民主化されたことによって日本からの不満はあまりなくなった。そうなると、韓国の側からすると相手への不満だけが残っておるということで、歴史認識の問題がクローズアップされてきた。それに対応するように細川発言、村山発言が出てきたわけで、日本の歴史認識も相手の民主化に触発されて実は進んだんじゃないのか。それが私の非常に単純化した仮説です。その上で、しかしなお・・・という話になろうと思います。

■全体討論(2)「併合100年」と「朝鮮戦争60年」、「南北首脳会談から10年」

日韓協力で多国間課題のイニシアチブを

【伊藤庄一・CSIS客員研究員(環日本海経済研究所研究主任)】 歴史認識の問題をどう位置づけられるのか、基本的な整理をしてみたいと思います。

 一つ目は、問題に直面した際の因果関係です。よく歴史認識の問題があるために、日韓関係、ある程度日中関係も同様かもしれませんが、何かものが進まない時や、対立が生じるときにはすべて歴史認識のせいにされてしまう傾向が強い。しかしながら、歴史認識の不一致があるために、もとより関係がある一定以上は前進しないのか。それとも本当は歴史認識の問題に端を発しない問題であっても、意見対立が生じるとすぐに原因を歴史に求めようとしているのか。直面するイシューごとに、見極める必要があると思います。

 二つ目は、国家レベルと社会レベルの差異問題です。つまり、政治家が謝罪したかどうかという外交次元の問題と、一般民衆がそれをどう受け止めるかという問題は一致しないことがある。外交的な決着がテクニカルにできたとしても、個々人レベルでは将来にわたって歴史的記憶にこだわる場合もあるでしょう。

 三つ目は、歴史認識の問題が政争の道具とされる場合が多いように見受けられるが、外交関係や特に経済・貿易関係というものは基本的に是々非々で動いていく、という点です。今年のように歴史的な節目の年であっても、例えば今回の哨戒艦沈没事件後の動きが典型的に示しているように、北朝鮮をめぐり有事の際には、日韓協力の機運の方が、歴史問題に対する注目度よりも相対的に高まることもある。

 最後に、日本と韓国は、北東アジアの未来像について、共にビジョンを作っていく必要性がある、ということを指摘したいと思います。確かに、暗礁に乗り上げている6者協議の今後については読めないという制約がありますが、どのように地域社会を将来的に構築したいのか、大局的な視点から協議していくべきでしょう。

 先ほどの朴先生のご提言に関し、90%賛成です。独立的な日韓関係をつくっていくべきという指摘は、まさにそのとおりでしょう。10%の疑問といいますのは、日韓2国間だけの問題に止まるべきではない、ということです。日韓が他の国々との協力も踏まえる形で、国際社会に対しもっとイニシアチブを発揮していくべきだと思います。

 一例としては、北東アジアにおける環境問題やエネルギー安全保障を考える際に、中国ファクターの重要性をどう受け止めるのか、という問題があるでしょう。その際、日韓がイニシアチブをとる形で、中国のみならず、米国やロシアを関与させたマルチの枠組みを構築することも可能なのではないでしょうか。

 このような問題を考えるとき、日韓関係において歴史認識の問題が必ずしも最重要のボトルネックであり続けるとは限らないでしょう。政策決定者たちは、将来志向のビジョンを積極的に提示していってもらいたいと思います。

領土問題の核と、民族のエネルギーの源泉は何か

【竹田いさみ・獨協大教授】 どうもありがとうございます。今日は先生方から学ばせていただき、誠に有難うございます。3人のスピーカーに、2つの質問があります。1つは日本との領土問題です。2つ目は、韓国(企業)の方々のエネルギーや民族のエネルギーについて伺いたいと思います。

 一つは領土問題です。先ほど朴先生から、竹島問題に関して青年層は、非常に敏感に反応するというご指摘いただきました。現在の日本では見かけない光景だと思います。その韓国の青年層が領土問題へ非常に敏感に反応し、時にはとても過激に反応するというのは、青年たちの精神の核に、もしくは精神構造の核に、いったい何があるのでしょうか。またその背景に、青年層を駆り立てる何らかの仕掛けがあるのでしょうか。自然発生的なのか、学生運動の大きなアジェンダなのか、もしくは何らかのNGOグループとリンクしているのか、それとも政府の方針とリンクしているのか――どのように理解したらいいのでしょうか。

 それはさらに中国の尖閣諸島に対する問題とも関連します。やはり中国も日本との間に尖閣諸島の領有権問題を抱えていますから、中国が尖閣諸島に対する領有権を主張するのと連動する形で、韓国の竹島領有権問題に影響を与える、もしくは両者に連動性があるのでしょうか。

 中国の場合は、香港や台湾の活動家も参加しています。中国の運動に刺激されて、相乗効果が生まれることはないのでしょうか。そういう中国ファクターがあるのかないか、伺いたいと思います。これが領土問題に関する質問です。箱田支局長にもぜひお答え願えればと思います。

 二つ目は、民族のエネルギー、国家のエネルギー、韓国企業のエネルギーです。東南アジアから南アジアへ、さらにアラビア半島から東アフリカに足を伸ばし、各地でホテルに泊まると、新しい電気製品はほぼLGやサムスンなどの韓国製です。残念ながら日本の電気製品はほとんど見かけません。そして車はヒュンダイ。この前もワールドカップの公式オフィシャルバスはヒュンダイでした。日本企業が全体的に撤退する中で、韓国の企業がどんどん進出しています。韓国のエネルギーの源泉を伺いたいと思います。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 非常に、大変いい質問という気がしますが(笑)、これはお2人から、とりあえずお答え。

「日本人のエネルギーは内面化されているのでは」(崔さん)

【崔相龍・法政大特任教授】 国民性という言葉は非常に危険だと思います。私は意図的に使いません。

 エネルギーというと、それも非常に漠然ですけれども、心理学者に聞きますと、日本人は「introvert」、内向的というんですか、平均的に。

 韓国人はそれに比べると非常に「extrovert」、外向的という分け方が心理学者の中にあるんです。もちろん相当な例外はありますけど。

 だから、エネルギーというのは一見、extrovertという風に見えるんじゃないですか。

 しかし、私は日本人のエネルギーは一応内面化されていて、いずれ爆発するんじゃないですか(笑)。いい意味でも悪い意味でも、と思います。

 日本の歴史を見ると、江戸幕府、約260年ですか。と、戦後約60年間、平和時代の日本が何といいますか、成熟したというか、あまり目にたたないんだけれども、エナジーが蓄積されているんじゃないかと思っています。それが爆発して戦争になるとこれはよくないという意味も含めての話なんですけれども。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 ありがとうございます。

「韓国に外への欲望が今強くある、そういう時期」(朴さん)

【朴裕河・世宗大教授】 とても難しい質問だと思います。最近、日本の若い人たちがあまり世界へ出て行きたがらないというお話を聞いています。そのような人たちのことを草食系と言っているそうですね。韓国は肉食系になっている、というわけじゃないと思いますが、そういう傾向はあるのかもしれないと思います。

 ただ、世界中で目立つということなんですが、ある意味ではひところの日本がそうだったかもしれず、つまることろどこの国でもそういうふうに目立つ時期があり少しずつ変わっていく、ということではないかとも思います。

 確かに、今、韓国には、世界へ出て何かをしたい、活動したいという欲望はものすごくあると思います。そのエネルギーはどこから来ているかとことに対して直接的には説明できませんが、やはり90年代以降、特にこの2000年代以降の経済力を背景においた自信なんだと思います。競走の相手を国内にかぎらず、世界を相手にしたい、という気持ちのあらわれだと思います。

 そういう意味ではそのように目立つ国が、今度はインドか、別な国になるかもしれません。そういうことじゃないかなと思います。

「独島(竹島)は領土問題ではなく、歴史問題」(朴さん)

 竹島のことですが、先ほど若い人たちとご説明しましたけれども、正確に言えば、最もそういう傾向を見せる人たちはどちらかというと急進派です。

 2週間前くらいに韓国で日本大使に石を投げるという事件もありましたけれども、あれもやはり同じような人たちであって、石を投げた人は 自分のことを竹島-独島を守る団体に属していると紹介していました。そんな感じで結びついているのです。

 どうしてそうなるのかと いうと、韓国では竹島問題は基本的に単なる領土問題ではなく歴史問題と考えているからです。つまり、韓国を併合する前に手をつけたのが独島だという考え方が強くあるのです。

 ですから、韓国が解放されたから、当然独島も韓国のものであって、したがってそれについて話題にすることさえ許せないという気持ちを持っているのです。別にそういう人たちだけじゃなくて、政府側もやはり同じような感じで、よく言われる言葉で、独島は韓国のものだからほっとけばいい、という考え方が特に政府筋では強いように感じます。

 そして、「自分の妻は自分の妻であることを主張しなくても自分の妻だから、あえて日本に相手をしていろいろ言う必要はない」という例えをよく言います。そのように考えているので、日本が何か主張すると、それ自体を不当なものと考えるのですし、そうした考え方があのような強い抗議としてあらわれるのです。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 中国要因みたいなものは。

【朴裕河・世宗大教授】 中国との連動ということなんですけれども、それはあまりないと思います。逆に、どう理解されるかというと、日本はいろいろなところと領土問題を持っている、それは日本が悪いからに違いない――というふうな考え方が最も一般的だろうと思います。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 ありがとうございました。崔さん、この問題については。

峠を越えた「靖国」「教科書」

【崔相龍・法政大特任教授】 いつも3つの問題が争点になっています。

 まず第一に、靖国参拝問題はすでに日本国内で答えが出ていると思います。国民の約53%が参拝に反対しているし、現民主党の指導部、中曽根前総理、渡辺恒夫・読売新聞主筆のような保守の元老たちも靖国参拝に反対しています。

 第二に、教科書問題も、確認された史実を共有することではもうかなり一致しています。

 史実の共有と同時に解釈をめぐる多様性は認め合おうということまで来ているんじゃないですかね。

 私は大使在任中、意味深い体験をしました。10日間、「実際上の召還」、「名目上のディプロマティック・コンサルテーション」でしたけれども、非常に厳しかったです。

 当時の結果は0.039%の採択率。問題教科書採択率0.039%というのは、0%以上に説得力があるんです。地方の教育委員会の自発的な選択ですね。靖国参拝反対は53%、問題教科書採択率で0.039%の結果を見て私は、争点について合理的に話し合えば乗り越えられないものはないと信じました。

「両国指導者の思慮深さが必要な独島問題:平和的現状維持を」(崔さん)

 第三に独島問題は休火山のようなものです。私の意見は平和的現状維持です。これは両国民の拍手はないです。しかし、それ以上の答えは現実的にないんじゃないんですか。現状という意味は、韓国の実効支配を含む現状です。

 ある老獪な政治家は「未解決が解決だよ」と言うんです。韓国の政治家なんですけれども。それも平和的現状維持という判断と同じカテゴリーの話じゃないかと思っています。

 特に独島問題については、両国のリーダーの言行、言葉と行動にprudence(思慮深さ)が必要です。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 箱田支局長いかがですか。

「歴史問題に左右なし、市民には落ち着いた雰囲気もある」(箱田さん)

【箱田哲也・朝日新聞ソウル支局長】 竹島、独島の問題は不幸なことに、日韓間の最大の懸案になってしまったと言っていいと思います。

 最近でもっとも問題化したのは一昨年の日本の中学学習指導要領の解説書。自治体同士の交流などがたくさん中止され、韓国の駐日大使が一時帰国するほどの騒ぎになりました。今の韓国では、竹島問題は領土問題でなく歴史問題ととらえられており、この問題を含めた日本の過去の問題に対しては、右も左もなくなってしまいます。特に日本に悪い印象を持っていない一般の多くの韓国の人たちでも、島の問題が出るたび不快な思いをしていることがソウルにいるとわかります。

 ただ、その一方で韓国の主要紙が連日、1面から何ページも割いて大騒ぎするほど、一般国民が怒りに震えているかというと、そうも思えません。島の問題は島の問題として、自分のビジネスや趣味といった生活とは切り離して考えている人も少なくないようにも見えます。韓国政府の中にも韓国メディアの報道ぶりを負担に感じている人がいるようです。もっとも、だからといって、日韓双方が配慮を怠ってはいけないというのは当然なのですが。

 先ほども朴先生から出ましたが、駐韓日本大使が講演中に石を投げられるという事件が起きました。私も現場にいて、数メートル目前で起きたので驚いたのですが、投石した男は竹島問題とともに、伊藤博文を暗殺した安重根のことも叫んでいました。今年は安重根の処刑100年でもあり、彼を「義士」とたたえる韓国では政府主催で大きな追悼式典がありました。私は大使の事件を、ネット市民たちがどうコメントするのか、まさか安重根と投石男を重ねて、正義の行為と評価するようなことはあるまい、と少し心配していました。結果、私が見た限りでは、ほとんどが「あんな奴(投石男)は愛国者でも何でもない。愛国の意味を勘違いしている」「許されないテロだ」「独島は投石で守るものではない」などと、非難する声が多くを占めていたようでした。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 ありがとうございました。

「韓国に『中庸』が育つか」(小此木さん)

【小此木政夫・慶応大教授】 重たい話はもうやめにしまして、崔先生に1つお伺いしたいことがあります。崔先生は中庸について語る珍しい韓国の学者なんです。その意味では大変に尊敬しています。先生以外の韓国人から中庸についての話を聞いたことないんです。

 実は、韓国は中庸が育たない国じゃないかと疑問に思っていましてね。南と北に分かれたのは韓国人のせいじゃないかもしれませんが、韓国には「南南葛藤」なんていう言葉はあって、北朝鮮政策に関しても中庸がありません。北朝鮮政策だけじゃなくて、いろいろな面でそうです。だから、我々はよく韓国Aチーム、Bチームなんて言いますけれども。保守派と進歩派という言い方をしますね、韓国では。

 日本のように中庸ばかり語るのも面白みはありませんが、ことごとく意見が対立して、中間がないというのは非常に困るんです。中間を育てなければいけないという意識はお持ちのようですが、真ん中に立つと両方からいじめられてしまって、育たないんです。

 私の質問は、なぜ韓国では中庸が育たないのかという質問なんです。それは階級の問題なのでしょうか、理念の問題なのでしょうか。

「朝鮮半島は冷戦の孤島、何らかの中庸的構想力が必要」(崔さん)

【崔相龍・法政大特任教授】 1947年、トルーマン・ドクトリンは言うならば世界に向かっての冷戦の宣言でしたね。

 その前にすでに朝鮮半島では深刻な冷戦が始まったんです。当時のことを私は国内冷戦という言葉を使ったんですが、われわれは悲惨な国内冷戦を体験した民族なんです。私はその現場で生まれて育ったわけです。どうすればこういうバイポラリゼーションを乗り越えるかということが私の一貫した問題意識です。ある意味では私にとって中庸は望ましい価値でもあります。

 中国に四書ってありますね。『孟子』、『論語』、『中庸』、『大学』の四書・・・「Four Books」といいます。私はプラトンの『国家論』と『法律論』、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』と『政治学』を西洋の四書と呼ぶんです。

 その八つの東西洋の古典を調べてみると、そこに驚くほど中庸思想の共通項を発見できるんです。

 日本人は中庸に慣れているかもしれません。日本人は、一人当たり国民所得が3万3000ドルになったとき、中野孝次さんの『清貧の思想』がベストセラーになった。その逆も可能です。非常にself-balancing power、自己均衡力にすぐれた国民だと思います。

 さっき「冷戦が終わったんだけど」と、みんなそうおっしゃったんだけれども、いまだに朝鮮半島は冷戦の孤島であります。

 絶対主義、ファンダメンタリズムの時代には中庸の立つ場がないんです。世界的レベルでみれば今はそういう時代じゃないでしょう。相対化の時代、ポスト冷戦の時代だから、何らかの形で中庸的な構想力が必要だと思います。

 この東西に共通する中庸思想で政治的思考の優位性を発見してみようということが私の研究関心であります。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 最後に、お二人から今日のいろいろなご意見やらに対する感想なり、ご回答も含めてお一人ずついただきたいと思います。

「『韓国政府支持』表明の後に『緊張緩和の必要性』に触れてほしい」(崔さん)

【崔相龍・法政大特任教授】 今日のメーンテーマである例の沈没事件。 先月の地方選挙で韓国国民の大多数の選択は、事実の確認も大事だが、もう第2の朝鮮戦争、これ以上緊張緩和を破壊することはノーということです。これは非常に強力です。それをぜひ理解していただきたいと思うんです。

 それからもう一つは、中国、ロシア、アメリカ、日本、4国の声明なり、朝鮮半島で何か事件が起こったときの反応を見ると、大体中国とロシアは似たような反応をしています。

 北朝鮮制裁に先頭に立っているアメリカさえも「我々は北を処罰することが目的じゃない。北が、a different path、違った道を選択するように圧迫する」ということです。違った道というのは、今の道じゃないという意味です。例えば開放とか改革とか、もう少しオープンになってほしいということだと思います。

 ところが日本政府の反応は、「韓国政府支持」、大変ありがたいことなんですけれども、その次のひとことがないんです。

 日本人としては、当然朝鮮半島に緊張があってはならないと思うかもしれませんが、それを自覚的な表現で示してほしいんです。

 アメリカも含めて中国とロシアは必ず「事態の悪化を防ぐ。朝鮮半島に緊張緩和を望む」。日本はそういう公式的意思表明がほとんどないんです。

 どうしてでしょう。それは誤解されやすいんです。いまだに韓国では、「日本は韓国の統一を望まない」という固定観念を持っている国民が半分以上です。あす世論調査してもそうかもしれません。

 そういう固定観念をなくす、最小にするためにも、必ずプラスアルファ、「朝鮮半島において緊張緩和は大事である」という表明を忘れないでほしいです。

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 ありがとうございました。では、朴先生。

「歴史認識問題こそ早急に解決すべき問題です」(朴さん)

【朴裕河・世宗大教授】 ありがとうございました。時間がないので短く2点だけお話ししたいと思います。先ほど伊藤先生が、中国やアメリカも巻き込むというようなことを話されました。

 今日の私のお話をもしかしたら誤解されたかもしれませんけれども、私は別に反米とか反大国といった考えをしているわけではありません。おっしゃるとおりに、どんどん巻き込むことはとてもいいことだと思います。ある意味で、経済をはじめいろいろな関係を、ソフト関係を複雑な関係につくってしまうということは、目に見える形の利益がどこにあるのかということがはっきり見えない形をつくりうる、という点で国益を追求するような20世紀的発想から自由になれる糸口でもあるので、いいことだと思います。

 そういう意味で、巻き込むことには賛成です。 ただし、今のところ、中国やアメリカなどの日韓への巻き込まれ方というのは、緊張緩和のほうではなくその逆、ということを申し上げたかったんです。

 日本や韓国が同じような姿勢を取るのは 当たり前のように思われていますし、安全保障という言葉で、すべてのことが許されてもいますが、安全保障というのは、もはや国家の安全保障よりも人間の安全保障として考えるべきともすでに言われています。そういう意味でも今後は、急激にはできないとしても、20世紀の思考の枠組みを少しずつずらしながら考える必要があると思うわけです。

 そうしたことを考えたときに、やはりアジアの地域にアメリカの人たちが軍事的目的で来ているのは、 自然な形ではないことに誰もが気付くと思います。

 先ほど世界へ出ていくということがとても肯定的に言及されました。それは確かにそのような側面もありますが、一方で、自らの意志に反して世界へ出ていく、移動するというのは――今日それは世界的な現象で、経済利益を追ってのことであったり、いろいろあリますが――、当人に孤独を強いることであって、幸せな体験とはいえません。そういう意味では必ずしも移動や世界へ出てゆくことを肯定的に受けとめられないこともあるので、そういう意味で申し上げました。

 そういった意味でアジアの平和を考えたいということで申し上げたわけなんですが、そのためには日韓の緊密な関係構築が必要です。先ほど山澤先生が、韓国にとって日本はどうでもいいと思われているのではないかとおっしゃいましたが、そういうことではなくて、その背後にはやはり歴史問題があります。 もちろん損するかもしれないとかいろいろな思惑もありますが、一番強いのは、ちょっと関係がよくても、すぐに歴史認識の問題が起こったりしますし、となると、どうもやっぱり気が進まない、ということになるのです。それが一番の原因だろうと思います。

 そういう意味では、歴史認識問題こそ早急に解決すべき問題と思います。

 もちろん90年代に日本は慰安婦にたいする補償や謝罪をやりました。いろいろな形で 誠意をもってやったと私は思っています。でも、詳しいことは時間がないので話せませんが、結果として半分の成功しか収められず、さらに悪いのは、韓国では日本が何かをやったということがほとんど知られていません。韓国人の90%以上は「日本は謝罪していない」と考えています。この6月の初めの朝日新聞のアンケートにもありましたが、そう思われている現実があるので、そういう認識のために、日本と連携して何かをしたいという考えのまえで身を引く形になるものと思ってお話ししました。以上です。

「哨戒艦事件の犠牲者の多くは徴兵された学生だった」(若宮さん)

【司会(若宮啓文・朝日新聞コラムニスト)】 ありがとうございました。

 長時間ありがとうございました。議論をまとめるというのも不可能な話ですけれども、今度の哨戒艦の事件で感じたことを申しあげて最後にしたいと思います。私、4月にソウルに行ったときに市役所前の広場に46人の犠牲者の慰霊の祭壇ができていて、市民が続々弔問に訪れていました。そこで思い当たったことがありまして、私も「ああ、なるほど」と思ったんですが、46人のうちの非常に多くの兵隊が徴兵制で駆り出されている学生なんです。一人一人の経歴が簡単に展示されていたんですけれども、それを見ると、職業軍人の将校が一部で、あとは若い兵隊さん、高校を出て兵士になった人もいるけれども、多くが徴兵の大学生だったということです。日本にいると、単に軍艦が沈んだというだけのイメージですが、そう考えると、非常に近い、親近感のある国でありながら、日本のように、徴兵制はもちろんなく、平和を享受しているという国との違いというのを改めて私は感じたんです。それで、昔、私、留学時代にある女学生から言われた言葉を思い出したんです。

 彼女は、「若宮さん、韓国の若者の反日感情が再生産されるのは徴兵制のせいなんだ」というわけです。どういうことかというと、若者が2年以上も軍隊にとられて、非常につらい思いをする。その間につらつら考えると、そもそもこんなつらい思いをしているのは南北分断が原因である。何で分断したのかというと、もともと日帝の不始末によって分断されたんじゃないか、と思い当たる、というわけです。

 にもかかわらず日本は朝鮮戦争でもうけて、経済発展をして、平和憲法を享受して、そして軍事政権の韓国を何かばかにしたような、見下したようなことを言う。そういうことに思い当たって、「けしからんのはやっぱり日本だ」と、こういう気持ちになると言うんですね。

 「そんなこと言ったって女の子は関係ないだろう」と聞いたら、「いやいや、そうじゃない」と。みんなボーイフレンドが行っちゃって、そこで恋が破れたとか(笑)。いや、実際に若い男女の間で悲劇が生まれるんですね。パートナーだと思っていたのに、女の子のほうが先に卒業していっちゃって、当時ですから、まだ封建的な時代だし、「早く結婚しろ」みたいなことになってとか、そういうのが結構ありました。

 彼女の話はもちろん飛躍があるし、非常に論理的というわけじゃないけれども、でも、ある種「ああ、なるほどな」と思う部分があったのを思い出しました。韓国は、民主化にもかかわらず今日まだ徴兵制を維持せざるを得ない国情にある。そういうことについて、日本として理解が足りないんじゃないのかなと思い直したんです。だからどうしろというのは別として、韓流ドラマばかりに喜んでいるのはどうかな(笑)、と思ったしだいです。

 今日は大変知的な話が多く、お二人に韓国の知性の香りをかがしていただいたような気がしました。どうもありがとうございました(拍手)。(写真:佐久間泰雄)

■【第12回朝日アジアフェロー・フォーラム】参加者一覧

〈報告者〉

崔相龍 元韓国駐日大使、法政大特任教授

朴裕河 韓国・世宗大学教授(日本文学)

箱田哲也 朝日新聞ソウル支局長

〈司会〉

若宮啓文 朝日新聞コラムニスト

〈フェロー&ゲスト〉

国分良成 慶応大学法学部長

藤原帰一 東京大学教授(国際政治・東南アジア政治)

王敏 法政大学国際日本学研究所教授

谷内正太郎 早稲田大学教授(前外務次官)

谷野作太郎 元駐中国大使

山澤逸平 一橋大学名誉教授、元アジア経済研究所長

小此木政夫 慶応大学教授

竹田いさみ 獨協大学教授

小倉紀蔵 京都大学大学院准教授(韓国哲学)

伊藤庄一 米CSIS(戦略国際問題研究所)客員研究員、環日本海経済研究所研究主任

高原基彰 日本学術振興会特別研究員

緒方義博 延世大学大学院博士課程(元駐韓国大使館専門調査員)

尹鍾求 東亜日報東京支局長

今西淳子 渥美国際交流奨学財団常務理事

〈朝日新聞からの主な出席者〉

大軒由敬 論説主幹

杉浦信之 ゼネラルマネジャー、東京本社報道局長

西村陽一 ゼネラルエディター、東京本社編成局長

野村彰男 ジャーナリスト学校長

柴田直治 特別報道センター長

真田正明 論説副主幹

石橋英昭 論説委員

小菅幸一 論説委員

藤原秀人 論説委員

加藤洋一 編集委員

隈元信一 編集委員

磯松浩滋 北海道支社長

宮田謙一 ジャーナリスト学校事務局長

川崎剛 AAN事務局長