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現実味を増す「APEC花道論」

後藤謙次

後藤謙次 後藤謙次(フリーの政治コラムニスト、共同通信客員論説委員)

 「APEC花道論」という言葉があった。今から15年前のことだ。1995年11月に大阪でアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議が開かれた。議長は村山富市首相(当時)。その年の参院選で社民党は大きく後退し、沖縄では米兵による少女暴行事件があり、村山首相の求心力は急速に衰えを見せていた。このためAPEC開催前から「APEC花道論」が取り沙汰されていた。村山氏はこれを強く否定し続けたが、結局、約50日後の96年1月5日に退陣を表明、橋本龍太郎氏に首相の座を譲った。

 その大阪APECから15年ぶりに開かれた横浜APECで議長を務めた菅直人首相に再び「花道論」が浮上した。花道はもともと役者に贈る花を持っていくための道が転じた言葉のようだが、政界用語では「退陣」を意味する。永田町では「身を引く前にせめて一花咲かせる場面を」という意味がこもる。しかし、横浜APECで菅首相が「一花咲かせた」とはとても言えまい。その意味では従来の永田町的な「花道論」とは一線を画する。むしろAPECの議長を務めたことで、逆に菅政権の限界が露呈したのである。

 おそらくこれから先も菅政権に求心力が戻ることはないと見た方がいい。菅首相が何を目指す政権なのか、今もって明らかにならないからだ。その原点が明確ならば、そこに1度立ち返って政権を立て直すことは可能だ。例えば、

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