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ボーイング防衛部門の切り札、ジェームス・アーミントン副社長に聞く

谷田邦一

谷田邦一 朝日新聞専門記者(防衛問題担当)

 世界有数の軍需メーカーでもあるボーイングが、日本の防衛部門の責任者として異色のすご腕副社長を送り込んできた。11月に就任したジェームス・アーミントン(James F. Armington)氏(53)。日本とのつながりが極めて深く、現役パイロット時代は、F15戦闘機のインストラクターとして航空自衛隊のパイロットたちの指導にあたり、米国防総省では日本向けのF15JやE767AWACS、F2共同開発などのプロジェクトを手がけた。また弾道ミサイル防衛の日米共同研究開発にまで携わった経験があり、まさに日米同盟の中枢を歩いてきた人物といえる。日本市場を重視するボ社の姿勢がうかがわれる。日本とどのようなつながりがあるのか、今後どのようなビジネス戦略を展開するのかについてインタビューした。

拡大ボーイングのジェームス・アーミントン氏。

―― 日本とは、どのようなつながりをお持ちですか。

アーミントン氏 ちょうど20年前のことですが、1990年にフロリダ州のティンデル空軍基地から、交換プログラムで航空自衛隊の202飛行隊(宮崎・新田原基地)にやってきました。インストラクターとして2年間、自衛隊のパイロットを指導しながら、地元の人たちとの生活を楽しみました。3人の子供がいますが、2人の息子は地元の宮崎県佐土原町の幼稚園に通い、他の子供たちも日本の子供たちと同じように日本の歌や言葉を覚えました。子供たちの人格形成にとって、宮崎での経験はとても大事です。

―― 空自パイロットの印象はどうでしたか。

ア氏 彼らにはF15のエアコンバット(空中戦)の機動性を指導しましたが、とても優秀でプロフェッショナルでした。お世辞ぬきで、質の高さでは米国の戦闘機パイロットと同水準で、仕事に対し献身的で高いスピリットを持っていました。

―― 1990年というと、冷戦の終わりや旧ソ連の崩壊、湾岸危機を日本で体験されたわけですね。

ア氏 おもしろい時期に航空自衛隊と仕事をしていたと思います。冷戦後のトレーニングがどういうものになるか、だれも理解できませんでした。だから冷戦崩壊後も、しばらくは冷戦中のタイプのトレーニングをしていたのを覚えています。

 1991年の湾岸戦争も、私が新田原にいたときに起きました。自衛官と一緒にCNNを見ていましたが、私が教えた米空軍の生徒たちが参戦していました。米空軍が実戦に参加するのは初めてでしたから興味深かった。テレビを見ながらリアルタイムで、自衛隊の友人と何がおこり、なぜそうなったのかを議論しました。エアバトル(空中戦)についても議論しましたが、イラク空軍の装備は、米空軍や米海軍とは比べ物にならないくらいおそまつでした。

―― 宮崎からご帰国してから、国防総省で勤務されたのですか。

ア氏 ええ、航空自衛隊と米空軍の間のプログラムに従事しました。そこで ・・・ログインして読む
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筆者

谷田邦一

谷田邦一(たにだ・くにいち) 朝日新聞専門記者(防衛問題担当)

1959年生まれ。1990年、朝日新聞社入社。社会部、那覇支局、論説委員、編集委員、長崎総局長などを経て2013年4月から社会部専門記者(防衛問題担当)。主要国の防衛政策から最新兵器、軍用技術まで軍事全般に関心がある。防衛大学校と防衛研究所で習得した専門知識が、現実の紛争地でどのくらい役立つのか検証取材するのが夢。

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