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90年代、2000年代の若者たちが歩んだ道筋

鈴木崇弘

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 日本社会は、ここ数十年の間、若者のキャリアの可能性は、大企業を中心とする企業や組織に就職する(つまりサラリーマンになる)以外にオプションがほとんどなくなってきていた。

 それは、親の世代が地方から都市部に進学などで出てきて、卒業後、企業などに就職するか、すでに都市部を中心に企業や組織などに勤務する状態が大半になってきたからだ。

 他方、地方の人口減少や、地方・都市部にかかわらず大型ショッピング店舗や量販店の進出や開店などにより、多くの商店は閉鎖や開店休業となり、いわゆる「シャッター通り」が出現する。それは、若い世代にとっては、商店の経営や勤務の道が閉ざされたことを意味する。農業も同様に、補助金行政も手伝って、革新性が生まれにくくなり、遅れた産業というレッテルが貼られ、若者が敬遠する仕事となってしまった(注1)。

 このようななか、学校を卒業してからのキャリアとしては、若者の周りには、大企業を中心とする企業・組織への就職というモデル以外にはチョイスがない状態が生まれた。

 もちろん従来も、会社を新たに興す者がいなくはなかったが、ハードルは高かった。またいわゆる「ベンチャー」企業の創業も、1990年代後半の米国のシリコンバレーの成功を背景に、日本でも2000年前後から脚光を浴び、若者にとっても一時、新たなキャリアチョイスになりかけた。しかし、ホリエモンや村上ファンドの事件などで、社会的信頼や社会的関心は低下し、現在キャリアの主要なチョイスから外れてしまった感がある。

 一方で、バブル経済の前の時期、経済は活況を呈し、仕事は容易に見つかり、生きていくには困らない状態が生まれてくる。そこで80年代半ばから生まれてくるのが、手頃な仕事をしながら、自由な生き方を求める、いわゆる「フリーター」だった。

 しかし、90年代になるとバブル経済が崩壊し、日本経済は急速に悪化をたどり、国民の間に閉塞感、将来への不透明感が漂い、失われた10年、否、失われた20年が続いている(注2)。このような状況で、「就職氷河期」といわれる若者の就職難の状況が生まれた。また、企業は、これまでよりも正規雇用を抑制し、その分、非正規雇用を活用するような状況も生じた。しかも、企業による新卒入社の慣習は、現在に至るまで存続している。

 同時期において、政治的には、政治主導が声高に叫ばれだし、他方で官僚機構の弊害や問題が指摘された。そのようななか、公務員に対する信頼が揺らぎ、低下する。これまで、社会的に活躍したい、国家のために働きたいという多くの優れた若者は、公務員(特に国家公務員1種試験に合格し採用された者、いわゆる国家公務員の上級職あるいは「キャリア」)になり活躍した。しかし、上記のような事情で、公務員が社会に関心を持つ、優れた若者のキャリアチョイスでは必ずしもなくなってきている(注3)。一部は、現在の官僚機構に限界を感じて、退職する事態も生まれてきている(注4)。

 このようにして、若者にとって、自分のキャリアプランや就職による生活の安定を描くことが難しくなるとともに、キャリアチョイスの幅が狭まる状況が生まれることになった。

 経済状況は一時を除き大きくは好転しなかったが、

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筆者

鈴木崇弘

鈴木崇弘(すずき・たかひろ) 城西国際大学客員教授(政治学)

城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科客員教授。1954年生まれ。東京大学法学部卒。マラヤ大学、イースト・ウエスト・センターやハワイ大学大学院等に留学。東京財団の設立に関わり、同財団研究事業部長、大阪大学特任教授、自民党の政策研究機関「シンクタンク2005・日本」の設立に関わり、同機関理事・事務局長などを経て現職。中央大学大学院公共政策研究科客員教授。著書に『日本に「民主主義」を起業する――自伝的シンクタンク論』『シチズン・リテラシー』『僕らの社会のつくり方――10代から見る憲法』など。

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