水田愼一
2010年12月16日
ウィキリークスによる情報漏えいが外交に与える影響が有るか無いかといえば、当然答えは「有る」だ。外交はおおかた情報戦だ。国と国とが戦略を胸に秘め、独自に情報収集・分析をし、手の内を隠しながらお互いに対峙する。そして相互に自らの主張や条件を伝え合い、議論し、相手側の出方を見ながらお互いの妥協点を見つけていく。
それが外交だから、ウィキリークスが秘扱いとされていた外交公電を明らかにすることによって自分の手の内が相手や周りに明らかになってしまうようであれば、それによって戦略を変更せざるを得なくなるし、最悪の場合、得ようとしていたものが得られなくなってしまう、守るべきものが守れなくなってしまうという結果になる。
著者の外交官としての実務経験からも、情報秘匿の無い外交は想像もできない。だから、ウィキリークスによって米国国務省の公電情報が25万点以上も流出したことは、米国や関係国の外交関係に影響を及ぼす深刻な事件だと捉えている。
とはいえ、筆者としては、政府の内部において「機密」とされる情報の一部が「正当」な理由があって表に出てくるチャネルは存在すべきだと考えているし、その面でのウィキリークスの役割には意義が認められると考えている。
ここで筆者が言う正当な理由がある場合とは、国民を代表すべき内閣や行政府――とりわけここでは外交当局である外務省――が、国民の利益ではなく、自分たちの利益保護や組織防衛のために不都合な情報を機密情報として隠匿している場合や、国民の利益に適わない政策を遂行し続けるために意図的に不都合な情報だけを非開示にしている場合等である。
筆者は2002年10月に外務省を退職するまでの約1年強の間、当時外務省を揺るがした一連の不祥事の内部調査に従事していた。当時の内部調査では逮捕事件に発展したものも含めた個人による公金詐取・使い込みや組織的な不適正な経理慣行が明らかになったが、その事実のすべては国民には明らかにされていない。
その際の省内ロジックの一つとして、国民の日本外交に対する信頼を維持するためには、外務省に対する国民の信頼を維持することが必要であり、それ故に、外務省に対する信頼の大きな失墜を招くような過度な情報開示は望ましくないというようなことが言われていた。このようなロジックは、調査現場の最前線いた筆者には組織防衛・自己弁護にしか聞こえず、より広く情報開示がなされてしかるべきであったと考えている。
ウィキリークスが明らかにしたイラク戦争やアフガニスタン戦争に関わる公電の中には、公にはされていなかった文民の死傷事件等、米国が戦争遂行を正当化し、国民の支持を得る上では不都合とも思われる情報が含まれている。こういった情報については、議会や国民が戦争の必要性について公平に判断する材料として開示されるべきものなのに、国務省や国防省が自らの組織的な判断によって非開示とされてしまったものであり、公開する「正当性」があったのではないかと考えられる。
もちろん筆者は、ウィキリークスそのものやそのやり方自体を、もろ手を挙げて支持するわけではない。各国首脳の人物評のような公電は、興味本位を越えてどのような利益を一般の人にもたらすのか明らかではない。他にも公開すべき公益性があるかどうか疑問の残る外交公電も散見され、公開すべき公電の選別は必要である。
とりわけ、ウィキリークスが売りにしている投稿者の匿名性維持をいかなる場合にも一律に適用することには筆者は賛成しない。ウィキリークスは、
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