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民主党の「迷走」と政治評論の「責任」

櫻田淳

櫻田淳 東洋学園大学教授

 民主党の党内抗争が激化している。こうした党内抗争は、客観的には菅直人内閣というよりは民主党という政党に大きな打撃を与えることになろう。各種世論調査における民主、自民両党の政党支持率が昨夏の「政権交代」以来、初めて逆転していることは、民主党に寄せられた昨夏の熱気が既に冷めていることを示している。

 しかしながら、民主党の現下の「迷走」を前に問い直されなければならないのは、特に民主党に近い立場から「政権交代」を称揚した人々の言説に伴う責任である。

 たとえば、山口二郎(北海道大学教授)は、NHK討論番組「日曜討論」(12月19日放送)中、民主党の現状を評し、「リフォーム詐欺の片棒を担いだような気持ちだ」と発言した。それは、現下の民主党の「迷走」を前にする限りは、率直過ぎる程に率直な心情を吐露した発言であろう。山口に限らず、日本の政治学者の大勢は、「政権交代」という事態それ自体は歓迎すべきものとして語っていたはずである。筆者も、巷間、自民党に誠に近いと認識される立場でありながら、「政権交代」を災厄の類とは全く認識していなかった。戦後、単独であれ連立であれ自民党主導の政権運営が続き、その故の弊害が指摘されるようになった中では、日本における「政権交代可能な政治風土」の定着が好ましいということには、最低限の合意が出来上がっていたのである。

 ただし、自民党に代わることになった民主党の「政権担当能力」への評価は、決して一様ではなかった。筆者も、自民党が暫時、政権を手放すことを通じて、政党としての「自己変革」の契機を手にする可能性を考慮すればこそ、「政権交代」を肯定したけれども、民主党の「政権担当能力」には、「政権交代」以前から冷淡な眼差しを向けてきた。その根拠は、民主党における外交・安全保障政策の不明確さにある。筆者に限らず、外交・安全保障を主に扱う人々の中では、民主党の政権運営が行き詰まるとすれば、その「躓きの石」になるのが外交・安全保障政策であろうという展望を示した人々は、決して少なくない。そして、実際の事態の推移も、その展望の通りになっている。1960年代以降、コンラート・アデナウアー以来の「西側同盟の一翼」と「欧州統合の中軸」を担う政策路線を否定せず、その足らざるを補う趣旨で「東方外交」を展開したヴィリー・ブラント執政期の西ドイツ社会民主党政権の対応と比較すれば、民主党主導内閣の政策対応における拙劣さは明らかであろう。

 一方、山口に限らず昨夏の「政権交代」を称揚した人々は、民主党の「政権担当能力」には一定の信を置いていたのであろう。それ故にこそ、前に触れた山口の発言に象徴されるように、民主党主導内閣の政権運営の実態に対して、落胆や失望の念が表明される。それは、衆議院解散・総選挙実施を通じて「政権交代」の「クーリング・オフ」を求める世の声の拡がりと軌を一にしている。しかし、政治評論の責任という観点からすれば、そうした落胆や失望の表明は決して建設的な意義を持たないのではなかろうか。そのことは、次に挙げる二つの観点から説明することができよう。

 第一に、「政権交代」を称揚した人々の責任とは、民主党の現下の「迷走」にもかかわらず、民主党主導内閣の政権運営を、その終焉まで見届けることにある。現下の与野党の構図が保たれる限りは、民主党主導内閣の政権運営は、首班が菅であれ他の政治家であれ今後2年半は続くのである。その間の政権運営が幾分かでも弊害の少ないものとなるように仕向け、あるいは一定の成果を挙げるように導くことは、そうした責任に則った対応であるといえよう。もし、民主党が現下の「迷走」の後で再び政権を委ねるに値しない政党であると判断されれば、「政権交代可能な政治風土」の定着への道程は一気に遠のく。それは、昨夏の「政権交代」の意義それ自体も喪わせることになろう。

 第二に、民主党の「政権担当能力」が信を置くに足ると判断した根拠は、明確に世に示される必要がある。

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