若林秀樹
2011年02月08日
民主的な選挙システムにおいて、一票の重さ(議員1人当たりの人口・有権者比)に違いがあることが必ずしも問題の本質ではない。代議制に基づく政治の仕組みにおいて、国民が等しく参政権を持ちながらも、どのような形で民意を公正に国民が納得した形で政治に反映するかが重要であって、その政治の仕組みを決めるのも国民自身である。
アメリカを例にとれば、各州定員2名の上院議員は、憲法で保証された連邦制における各州平等原則に基づく州の代表である。人口の規模でいえば、カリフォルニア州(人口約3700万人)とワイオミング州(約54万人)の間には、「一票の格差」で言えば約68倍の違いがある。そこには大きな州も小さな州も同じ力を持つべきという建国の歴史があり、下院とは違って、この「一票の格差」が問題になることはない。
もちろん日本は、連邦制ではない。憲法では「地方自治」が保証されているものの、いまだに中央集権国家であり、都道府県平等原則はない。地方政治においては、一票の格差問題もさることながら、例えば政令指定都市とそれ以外の市の間には、権限と予算に大きな違いがあるにもかかわらず、そこに住む住民が県議を選ぶ一票の重みは同じである。また、2010年の参院選比例代表では、個人名を書く同じ選挙区内で、「たちあがれ日本」で出馬した中畑清氏は11万1,597票で落選、「みんなの党」桜内文城氏は、中畑氏の3分の1、わずか3万7,191票で当選し、国民の代表として議員になった。
このように選挙制度は様々な矛盾を抱え、現在は地方分権化への過渡期にあるという認識に立つのが妥当だと考えるが、だからと言って、法の下の平等原則に基づく「一票の価値」は、合理的な理由がない限り、著しい格差にある状態を放置していいことにはならない。
例えば参院選の「一票の格差」は、「憲法違反ではない」と言える合理的説明は難しい。しかし国会議員は、その問題の本質がわかっていながら、自ら進んで自分の首を絞めるような選挙制度改革は実施しようとはしない。この格差の存在は、問題解決を先送りしてきた国会の不作為が問われているのである。
もちろん参議院は、衆議院のカーボンコピーという批判を浴びる中で、衆議院とは違う役割を発揮しようと努力している。地方選出の参議院議員は、県代表という意識が強く、役割の違いから機械的に一票の格差が論じられることに疑問を持っている。確かにそれも一理あり、この「一票の格差」の解決は、理想的には憲法の改正による衆参の役割の明確化、道州制等の地方分権改革等を同時に進めるべきであろう。しかし、その改革まで待って、この違憲状態を放置していい理由にはならないのである。
そうであれば、
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