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招かれざる大臣の「続闘」宣言! 長妻昭・前厚生労働相が官僚主導の正体を語り尽くす

WEBRONZA編集部

 歴史的な政権交代を果たした民主党の鳩山内閣、菅内閣で厚生労働大臣を務め、脱官僚の政治を目指しながら、表舞台を去ったかに見える長妻氏。しかし、消えた年金問題などに舌鋒鋭く突っ込んだ野党時代のような熱い闘志はなお健在だった。官僚主導の政治の危うさ、理想とする政治を追い求める意志、年金をはじめとする社会保障改革への強い思い……。穏やかな語り口ながら、ほとばしり出る言葉には確かな熱がこもる。闘い続ける政治家に、一色清・WEBRONZA編集長が迫った。(インタビューは2月9日、東京都千代田区で)

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長妻昭(ながつま・あきら)

1960年、東京生まれ。慶応大学法学部卒業。日本電気株式会社、日経BP社を経て2000年6月、衆議院議員初当選。現在4期目。小選挙区東京7区(中野区・渋谷区)。野党時代に年金記録問題で政府を鋭く追及し、政権交代に貢献した。鳩山内閣、菅内閣で厚生労働大臣を務め、「脱官僚」を目指した。著書に『闘う政治』(講談社)、『招かれざる大臣 政と官の新ルール』(朝日新書、リンク)などがある

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一色 長妻さんは内閣改造に伴い志の半ばにも満たないところで厚生労働大臣を降りられましたが、最近出された新書『招かれざる大臣』の帯で「続闘宣言!」をされています。再び大臣に就任するとしたらどこの大臣をやりたいですか。

長妻 大臣というわけではありませんが、公務員制度改革、首相官邸改革は何としてもやり遂げなければなりません。統治機構の改革は、やはりこの国の政治を支える一番の土台のところですから。もちろん一部官僚からは反対論も出るでしょう。

一色 確かに民主党政権への政権交代に対する期待はずれのひとつに公務員制度改革ができていないことがあります。人件費の2割削減なども進んでいません。

長妻 人件費の2割削減の件は、マニフェスト1期4年で実現する約束ですから、工程表に基づいて進める予定です。党の立場からも、やってもらわないと困るということで政府に要請しつづけています。より本質的な意味で重要なのは、やはり、官僚主導はなぜ悪いのか、政治主導とはどういうことなのか、ということを国民の皆さんに理解していただき、真の政治主導を実現することです。

 この土台をつくらないと、日本はいつまでたっても官僚が総理や大臣のお手並み拝見モードになってしまう。国として政治家と官僚が一体的に国難に当たっていくというダイナミズムが生まれません。政治家は選挙で選ばれる。官僚は試験で選ばれる。この異質の文化の両者がきちんとタッグを組んでひとつの目標に向かうにはそれなりの工夫なり、法律改正が必要なのです。これはどの政権もやらなくてはならないことです。私はいま党の方の立場ですが、法律改正について政府に対して意見を申し上げています。

一色 長妻さんのおっしゃる官僚主導の悪いところとはどのようなところでしょう。

長妻 この新書のはじめのページにマックス・ウェーバーの「良き官僚は悪しき政治家である」という言葉を書きました。これが全編に流れるモチーフです。

 まず官僚主導というのは何か。それを考えますと、大臣の作法というべきものがこれまでこの国には存在したのではないかと思います。私はその作法に乗らなかったし、民主党政権自体が乗りませんでした。総理の作法もたぶんこれまであったんでしょう。しかし、民主党は、そういうことにとらわれずに政権に入ったわけです。その作法とは、官僚がルールをつくり、政治家たる大臣はそのルールに則って動くということです。しかし、官僚だけではそんな大それたルールをつくれるものなのかと考えますと、ある意味では、これまでの政・官・業の連携のなかで、みんなにとって都合のいい大臣の作法というのが、役所の中でつくられてきたのではないかと考えるのが自然でしょう。族議員も含めてそれが関係者のメリットを極大化するということです。これまでの大臣はそれに乗っかって、その作法に従っていたのではないかという風に推察されます。

 実は、事務次官が退任された時のあいさつでいみじくもこう言われた。これからは大臣、政と官の役割分担、関係が変わります、と。どういうことかというと、今までは、大臣というのは政治家ですから、政治家にしかできないことを大臣にやってもらう。つまり政治家にしかできない国会答弁とか大臣同士の折衝ですね。それ以外は官がやっていたと。逆にいえば、政治家にしかできないこと以外は官がやるんだという認識です。役所のマネジメントは、大臣ではなく、事務次官がやるということではないでしょうか。

 あいさつの後段はこうです。ただ、これからは、政権交代後の新しい大臣が来て、大臣がやると言ったことは大臣がやる。官僚はそれを支えるという関係に変わりますと。そういう趣旨のことをいわれた。確かに、今までは暗黙の作法、ルールがあって、あまり大臣の力が強すぎないことが、たぶん政官業にとってもいろんな意味でメリットが大きかったのではないか。官僚だけでそんなルールをつくれるわけもない。ですから、さきほど申し上げた政・官・業の関係性のなかで決まってきたのだろうと思います。

 私が、なるほどと思った経験があります。当初、官僚の人はなかなか私に本音は言いませんでしたが、私の政務秘書官には多少は本音をもらす。官僚が言っていたのは、「長妻大臣は役所が好きなんですね」。どういう意味だと聞くと、朝から晩まで役所にいると。そんなの初めてだという。こっちは好きでいる訳じゃありません。政権交代したはじめは、役所の仕事を一から総ざらいしなければならない。副大臣、政務官の政務3役と特に政務官の山井和則さんとは文字通り寝食を共にして、朝から夜まで仕事をした。で、多少の親切心で言われたのかも知れませんが、「大臣が役所にいるのは昼間の2時間くらいでいいんですよ」と。

 つまり、大臣が全く来ないのは決裁などがありますから困ると。しかし、決裁を済ませれば後はどこか外にいて欲しいというのが本音なんですね。まあ、昔のCMじゃないが、「大臣元気で留守がいい」というような感覚でしょう。つまり、役所から大臣どうしましょうと相談を持ちかけられたことだけについて、こう思うと答える。説明される資料については分かったと納得する。そして、役所に新しい資料は要求しない、調べろとか言わない。こんなところが作法だったわけですが、当然、そうではない形で我々はやったわけです。

 ノンフィクション作家の保阪正康さんを私は非常に尊敬していて、ご指導もいただいているのですが、保阪さんによりますと、結局、先の昭和の一連の戦争ですね、その原因のひとつは「天下り」構想だとおっしゃる。戦争のひとつの原因が。つまり、定年に当たる予備役になっても戦線を拡大すればポストにつける。軍は南方に進出したり満州に進出したりすれば司令官のポストができる。どんどんえらくなる。予算もつく。こうなると撤退はできません。こういう勢いの中で戦争に突っ込んでいったと著作にも書かれています。私も国会議員として先の戦争はどういう経緯なのか、きちんと調べて納得する、得心することが極めて大切だと考えています。これは一人私に限らず、国会議員なら誰もがおさえておくべきことだと思います。

 私はその意味で、時間をみつけては国会図書館にこもって、昭和13年くらいからの新聞を1日ずつ読んでいって、戦時の空気を追体験していきました。そうするとだんだん分かってくるわけです。なるほどと。保阪さんが言っているのはこれだと。私にとってはこの説明が一番、腹に落ちる。フィットする。なぜあんなにも無謀な戦争に日本は突っ込んでいったのか。

 この構造というのは、恐ろしいことに、結局いまの官僚にも引き継がれているのです。保阪さんが最近出された「そして官僚は生き残った」(毎日新聞社)でも描かれています。つまり官僚主導では、なぜいけないのか。それは、官僚組織の最大のメリットでもあり欠点は倒産しないことなんです。つぶれないことです。普通の企業が支店長ポストほしいから全国に100店舗展開しようと、それは勝手です。客がいなければつぶれちゃうわけで。強引に無理矢理には展開できない。ところが、役所の場合は違います。いっぱいえらい人のポストをつくりたいからと、仕事をいっぱい増やして天下り団体に理事長などのポストをいっぱいつくりましょうということが出来てしまう。もちろん倒産などしません。

 こういうニーズに合わないことででも、適正なチェックを受けずに出来てしまうとなると、官僚のマインドとしてはやはり仕事がふえて、ポストが増えた方がいいわけですから、膨張しよう膨張しようというふうに働く。その時にそれをきちんとチェックして監視して監督することがわれわれ政治家に求められているのです。役所は株式会社にはできません。つまり、官僚主導がなぜいけないのか。

 一言でいうと、官僚任せにしておけば、官僚機構というのは膨張するのみだからだというのが答えです。ニーズとは関係なく際限なく膨張していく。それをきちっとニーズに合わせて、差配していき、さらに前例踏襲の延長線上ではない大きなビジョンを打ち出していくのが政治家のやるべき仕事でしょう。ある意味、惰性を許さないコペルニクス的発想が求められているのです。政治家が大きなビジョン、大方針を掲げて、政治家がつくった仕事のやり方で、官僚の人たちと一致結束して動いていく。日本が歴史的な停滞に陥っている今こそ、こういうことが非常に重要じゃないかと思います。

一色 その天下りですが、長妻さんと官僚の間のあつれきの主な要因にこの天下り問題を何とかしとようとしたことがあるように見られました。官僚の抱えている問題の諸悪の根源が天下り問題だというような認識があるのですか。

長妻 問題のひとつでしょう。つまり戦争の時の戦線拡大が、現在の天下り団体の膨張に変わっただけだということです。戦前と戦後がまったく同じ体質であるという事実。これは忘れてはならないことだと私は考えています。では、どうしたらいいのか。私は人事評価基準を変えることから始めました。

 膨張すると評価される。簡単にいうとこれまではそういう評価基準だったのです。それはそうでしょう。役所というのは膨張するということがある種の特性であり命綱であり、生命線ですから。やはり組織の膨張に貢献した人が出世できる。私はそれをまったく逆にかえて、天下り団体や必要性の低い事業を削ったり、予算を節約できる人が出世できるようにしました。もちろん、国民のみなさんのニーズに合致した、きちっとした事業を始める人も当然評価するという基準に変えました。

 天下りについては、非常に興味深いのは、OBの方々の反発の強さです。私が天下りを許さずにメスを入れ、公募に切り替えました。独立行政法人の天下り役員ポストはすべて公募しろと指示しました。これは官邸にも働きかけて全省庁でも実現できたので、ありがたかった。ただ、公益法人まで公募にしたのは厚労省だけなんです。そういうことをやった時にOBが反発しました。OBが現役に対して圧力をかけて、それで現役もやはり反発するという形、構造になっているのです。

 ある日、人事担当者が私のところに来て「厚生労働省だけ厳しいことをするといい学生が集まりません」というのです。これもおかしな話です。逆に癒着というか、天下りのような不明朗なズブズブの関係性がない役所だという方が、後ろ指を指されなくていい。そう考える賢明な学生が集まるのではないか、と私などは思います。関連で言いますと、去年の4月分の公募では、独立行政法人の天下りの役員ポスト、12の役員ポストを削減したり、民間の人についてもらったりして、12人の天下りをゼロにした。そこもかなり厳しすぎると。

 ただ、厚労省のような一番金を使う役所だからこそ、歳出の自然増をみても毎年1兆円ずつ社会保障費が増えていくからこそ、将来消費税のお願いをしなければならない役所だからこそ、天下りの禁止や、無駄遣いの削減を率先してやらなければなりません。そして厳しくやれば、必ず社会保障の明日は開けると。そういう道筋を切り開いていかなくてはなりません。厚労省の役所の人も、社会保障を本当に何とかしたいと思って入ってきた人が多いのです。理解してもらえるはずです。それをずっと何遍も私は言い続けました。人事をしてからは多少雰囲気は変わってきたのですが。

一色 官僚が天下りに固執するのは、自分の役人人生を経済的にも豊かに幸せに送れる仕組みとして必要だと思っているからでしょうね。

長妻 それもありますが、先輩から後輩へと脈々と続く天下り団体を大きく育てていく使命があるというような感覚じゃないでしょうか。民間は頼りにならない、やはり役所がきちんとしなければいけないという使命感も感じられます。つまり、民間と比べても優秀な役所OBが社会をリードしていかなくてはいけないと。

 太宰治の小説で「家庭の幸福」というのがあります。官僚批判が、一つの題材になっています。あまり話題になっていませんが、非常に興味深い短編です。1950年の本ですが、当時も今も変わっていない。

 やはり自分の生活なり、立ち位置、権限なり、これを拡大したいというのは、誰にもあると思いますよね。民間企業だって。まあ、民間はそれをどんどんやってもらえばいいんですが、ニーズがなければ倒産してしまいます。役所が民間と異なるのはニーズがなく膨張を続けても倒産しない点です。

 官僚一人ひとりが悪いのではなくて、やはりそれを指導するような枠組みなり政治のチェックが欠けているということで彼らが悪者になっている部分も確かにあります。

 不祥事が起これば、さらに予算がついて組織が膨れることだってあります。ある人が言っていた言葉で、砂金嵐というのがある。もう世間の非難を浴びて顔に砂が当たって痛い痛いと思っていたら、非難が一段落して砂嵐が済んだら、下を見たら砂金だった。予算なり組織が膨れるということですよね。

一色 しかし、官僚の方が、記者とか、政権内の別の方、民主党の有力者に「長妻さんには困っている」というような話を流したりしましたね。長妻さんと官僚の世論づくりの競争みたいな側面では、やや官僚が優勢だったように見えました。そこら辺の実感はどうですか。

長妻 私もかつてマスコミに身を置いていましたから事情も分かります。口の数でいうと、政務3役は5人、5個の口しかない。官僚の口の数はボリュームで言えば勝てないわけで、マスコミの編集委員の方と何十年とつきあいのある局長らもいらっしゃる。あとは、やはり官僚というのは紙で、つまりデータなり事実なりファクトなりを世間に裏づけをもって発表するということがありますから、官僚を信用するといのは、マスコミの性格上しょうがないところもあります。

 たとえば、消えた年金問題などでも、役所が認めない時は我々野党がどんなにおかしいと言ってもほとんど報道がない。ところが、役所がいったんすみませんと謝るとはじめて、「ばあっ」と出る。つまり、役所が認めない、つまり、役所の言い分と政治家の言い分が異なった時に、どうしても役所の言い分に立つようになっています。

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