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北方領土問題とロシアの海洋戦略

小谷哲男

小谷哲男 小谷哲男(NPO法人岡崎研究所特別研究員)

 昨年11月にロシアのメドベージェフ大統領が北方領土の国後島を訪問して以来、ロシア高官の北方領土訪問が続いている。多くの識者が指摘するように、尖閣沖漁船衝突事件で民主党政権が見せた弱腰姿勢につけ込んだのであろう。ロシアは、これまで放置してきた北方領土の経済開発に力を入れ始めており、中韓にも共同開発を呼びかける一方、昨年7月には大規模な海軍演習を初めて択捉島で実施し、フランスから購入するミストラル級強襲揚陸艦2隻を北方領土に配備する計画もあるという。ロシアによる北方領土の実効支配を強化する動きである。

 これらロシアの強硬姿勢の背景にはロシアの「弱さ」が垣間見える。ロシアは、原油価格の高騰により冷戦後に破綻状況にあった経済を立て直したが、それは産業競争力に裏付けられたものではない。BRICs諸国の中で、2008年の国際金融危機から立ち直っていないのはロシアだけである。中国が国力を増大させ、このアジア太平洋地域で存在感を増す一方、ロシアは国民の平均寿命が短く、高齢化も進み、国力は今後も低下していくだろう。ロシアにとっては、国力が低下する中で、経済の成長センターとなったアジアにおける存在感を維持することが戦略上の最大の課題である。

 ロシアがアジアでの影響力を維持するためには、ソ連崩壊後の財政難でスクラップ状態にある太平洋艦隊を再建しなければならない。ロシアは先日6780億米ドルの防衛支出計画を発表したが、その4分の1が太平洋艦隊の再建に当たられる。今後10年でロシアは新型の攻撃原潜、弾道ミサイル原潜、フリゲート艦、空母等を20隻導入する予定である。これは、拡大する中国の海軍力の増強に対抗するためとみられている。

 しかし、この防衛支出計画はロシアの軍事力の近代化にはつながらないだろう。ロシアの軍事産業は300万人を雇用しているが、軍事関連企業の25%は破綻状態にあり、保有する技術もソ連時代のものである。とても最新鋭の装備を生産することはできない。ロシアがミストラス級揚陸艦をフランスから購入するのは、ロシアにその生産能力がないからである。今後10年で20隻もの新鋭艦を導入することも難しいだろう。

 海洋戦略の観点からみれば、ロシアが北方領土の実効支配を強めるのは、周辺海域、特に国後島と択捉島の間にある国後水道がロシアにとって重要なシーレーン(海上交通路)だからである。ロシアの戦略ミサイル原潜はオホーツク海深く沈み、ワシントンに狙いを定めているため、ロシアの水上艦と潜水艦にとってこの戦略ミサイル原潜を守ることが重要な任務である。国後水道は水深が深く、冬でも凍らないため、ロシア太平洋艦隊はこの国後水道を通じてオホーツク海と北太平洋を行き来している。ロシアが歯舞・色丹の2島返還を基本的な立場としているのは、これら2島を返還しても、国後水道の通航には影響がないからであろう。

 北極海の海氷が溶けていることも見逃せない要素である。地球温暖化の影響で北極海の海氷が急速に縮小しており、新たな航路の開通と莫大な海底資源の開発が期待されているため、ロシアは北極海における存在感を強化している。北極海を通る航路の開通の時期は科学者の間でも意見が分かれているが、早ければ2013年にも開通するというデータもある。北極海を担当しているのはロシア北方艦隊であるが、今後は太平洋艦隊にも北極海のパトロールを支援することが求められるであろう。その際、北方領土周辺海域はやはりロシア海軍にとって重要なシーレーンとなる。

 以上のように北方領土の戦略的重要性が高まる中で、ロシアが4島全面返還に同意することはまずないだろう。メドベージェフ大統領の国後訪問を「許し難い暴挙」と非難して虚勢を張っても、ロシアにさらなる実効支配の口実を与えるだけである。

 日本があくまで4島全面返還を求めるのであれば、国際紛争解決のための武力行使の放棄を謳う憲法9条を改正し、主権の保護のためには武力の行使も辞さない姿勢を見せることが真っ当なやり方であろう。ロシアや中国のように力を重視する国家は、日本が憲法を改正して国家の意志を示せばそれを尊重するであろう。一方、現在の国内政治状況では憲法改正を期待することはできない。

 しかし、憲法改正をせずとも、国家の意志を示すことは可能である。たとえば、現在、対馬海峡・津軽海峡・宗谷海峡において、日本は国際法で認められる12カイリ(約22キロ)ではなく、3カイリ(約5.5キロ)しか領海を宣言していない。

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