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ヘドロからの脱出――宮城・石巻からの声【無料】

高成田享

高成田享 仙台大学体育学部教授(スポーツメディア論)

 2月まで朝日新聞石巻支局長をつとめ、定年退職した高成田享さん。13日に海外滞在から帰国した高成田さんに、石巻の友人知人の声を寄せていただいた(いずれも17日午前0時現在)。

◆   ◆   ◆

 続々と石巻の友人たちから連絡が入りはじめた。その一部を紹介する。

・木村長努さん(水産会社社長):石巻の港から数十メートルの会社で地震に遭い、従業員を待避させたあと、海岸から数キロある自宅に戻ったところで、津波に襲われた。みるみるうちにヘドロの海が1階に入り込み、部屋の半ばまで来たところで、ガラス窓が割れて一気に水が来た。2階に逃げて助かった。工場はすべて使えなくなった。うちらは加工屋だから、漁師が魚を取ってくれば、加工できる態勢を取りたい。

・熊谷章世さん(旅行会社経営):町の中心街にあるアイトピア通りの店で地震。大きな地震だったので、みな津波が来ると言って、近くの日和山まで逃げた。1階のところまで水が来た。商店街は壊滅した。旅行会社なんて当分お客がなくてできないだろうから、商売替えだと夫と話し合っている。でも、ちゃんと生きていけるから大丈夫。

・布施龍一さん(NPO主宰):事務所の1階まで水が来た。預かっている自閉症などの子どもたちが全員無事だったので、ほっとしている。現状はひどいに尽きる。ぼくらの仕事は、ヘドロの中からレトルト食品をさがしてくること。市内の数十カ所の避難所を回ってきたが、どこも同じ。食料がなく、1枚の毛布を奪い合う状態。学校の避難所で働いているのは学校の先生で、市の職員は何も動いてくれない。子どもたちを親元に帰したいが、その交通手段もない。

・大津幸一さん(大学教授):自宅は高台にあるので津波に遭わなかった。地震の夜、日和山に登って海側を見たら、町並みが真っ黒い海に消えていて、燃えながら流れている家が灯籠流しのように揺れていた。近くのお年寄り、被災地から逃げてきた親類などで、母と2人暮らしだった家が20人を超えるコロニーになった。

・後藤宗徳さん(ホテル社長):30センチほど浸水した。いま、200人を超える人たちを受け入れている。営業は早くても半年先だろうと覚悟している。町の中心街は壊滅的な打撃を受けたので、新たな町作りをする機会だと思ってがんばりたい。

・以下、私(高成田)の感想。まだ食料や毛布がないという人たちが避難所にたくさんいる。「南三陸の避難所で、温かな味噌汁が配られたという話を聞いて、本当にうらやましいと思った。私たちが今日食べたのは、農家からいただいたイチゴパックをみんなで分け合っただけ」という状況をまず、改善する必要がある。

・個人1人1人が携帯を持つ時代になったのに、携帯のネットワークが弱すぎる。災害に強いアンテナ網を整備し直すとともに、携帯用の電池・電気網を整備すれば、大災害に生きる。各携帯会社は、現状で休戦して、CM費用をすべてネットワーク整備に回すべきだ。個人が災害時にも、もっと情報を取得できるようになれば、無用な不安やデマに混乱することはない。

・1次的な災害復興に10兆円超、地域の生活や経済を含めた再生に100兆円かかると思う。「3・11ゼロ国債」を発行して、国民から資金を集め、財政出動に乗り出すべきだ。子ども手当を削って災害に回すといった財務省的な発想から脱却しないと、日本はヘドロの海から再生はできない。

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筆者

高成田享

高成田享(たかなりた・とおる) 仙台大学体育学部教授(スポーツメディア論)

1948年、岡山市生まれ。71年に朝日新聞社に入り、経済部記者、アメリカ総局長、論説委員などを経て、2008年から石巻支局長。この間、テレビ朝日系「ニュースステーション」キャスターも経験。2011年2月に退職し、仙台大学教授。東日本大震災後、復興構想会議の委員を務める。主な著書に『ディズニーランドの経済学』(共著、朝日文庫)、『こちら石巻 さかな記者奮闘記――アメリカ総局長の定年チェンジ』(時事通信出版局)、『さかな記者が見た大震災 石巻讃歌』(講談社)など。

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