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拡大ドイツのラインラント・プファルツ州の州都マインツで3月27日、同州議選の出口調査の結果にわく緑の党の候補者ら=ロイター。ポスターには「脱原子力、いま!」と書かれている
 「フクシマ」の波紋がドイツに衝撃を与えている。

 福島第一原発事故によって、眠っていた反原発の国民意識が呼び覚まされ、先に行われた地方選挙で「脱原発」を掲げる環境政党、緑の党が躍進した。保守のメルケル政権の原発回帰路線には急ブレーキがかかった。ドイツの「脱原発」への回帰は、日本での原発政策の見直しにも影響を及ぼすに違いない。

 緑の党が躍進を果たしたのは3月27日、南西部バーデン・ビュルテンベルク州で行われた州議会選挙だ。

 シュツットガルトを州都とする同州は、ポルシェ、ダイムラー、ボッシュなど大企業が立地し、メルケル首相率いるキリスト教民主同盟(CDU)が1953年から政権を握っていた。国内にある17基の原発のうちこの州内には4基の原発があり、マップス州首相は原発推進派として知られてもいた。ところが投票箱のふたを開けてみると、CDUは第一党の座を保ったものの、緑の党は前回2006年の選挙時の倍の約24%の票を獲得、第3位の社会民主党を抑えた。CDUと連立する自由民主党(FDP)は惨敗だった。

 緑の党と社民党との合計得票が、CDUとFDPの合計を上回ったので、緑の党主導の州政権が5月にも発足する見通しだ。それはドイツ政治史上、初めてのことだという。他の地方選挙でも緑の党は躍進しており、メルケル政権にとって大打撃だ。FDP党首のベスターベレ外相は地方選挙での不振の責任を取って党首を辞任することを表明した。

 緑の党の躍進の背景には、明らかに「フクシマ」がある。世界最先端の技術を誇る日本の原発が、巨大地震と大津波の前にあえなく崩れ、大気や海へ放射性物質を漏らし続けている。この衝撃的な事故がドイツの多くの有権者に「緑の党」を選ばせた。選挙直前の26日にベルリンやミュンヘン、ケルンなど各地で、原発反対デモが行われ、25万人(主催者発表)が「原発はいらない」と叫んだ。ネットで伝えられる映像を見ると、週末の土曜日だったこともあり、赤い太陽を描いた黄色い旗や緑の風船を手にした家族連れなど、幅広い層が参加している。

 そもそも1998年に社会民主党と緑の党が連立したシュレーダー政権は、国内の原発を2022年までに全廃するとの「脱原発」宣言を発し、太陽光や風力など再生可能エネルギー発電の拡大を本格化させた。ところが2005年に発足したメルケル政権は「脱原発」の見直しを進め、昨年秋、原発すべての運転期間を平均12年ほど延長させる方針を打ち出した。二酸化炭素を出さないクリーンエネルギーであり、安定した電力だから、というのが理由だった。眠っていた反原発世論が呼びさまされたのは、この時からだ。緑の党の支持率は上昇に転じ、州選挙で同党の復調が目に付き始めた。

 震災直後、メルケル首相は、17基の原発のうち1980年以前に稼働を開始した7基の運転を3ヶ月間中止すると宣言した。しかしそれは「選挙向けのパフォーマンス」と受け止められ、州議会選の敗北を呼び込んでしまった。メルケル政権は、安全性を格段に厳しくした新しい安全基準の作成に着手したが、そうなると、停止中の7基の原発の多くがいずれは廃炉の運命をたどらざるをえないとの見方がもっぱらだ。80年以降に稼働した約10基の原発の運転をすぐに止めるという可能性はないとしても、新規原発の建設は極めて厳しい情勢だという。

 ドイツの原発政策は事実上、「脱原発」へと再び、かじを切ったといえるだろう。

 欧州では近年、「原発ルネサンス」の動きが広がり、スウェーデンの中道右派政権が原発回帰の方針を示すなど、「脱原発」の旗は大きく揺れていた。しかし震災以降、スイスが原発の新規建設の凍結を打ち出したほか、イタリアも原発の建設再開を決める国民投票の実施を延期した。

 電力消費の8割を原発に頼るフランスと異なり、ドイツ人の反原発意識の根っこはかなり深い。

 ドイツは日本と同じく、戦後のめざましい経済発展の中で、大気や川の汚染、さrない森林や田園の破壊を経験し、環境保護を求める草の根の運動が生まれた。他方、1970年代、当時のシュミット首相が米国と連携して中距離核ミサイルの配備を進めた。さらに石油危機の後、原発建設を進めたことへの反発から反原発運意識が生まれ、環境保護と反原発の運動が結びつき、1980年の緑の党の創設となった。1986年のソ連・チェルノブイリ原発事故による放射能汚染によって、緑の党は幅広い支持基盤を持つ政党へと脱皮する。

 日本ではなぜ、ドイツの緑の党ほどの環境・脱原発政党がないのだろうか。

 1970年代以降の反公害運動では当時の社会党や共産党が一定の役割を果たしたのだろう。ただその後、「環境」「脱原発」の二つの旗印だけを掲げた政党は現れていない。今は「脱原発」を掲げる政党が生まれるチャンスかもしれない。

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筆者

脇阪紀行

脇阪紀行(わきさか・のりゆき) 大阪大学未来共生プログラム特任教授(メディア論、EU、未来共生学)

1954年生まれ。79年に朝日新聞社に入社、松山支局などを経て大阪本社経済部に。90年からバンコクのアジア総局に駐在。米国ワシントンでの研修を経て97年からアジア担当論説委員。2001年からブリュッセル支局長。06年から論説委員(東南アジア、欧州など担当)。2013年8月末に退社、9月から、大阪大学未来共生イノベーター博士課程プログラム特任教授。著書に『大欧州の時代――ブリュッセルからの報告」(岩波新書)、『欧州のエネルギーシフト』(岩波新書)。

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